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国家公務員として、さまざまな分野、地域で活躍し、時には失敗もしながら、着実に経験と成長を重ねてきた女性職員たち。
彼女たちを見て、「こうなりたい」または「こんな風には頑張れない」など、さまざまな感想を抱くと思います。
あなた自身が、共感できる、尊敬できる「要素」を探してみてください。
みなさまの一歩踏み出す勇気として、その「要素」が参考になれば幸いです。
2023年度は、子育て中の女性が珍しかったポストへの就任や、転勤、不妊治療、出産・育児など、
キャリア上の様々な課題に「挑戦」してきた女性職員をご紹介します!
平成11年 | 建設省入省 |
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平成14年 | 米国留学(都市計画、都市経済) |
平成16年 | 道路局 路政課法令係長 |
平成17年 | 都市局 都市計画課 開発企画調整室 課長補佐 |
平成19年 | 外務省 国際協力局 有償資金協力課 課長補佐(南アジア等の国々への円借款供与) |
平成21年 | 住宅局 住宅総合整備課 課長補佐(家賃債権回収事業者関係の法案検討) |
平成22年 | 台東区 都市づくり部長(東京スカイツリー開業を見据えた上野・浅草まちづくり等) |
平成24年 | 観光庁 国際観光推進課 海外旅行推進官 |
平成25年 | 産前・産後休暇、育児休業(1年3ヶ月) |
平成27年 | 在米国日本大使館(住宅分野を中心とした日米協力等) |
平成30年 | 住宅局 住宅総合整備課 賃貸住宅対策室長(西日本豪雨対応等) |
令和2年 | 住宅局 住宅生産課 住宅瑕疵担保対策室長(既存住宅流通に関する法改正対応) |
令和3年 | 不動産・建設経済局 国際市場課長(現職) |
私が国家公務員という働き方を選んだのは、世の中のためになる仕事ができるのではないかと考えたことが第一でした。
建設省(現在の国土交通省)に入省した当時、担当していたのは住宅の税制に関する分野。スピードが求められる仕事が多く、やるべきことはその日に終わらせるまでやる風土だったこともあり、長時間残業が恒常化していました。
そんな中、世界のビジネスや社会課題を学ぶ機会として、入省4年目に2年間のアメリカへ留学も経験。都市計画や都市経済を学ぶチャンスを得ました。日本とは違い、多くの人種が集まり貧富の差も大きい国に身を置き、その地における都市政策やインフラ整備を学んだことは、帰国後の業務や外務省への出向の場面でも大いに役立ちました。社会課題に対して、多様な立場に目を向ける視点が身についたと感じています。
キャリアを重ねていく中で、自分のスキルが追いつかずに落ち込んだこともあります。仕事に対する想いが揺れていた30歳で結婚をし、35歳で妊娠。産前・産後休暇も合わせて、子どもが1歳になるまでは育児休業を取得することで職場と話を進めていましたが、産前休暇に入る直前、民間企業に勤務する夫のアメリカ転勤が決まりました。
育児休業を延長したり、配偶者同行休業制度を利用して夫の海外勤務へ同行することも視野に入れて人事担当に相談したところ、ワシントンにある日本大使館に転勤してはどうかという提案していただきました。そこで約1年間の育児休業を経て、子どもが1歳になった平成27年から、日本大使館で住宅分野を中心にした日米協力事業などに携わることになったのです。
もともと日本大使館には、私のような各省庁からの出向者が多いのですが、人事課の意向に加え、タイミング等の本人の希望も考慮されることもあり、当時は独身者や既婚男性が多く、子育て中の女性館員はめずらしかった時代でした。特に、私のポストは、一等書記官という、担当分野の責任者的役職でもあったので、尚更小さな子どもを抱えた女性職員がつくことはめずらしかったのかなと思います。そうしたなか、不安もなかったわけではありませんが、私を含め、当時の日本大使館には、小さなお子さんの子育てをしながら働く女性館員も徐々に増えてきたところでもあったので、大使館内にもノウハウの蓄積が少ないところを、彼女達と協力しながら1つ1つ切り拓いていきました。
