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総合的論点

2. 1948年の米軍による射爆撃演習場の設置

 尖閣諸島周辺海域は東シナ海における鰹、カジキやマチ類(沖縄で使われている通称で、フエダイ科、ムツ科及びハチビキ科の総称)等の好漁場として漁業者に知られていた3。しかし、沖縄に駐留する米軍が尖閣諸島に払った関心は、尖閣諸島が東シナ海に浮かぶ無人島であるという地理的条件であった。

 米軍は1948年1月に尖閣諸島の久場島周辺区域を「永久危険区域」に指定し、同年4月に告知し、在沖縄米空軍の射爆撃演習場「黄尾嶼射爆撃場(Kobi Sho Range)」を設置した(→資料9, 資料10, 資料11)。

中華民国政府の対応

 尖閣諸島周辺海域の射爆撃演習場化については、1953年に中華民国政府の農林庁から外交部を通じて在沖縄米軍に対して演習場についての照会(照会の資料には「駐琉美軍指定琉球無人島戦略轟炸演習」とある)がなされている。1952年12月、農林庁は、外交部に対して、台湾漁民が毎年1月から5月にカジキ突き棒漁のために出漁する無人島(台湾での尖閣諸島の通称)を在沖縄米軍が射爆撃演習場にしたことについての照会を依頼した。これを受けて、1953年1月、外交部は、琉球を所管していた米国民政府に対して射爆演習場についての照会を行った(射爆演習場設置への抗議ではない)。米国民政府の回答は、尖閣諸島の久場島が射爆撃演習場として同島周囲5マイルが永久危険区域に指定されていること、台湾漁民による南西諸島の周辺海域への入域は米国民政府の事前許可が必要なこと、以上のことを台湾漁民が遵守していれば危険性は無いという回答であった。

 1972年5月に沖縄の施政権が日本に返還された後も、久場島と大正島の射爆撃演習場は、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」(日米地位協定)25条1項の規定に基づき設置された日米合同委員会において同協定2 条1 項(a)の規定に従い米軍が引き続き使用することが合意され、今日も存続している。

中華人民共和国政府の対応

 中華人民共和国政府は、尖閣諸島は「中国の領土」との主張であるにもかかわらず、第二次大戦後米国政府の軍事占領下および施政下に置かれ、1948年より久場島に在沖縄米空軍の射爆撃演習場がひろく周知されるかたちで設置されたことについて、また1971年6 月署名の沖縄返還協定では尖閣諸島が「返還区域」に含まれたことについて、1971年12月まで日米両国政府に対していかなる抗議も対抗請求もしてこなかった。

国際法上の黙認

 中華人民共和国政府の長期にわたる沈黙は、中華人民共和国政府の尖閣諸島の領有に関する主張とは明らかに矛盾するものであり、国際法上、黙認(acquiescence)を構成するものである。「主張すべきであり、かつ主張し得た場合に沈黙する者は、同意したものとみなされる」(1962年の国際司法裁判所(ICJ)「プレア・ビヘア寺院事件」判決4)。抗議は黙認を否定し、時効による権原(prescriptive title)または歴史的権原(historic title)が成熟するのを妨げる手段である。黙認した国は、黙認の対象となった他国の領有に関する主張やそれに基づく実行の効力を否認することができなくなる。

【資料9】
「作戦:射撃・爆撃演習場(第1航空師団規定55-8の更新)」(第一航空師団司令部作成 Personnel: Okinawan、1948年1月15日付の指定)(米国国立公文書館所蔵)(尖閣資料ポータルサイト掲載)

 コビ礁(尖閣諸島久場島)など5つの区域を永久危険区域として指定した1948年1月15日付の文書。

【資料10】
「琉球米軍司令部による永久危険区域の指定」(琉球政府総務局渉外広報部文書課作成 対米国民政府往復文書 受領文書、1948年4月9日付の指示)(沖縄県公文書館所蔵)

 琉球米軍司令部から沖縄知事に対する1948年4月9日付の指示文書。コビ礁(尖閣諸島久場島)など5つの区域を第一航空師団が使用する永久危険区域として指定したことを全関係者に告知するように指示している。
 また、琉球米軍司令部による永久危険区域の設定については、1948年5月25日付の『臨時北部南西諸島公報(奄美群島公報紙)』、同年5月27日付の『公報新宮古(宮古群島公報紙)』、同年11月1日付の『八重山タイムス(八重山群島紙)』などにも掲載された。
中華人民共和国政府による黙認の認定に関連して、在沖縄米空軍による久場島への射爆撃演習場の設置は当初からひろく周知されていたことを根拠づける資料である。

【資料11】
「沖水第44号 爆撃演習による出漁禁止区域について」(沖縄民政府作成 1948年4月22日付の告知)(沖縄県公文書館所蔵)(『平成31年度尖閣諸島に関する資料調査報告書』98頁掲載)

 1948年4月9日付の琉球米軍司令部から沖縄知事に対する指示を受けて、沖縄水産部長が沖縄水産組合連合会長や各水産組合長等に対して爆撃演習による出漁禁止区域を告知した文書。
 中華人民共和国政府による黙認の認定に関連して、在沖縄米空軍による久場島への射爆撃演習場の設置は当初からひろく周知されていたことを根拠づける資料である。

註3

國吉まこも「尖閣諸島における漁場の歴史と現状」『日本水産学会誌』77巻4 号(2011年), pp.704-707.

註4

Case concerning the Temple of Preah Vihear (Cambodia v. Thailand), Judgement (Merits), ICJ Reports 1962, p. 23.

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