本サイトに掲載する資料等は、政府の委託事業の下で有識者の助言を得て、調査・収集及び作成したものであり、本サイトの内容は政府の見解を表すものではありません。

総合的論点

コラム 「尖閣資料ポータルサイト」掲載資料で読み解く尖閣諸島

鶴田 順 (明治学院大学法学部准教授)

※PDF形式のファイルをご覧いただくには、Adobe社が提供する「Adobe Acrobat Reader DC」が必要です。インストールされていない場合は、こちらよりダウンロードしてください。

はじめに

 このコラムでは、「尖閣資料ポータルサイト」に掲載された資料等をふまえて、国際法の観点から尖閣諸島に対する日本の領有権をあらためて確認する。このサイトでは、尖閣諸島に関する事実を示す資料の確認・収集・編纂を行ったプロジェクト(内閣官房領土・主権対策企画調整室からの委託事業として平成26年度から平成31年度まで特定非営利活動法人沖縄平和協力センター及び株式会社ストリームグラフが実施)の成果の一部を掲載している。

 このコラムでは、このプロジェクトで新たに確認された資料も用いながら、次の二点について、第一に、1895年1月の尖閣諸島の領土編入措置に関する閣議決定に至る約十年間の動き、第二に、第二次大戦後の米軍による尖閣諸島の久場島と大正島への射爆撃演習場の設置に対する中国の黙認の二点に焦点をあててみていく。資料は作成年月日に沿って掲げる。

1. 1895年1月の領土編入措置に関する閣議決定

 日本政府は1879年4月に沖縄県を設置した後、尖閣諸島の現地調査(→資料1)をふまえて、従来無人島であり、清国を含むどの国の支配も及んでいないことを慎重に確認したうえで、尖閣諸島周辺海域の漁場としての利用が活発化し、その管理の必要があることから(→資料3, 資料4)、1895年1月の標杭建設に関する閣議決定によって尖閣諸島を沖縄県に編入した(→資料7, 資料8

 1895年1月の領土編入措置に関する閣議決定に至る過程は、東京の中央政府主導ではなく、地元漁民が尖閣諸島に出漁し始めた八重山島役所からの要請を容れた沖縄県から政府に対する上申によって始まった。沖縄県から日本政府に対する所轄編入の上申が1890年1月(→資料2)になされたが、上申が政府にすぐに認められるということはなかった。その後、尖閣諸島への出漁がさらに活発化したことから(→資料5)、1893年11月に沖縄県から政府に対して再び上申がなされた(→資料6)。

 このような領土編入措置は、国際法上の「先占」(occupation)にあたる。先占は、国が、いずれの国の領有にも属していない無主の土地を、他の国に先立ち、主権者として領有の意思をもって実効的に占有することによって、当該無主地を自国の領域とする領域権原(territorial title)の取得方式である。領域権原とは、国際法によって領域主権の正当化根拠となると考えられている事実のことである1

 未知の土地を発見したのみでは「未成熟な権原(inchoate title)」であるにとどまり、発見の後、合理的な期間内に発見したと主張する地域に対する実効的な支配によって補完される必要がある(1928年の「パルマス島事件」仲裁判断2)。

【資料 1】
「魚釣島外二島巡視取調概略[写]」(「沖縄県ト清国福州トノ間ニ散在スル無人島ヘ国標建設ノ件」『公文別録・内務省・明治十五年~明治十八年・第四巻・明治十八年』、1885年11月4日付の復命書)(国立公文書館所蔵)(尖閣資料ポータルサイト掲載)

 1885年の沖縄県による尖閣諸島現地調査に参加した沖縄県属(県職員)石澤兵吾氏による尖閣諸島現地調査の復命書。石澤氏を含む調査団6名は尖閣諸島の魚釣島に上陸し、同島の地勢と開拓の可否を調査した。

【資料 2】
「甲第1号 無人島久場島魚釣島之義ニ付伺」『帝国版図関係雑件』1890年1月13日(外務省外交史料館所蔵)(尖閣資料ポータルサイト掲載)

 1889年頃から尖閣諸島周辺海域への沖縄県の漁民の進出が活発化した。当時、尖閣諸島は所轄が確定していなかった。丸岡莞爾・沖縄県知事は、日本政府(山縣有朋・内務大臣(総理大臣と兼務))に対して、「水産取締之必要ヨリ」尖閣諸島を八重山島役所(現在の石垣市役所)の所轄とするように上申した。