また、アメリカでは子どもをベビーシッターに預け、必要に応じて家事支援サービスなども利用しながら、仕事と子育てを両立させることが当たり前です。「できないことはプロに頼む」「家事にお金を使うのは当然のこと」という環境の中で子育てを行う経験ができました。そのため帰国してからも、家事や子育てに関するサービスを利用することに抵抗がなくなりましたね。子どもと一対一で向き合う育児休業期間と子育てをしながら働く時間、その両方を経験したことで、私は家庭と仕事を両立させるほうが幸せを感じられるのだと痛感しました。
子どもを預けている間、集中して計画的に仕事を進めて、帰宅したら家族との時間を大切にする。このような日々を送れたのは、家族が同居できる働き方や、留学時代に学んだことを活かせる大使館での業務を用意してくれた職場のおかげ。今振り返っても、感謝の気持ちでいっぱいです。
平成30年に帰国し、国土交通省住宅局住宅総合整備課賃貸住宅対策室長として管理職の立場になりました。これまでの補佐としての働き方とは異なり、自らが状況を判断して決断をしていかなければなりません。省内では、まだまだ管理職級の女性は少なく、このポストも、小さな子を子育て中の女性が着任したのは初めてだったのではないかと思います。さらに、この時のチームは、6人という小さなチームでしたが、室長の私だけでなく補佐、係長もすべて女性という省内でもめずらしい構成。子育て中の私を含め、メンバー同士がお互いのライフスタイルを尊重しながら、スムーズに仕事を進めていけるよう、災害対応で必要となった業務をマニュアル化したり、当番制を採用して早く帰宅する人と執務室に残る人を決めるなど、室員で協力してメリハリある働き方ができる環境を構築しました。
本省に復帰した直後は西日本豪雨が発生し、災害対応として連日の現地情勢の把握やそれにともなう対応方針の相談など、緊急の判断が求められる場面も多々ありました。そこではメンバー内で「仕事の手は抜かない。でも1分でも早く業務を終える」という目的意識を共有し、助け合いながら、これまで男性が率いてきたチームと同等の成果を出すことを前提にして日々の業務に向き合えたと思います。
チームをまとめていく上で大切にしているのは、メンバーから相談を受けたら方向性を早く提示することです。誰かのところで判断を止めず、今できることとできないことを明確にすることによって、チームは先を見据えて動くことができるのではないでしょうか。
また、私が入省したころに比べて女性職員も増え、男女ともに働き方が多様化しています。私自身、家庭や育児と仕事の両立に悩んだこともありますが、仕事を続けられるように周囲が配慮する体制もより広がってきていると感じますね。
我が家の場合は、夫が家事やお迎えなどの子どもの世話を当たり前にしていることも、私がこうして管理職として勤務できている一つの理由だともいえるでしょう。
現在は、建設業界における外国人労働者の受け入れ関係の業務を担当しています。今の時代ならではの課題を解決するための新しい取り組みであるため、現場を見聞きして学ぶことも必要です。テレワークも活用していますが、現地を訪問しなければわからないこともあります。そのため海外を訪問しての交渉や業界団体との交渉も多く、数日間家を空けることが増えてきました。
出張の際にはスケジュールを詰め込んでできるだけ短期間で終わるように工夫しつつ、家のことは夫と情報を共有しながら乗り越えています。8歳の息子に出張の予定を伝えると泣き出してしまうこともあり、それが心苦しいのですが、仕事も家庭も一人ですべてを担うことはできません。周囲との協力体制を作り、テレワークなども活用しつつ、誰もが働きやすい職場にしていきたいと考えています。
こうして自分の仕事や働き方を振り返ってみると、すべての経験やキャリアはつながっているんだと感じます。国際化や高齢化などといった今ならではの課題に、今まで培った知見を活かして取り組んでいきたいですね。
これまで日本が積み上げてきた産業と、次の時代に必要とされるべきこと。現代的課題を考えながら、後輩たちの働きやすい環境づくりにも向き合っていくことが、私のこれからのテーマになっていくと思います。
公務員の仕事において、男女の差別はないと考えています。特に昨今は女性職員の数も増え、さまざまな立場の人が働きやすいように制度も進化していますよね。
世の中の課題をいち早く察知し、解決するための制度を実践しているのが、私たち国家公務員。新しく作られた制度を現場に根付かせる力は、経験によって強まっていくものだと感じています。
しかし子育てをはじめ、多くの場面でそれぞれ不安に思うこともあるでしょう。私たちも若いころ、同じように悩みもがいてきた経験があります。同じ状況にある後輩がめげてしまうことがないように声をかけ、相談に乗ってくれる先輩たちがたくさんいるはずです。
家庭でも仕事でも、何か困難が起きたとき、一人で何でもやろうとしなくていい。周りの手を借りながら、お互い様の気持ちで乗り越えていけばいいんです。
私たち国家公務員はとても大きな組織です。だからこそ助けてくれる人がいて、助けてくれる場所があるということを知ってください。
実際、今は誰かに助けられているかもしれませんが、あなたが誰かを助ける番になる日はすぐにやってきます。自分が一生懸命やってきたことが、次につながっていくはずです。
まだ起きていないことを先回りして悩まず、そのときになったらきっと何かいい解決法が見つかる、そう考えて日々を乗り越えていきましょう。
平成12年 | 高松保護観察所 保護観察官 |
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平成14年 | 法務省 保護局 観察課 観察係(保護観察処遇に関する施策立案、実施状況の調査等にかかる事務) |
平成16年 | 大阪保護観察所 保護観察官 |
平成17年 | 内閣府 男女共同参画局 推進課 暴力対策推進係長(ドメスティック・バイオレンス被害者等の支援に携わる地方公共団体の担当者等への研修、一般広報・啓発活動の実施) |
平成19年 | 関東地方更生保護委員会 保護観察官 |
平成21年 | カナダブリティッシュコロンビア州司法研修所にて在外研修 |
平成22年 | 広島保護観察所 福山駐在官事務所 保護観察官 |
平成24年 | 静岡保護観察所 保護観察官 産前・産後休暇、育児休業 |
平成26年 | 東京保護観察所 保護観察官 |
平成31年 | 東京保護観察所 社会復帰調整官 |
令和3年 | 関東地方更生保護委員会 総務課長補佐 |
令和4年 | 法務総合研究所 研修第二部 教官(現職) |
入省以来保護観察官としてさまざまな事案に向き合ってきました。私たち保護観察官は、犯罪や非行をした人を、社会の中で生活していけるように指導する役割を担います。彼らがしっかり遵守事項を守りながら生活を送ることができているかを面接や家庭訪問などで確認するのと同時に、生活における困りごとの相談に乗ることも多々ある仕事です。
高齢、障がい、貧困などの課題にぶつかる人も多く、社会資源につなげていくことも、私たちの役割のひとつです。
保護観察官は全国に1000名ほどしかいません。そんな私たちの業務を地域で支えてくださるのが、全国に4万人以上いらっしゃる保護司のみなさんです。地域事情に精通した人生の大先輩でもある保護司のみなさんと協働することを大切にし、地域ごとの社会資源を把握しながら日々の業務を進めます。
異動したそれぞれの地域で得た情報やノウハウを循環させながら、保護観察官としての知識や強みを磨いてきました。
保護観察を受ける方は、まさに人生の岐路に立っているといえます。そのような方々の歩む道を一緒に考えていける、それがこの仕事の魅力でもあり、難しさでもあると感じています。
転勤の多い保護観察官の仕事について、若いころは「いろいろな地域に行けて面白そう」「第二第三の故郷ができる」と思っていました。
いずれは各地の保護観察所と施策を立案する本省、その両方を経験してキャリアを重ねていきたいと考えていましたが、当時本省においては、子育て中の女性の先輩が身近にいらっしゃらなかったこともあり、正直なところ育児をしながら仕事を続けていけるのかという不安もありましたね。
30歳を前に結婚をしましたが、夫の仕事も転勤が多く別々に暮らす期間も長くありました。出産前には内閣府への出向、カナダでの研修や広島勤務を経て、妊娠中に静岡へ単身赴任することに。当時は夫が東京で働いていたため、広島に残るより、別居であっても少しでも近くで働きたいと考えての決断でした。かかりつけ産院を何度も変更した上、出産施設がなかなか決まらないなどの問題を前に、焦ったこともありますが、周囲のサポートを受けながら無事に出産。その後自宅のある東京に戻り、一年半の育児休業を取得しました。