【資料 3】
「八重山島ニ係ル書類 久場島」(作成期間は1889年12月から1890年4月までの間)(沖縄県立図書館所蔵)(尖閣資料ポータルサイト掲載)

 沖縄県属(沖縄県職員)として八重山島役所(現在の石垣市役所)に勤務していた塙忠雄氏が所蔵していた行政文書。尖閣諸島周辺海域における漁業についての聞き取り調査が含まれている。資料には合計78名が尖閣諸島の久場島と魚釣島に渡航したとある。また添付資料には、八重山島役所長から沖縄県知事宛ての尖閣諸島を八重山島役所の所轄に編入したいとする伺書も含まれている。

【資料 4】
「「沖縄県警察統計表 明治24年」(1891年12月11日訓令、1892年12月7日収録誌刊行)(国立国会図書館所蔵)(『平成31年度尖閣諸島に関する資料調査報告書』32頁掲載)

 沖縄県警察部編纂の年次報告書である。1891年12月、沖縄県知事から八重山島警察署に対して、阿根久場島(尖閣諸島の別称)を暫定的に同署の所轄として取り扱うように命令がなされた(「阿根久場島ノ警察所轄仮りニ八重山島警察署ニ付ス」)。
 1895年1月の領土編入措置に関する閣議決定によって日本による管轄権行使が突如として始まったのではなく、尖閣諸島周辺海域の漁場として活発に利用されている実情をふまえて、当該閣議決定以前から沖縄県警察が管理を試行していたことが分かる資料である。

【資料 5】
「無人嶋海産業着手ノ主旨目的一班」(1893年作成)(沖縄県公文書館所蔵)(『平成31年度尖閣諸島に関する資料調査報告書』34頁掲載)

 熊本県の士族・野田正氏が率いる漁業者団体が作成した尖閣諸島への出漁計画書。「八重山諸島ト台湾島トノ間ニアル無人島、尖閣群島ニ於テ海産物捕獲ノ業ニ従事スル事ニ決ス」とある。野田氏の尖閣諸島への出漁は、『読売新聞』、『九州日日新聞』笹森儀助『南島探検』(尖閣資料ポータルサイト掲載)にも記録されている。

【資料 6】
沖縄県知事による国標建設の再上申(「甲第111号」『帝国版図関係雑件』、1893年11月2日付の上申)(外務省外交史料館所蔵)(尖閣資料ポータルサイト掲載)

 尖閣諸島への漁民の出漁がさらに活発化し、その取締りが必要であるとして(資料には「近来該島ヘ向ケ漁業等ヲ試ミル者有之取締上」とある)、奈良原繁・沖縄県知事は日本政府(井上馨・内務大臣と陸奥宗光・外務大臣)に対して所轄編入と国標建設を再び上申した。

【資料 7】
内務大臣が閣議を求めた文書(「秘別第一三三号 標杭建設ニ関スル件」『公文類聚・第19編・明治28年』、1895年1月12日付の文書)(国立公文書館所蔵)(尖閣資料ポータルサイト掲載)

 沖縄知事から政府に宛てた1893年11月2日付の上申書(資料5)への回答に際して、野村靖・内務大臣が作成した閣議を求めた文書である(1895年1月12日付)。この資料には、これまで無人島だった久場島と魚釣島について、近年漁業を試みる者があり、その取締りの必要があるため、沖縄県の所轄とし標杭を建設したいとの上申があり、これらの島は同県の所轄と認めることができるので、上申のとおり標杭を建設させたいとある。

【資料 8】
国標建設と沖縄県所轄を認める閣議決定(閣議決定 指令案 標杭建設ニ関スル件請議ノ通 『公文類聚・第19編・明治28年』、 1895年1月14日付の決定)(国立公文書館所蔵)(尖閣資料ポータルサイト掲載)

 久場島と魚釣島の沖縄県への所轄編入の閣議決定文面と(1895年1月14日付)、同県への指令案。閣議決定には、久場島と魚釣島と称する無人島で漁業を試みる者がおり、その取締りの必要があることから、沖縄県知事からの上申(資料5)の通り、沖縄県所轄と認めて、標杭の建設を許可するとある。

註1

領域権原の取得方式は、先占のほかに、添付(accession)、割譲(cession)、時効(prescription)、併合(征服)(annexation)がある。

註2

Island of Palmas Case, Award, Reports of International Arbitral Awards, Vol. II, pp. 843-846.

ページの先頭に戻る
ipt" src="../assets/js/photoswipe.min.js" id="photoswipe-js">