仕事復帰にあたり苦労したのが、保育園を見つけることでした。働くためのスタートラインに立つことがこんなにも難しいことなのかと驚いたことを、今でもよく覚えています。
育児休業前に勤務していた静岡保護観察所に戻ることも想定されましたが、職員申告票で希望をお伝えしたところ、職場の配慮により東京の自宅から在来線で通勤できる東京保護観察所配属として仕事復帰となりました。
仕事復帰最初の壁は、育児をしながら業務を担うことの難しさでした。夫婦ともに、土日や夜間に仕事が入ることもあり、家庭と仕事、その時間のやりくりに戸惑う毎日で、夫も私も精神的に追い詰められたこともあります。「このままではまずい」「無理をして家族みんなが疲弊すべきではない」と感じ、家事支援サービスをはじめとする外部サービスを取り入れる判断をしました。
また、子どもが小学校に入る2年前から、夜間まで預かり可能な民間の学童保育の予約をするなど、事前の準備も行いました。さらに同僚とのコミュニケーションを大切にし、誰かが困っているならできるだけ仕事を引き受け、逆に私が育児などで休暇を取得する場合にはフォローをお願いするといった、いわば「お互い様」の助け合いを意識しながら、少しずつ仕事と育児を両立できる環境を整えていきました。
子どもが小学3年生になった令和3年、埼玉県にある関東地方更生保護委員会の総務課長補佐という、多忙な役割を担うことに。終電帰宅になることも多く、子どもからの「いつ帰ってくるの?」というメールに、複雑な思いを抱くこともありました。
その後、子どもに職場を見学させる機会があり、少しの時間ではありますが、オフィスで私と子どもとで一緒に机に向かうという体験をしました。それにより、子どもなりに私の仕事を理解し、誇りに思っているということを知れたのが嬉しかったですね。
令和4年から法務総合研究所にて、教官として勤務しています。ここでの私の仕事は、全国から集まる更生保護官署の職員に対する研修の実施。さまざまな人の経験や意見に触れ、刺激を受ける毎日です。研修参加者からの嬉しい声に、私自身も大きなエネルギーをもらっていますね。特に若手の保護観察官の研修については、次世代の更生保護を担う人材を育てていることへの責任とやりがいを感じます。
現在の職場では、一部の事務をテレワークで行うことも可能です。スケジュールを立てやすい業務なので、子どもと向き合う時間を多く取れるようになりました。
保護観察官という仕事は、困難な境遇にある方々と接する仕事です。「ここまでやればOK」というような明確な区切りや正解もありませんし、関われば関わるほどいいのかといえば、そういうわけでもなく、個々人の課題やニーズを見きわめることが重要です。ですので、自分自身の精神状態が安定していないと、上手く対応できなくなる場合もあります。キャリアを重ねていくうちに、自分自身の感情コントロールや、無理をしすぎない働き方の構築の重要性を実感するようになりました。できる範囲で最善を尽くしていくのが私たちの仕事だということを、後輩たちにも伝えていきたいですね。
ここまで仕事を続けてこられたのは、支えてくださった上司や同僚、後輩たち、そして家族のおかげです。その恩返しとして、私のこれまでの経験を生かして組織に貢献していくことが、これからの目標です。
将来子どもが自立した際には、まだ経験していない庁での勤務、まだ出会ったことのない人たちとの仕事で、さらに多くのことを吸収していきたいです。
近年では、仕事と育児・介護などを両立しながら活躍している職員の姿が、性別を問わず日常の光景として受け止められるようになってきました。しかし配属部署や転勤先によっては、常に良い条件が整っているとは限らないという現実も。私自身もこれまで何度もピンチがあり、「今度こそもう無理かもしれない」と思ったこともあります。そしてこれからも、ピンチに直面することがあるでしょう。
その一方でこれまでのキャリアを振り返ると、こうしたピンチは、自分自身の仕事の仕方、職場の環境、家事の方法を見直す機会にもなってきました。また誠実に日々の仕事に取り組んでいれば、必ず支えてくれる人がいるはずです。
保護観察官という仕事を続けてきて感じるのは、家庭のあり方やその環境が個人の人生に与える影響の大きさです。男女ともに子育てに積極的にかかわることの大切さを意識せざるをえない場面にも度々遭遇してきました。
子育てと仕事を両立させていく中で困難にぶつかることもありますが、無理をせず、焦ることなく一歩一歩目の前のことに取り組んでいきましょう。
入省当時、私の担当していた業務は大変忙しく、男女の違いを意識することもなく昼夜仕事に励んでいました。その忙しさが一つのやりがいになっていたのだろうと思います。
職場には女性が少なく、キャリアモデルとなる女性の先輩に出会う機会はあまり多くはありませんでした。そのため、若手時代は未来のことをあまり深く考えず毎日を送っていました。結婚や出産、特にライフスタイルが大きく変わることが想定される出産については、その変化を前提としてキャリアプランを考えないといけないだろうな、という意識はあったものの先延ばしにしていたのが実情です。
そうして仕事に邁進する日々を送る中、結婚をしました。結婚後も変わらず仕事に打ち込んでいましたが、ある日風邪を引いたと思い病院へ行ったところ、婦人科系の病気が見つかり、すぐに手術が必要な状況だと告げられました。振り返ると、確かに生理痛が重いように感じていましたが、そこまで深刻には考えていなかったのです。
まずは見つかった病気の手術をすることを職場に伝えてスケジュールや業務の調整を行いました。そしてこの病気の治療に関して医師と相談する過程で、手術後時間が経つと妊娠が望めなくなるという話が出たのです。
夫婦共に子どもが欲しいという希望があったことから、病気治療と平行して不妊治療をスタートすることにしました。とにかく素早い決断が必要な状況だったこともあり、将来のキャリアプランを考える前に、自分の病気治療と不妊治療が始まってしまったというのが実感です。
年次休暇を使って通院を続けましたが、なかなか子どもを授かるまでには至らず、不妊治療を開始した約1年後、もう一歩進んだ治療への切り替えを検討することに。しかしそうなると、さらに通院回数が増え、スケジュール管理も厳密さが求められるようになります。やりがいのある仕事ができていたため、その職場を離れることには躊躇がありましたし、通常の異動のタイミングではない時期に異動を申し出ることについては、職場に迷惑をかけることになるので非常に悩みました。結局、今の職場では仕事も不妊治療も続けることができないと考え、上司や人事に異動の希望を伝えることにしました。
幸い、異動の相談をした直属の上司が親身に相談に乗ってくださり、一緒により良い道を考えようと悩んでくれたこと、そして人事の担当者もキャリアを続けられるよう尽力してくださったことで、業務が比較的落ち着いたポストに異動となりました。
不妊治療はとても繊細な性質の話です。そしていつ結果が出るのか、いつ治療方針が変わるのかもわかりません。そんな中で自身のキャリアをどのように築いていくのかを考えるのは難しいことだと思います。
他方で、組織を運営する側としては、私のように突然異動の希望を出されても、簡単には対応できないという現実もあるでしょう。
話しにくいこともありますが、もう少し前もって、可能性の段階の話でもよいから、あらかじめ上司や人事担当者に自分の状況を伝えておくべきだったというのが、私の反省点です。
国家公務員には、各種の休暇制度も整備されており、不妊治療にかぎらず、病気や育児、介護などで働き方を変えたいと考えたときに、柔軟に対応してくれる環境があります。上司をはじめ周囲の理解も深まってきており、女性のライフスタイルの変化を支えてくれるでしょう。
また多様な職員が働いていることから、自分と同じような悩み、課題を抱えている方や乗り越えた方にも出会える場合も多いと思います。私自身、病気や不妊治療のことを思い切って先輩に相談してみたら、先輩も同じような経験をしており、アドバイスをいただけたことがありました。困ったときには一人で抱えず、話せることから周囲に相談してみることは、とても大事だと思います。
最近は男性職員が育児のための休暇や育児休業を取得することが当たり前になってきていますし、既婚未婚問わず、男性職員の出産や育児に対する意識も大きく変わってきていると感じますね。育児は女性だけに任せるものではないと思っている若い男性職員も増えています。
自身でも育児を経験したり、部下の産休・育児休暇や育児休業取得の支援をサポートした経験のある管理職も増え、不妊治療や育児に関わる制度が使いやすい環境にもなってきていると思います。
ぜひ不妊治療にかかわる休暇制度※、産休・育児休暇や育児休業などの支援体制などを知って、いざ自分が必要となったときに職場に相談する糸口としてほしいと思います。
また、不妊治療をする職員の生活の実態について、人事や管理職、幹部が知識を持つ必要性も増しているといえるでしょう。具体例を使って実情を伝える研修が有効だと思いますし、そうした研修が行われていることを、制度を利用する職員が知っていることも、相談のしやすさを醸成すると思います。
まだまだ子育てをしながらキャリアアップしている女性のロールモデルが少ないので、若い女性職員が「この働き方を続けて、先はあるのだろうか」と不安になっているという声も聞きますが、「大丈夫です」と伝えたいですね。
そのためにも私が職場に残り、子育てをしながら思い切り仕事をすることに意味があるのだと考えています。限られた時間の中でもしっかり成果を出し、できる限りキャリアも家庭も諦めずに頑張っていく。それが後進の道幅を少しでも広げることにつながっていくはずだと思っています。
女性の社会進出にともない妊娠・出産の高齢化が進み、不妊治療を必要とすることは誰にでも起こりうると思います。仕事が充実していると考えもしないかもしれませんが、若いうちからご自身の身体をいたわってください。特に婦人科系の不調は放置せず、できるだけかかりつけ医を持ち、不調があればすぐに相談する関係を築いておくことをおすすめしたいです。
不妊治療、あるいは妊娠や出産、そしてその後の子育てなどにより、フルコミットで仕事をするのが難しくなる時期というのは、どうしてもやってくるもの。そのタイミングがいつなのか見通すことは難しく、突然人生の路線変更を求められて立ちすくむこともあるかもしれません。
でも大丈夫です。一人で悩まずにご家族や職場の上司、同僚などとよく相談しながら、自分を大切にする時間を持ってください。そして体調が許す範囲で、そのときの自分にできる責務を果たしていきましょう。
「仕事も人生も、長い目で見ることが大事だよ」とかつての上司に言われたことがあります。一時は不妊治療や妊娠・出産でかなりキャリアを減速した私も、今ではバリバリと楽しく働いています。いつかあなたもご自身の経験を生かして、他の誰かを支える日が来るかもしれません。
※令和4年1月1日から、不妊治療に係る通院等のため勤務しないことが相当であると認められる場合に使用できる有給の休暇「出生サポート休暇」が新設されました。あわせて、時間単位の年休取得や、フレックスタイム制、テレワークの活用も可能です。
不妊治療に要する通院日数の目安は、おおむね下記のとおりです。ただし、下記の日数はあくまで目安であり、医師の判断、個人の状況、体調等により増減する可能性があります。
体外受精、顕微授精を行う場合、特に女性は頻繁な通院が必要となります。 また、一般不妊治療については、排卵周期に合わせた通院が求められるため、前もって治療の予定を決めることが困難な場合があります。 さらに、治療は身体的・精神的・経済的な負担を伴い、ホルモン刺激療法等の影響で、腹痛、頭痛、めまい、吐き気等の体調不良等が生じることもある他、仕事や治療に関するストレスを感じることもあります。
男性についても女性の周期に合わせた通院や治療への参加が求められる場合があります。また、男性も精神的な負担やストレスを感じることがあります。
また、1回の診療は通常1〜2時間ですが、待ち時間を含め数時間を要することもあります。
月経周期(25日〜38日程度)に合わせて一般不妊治療を月に何回行うかは、年齢や個人の状況によって異なりますが、目安として次の表を参照してください。
治療 | 月経周期ごとの通院日数の目安 | |
女性 | 男性 | |
一般不妊治療 | 診察時間1回30分程度の通院:4日〜7日 人工授精を行う場合、上記に加え 診察時間が1回2時間程度の通院:1日〜 |
0〜半日 ※手術を伴う場合 には1日必要 |
生殖補助医療 | 診察時間1回1〜2時間程度の通院:4日〜10日 + 診察時間1回あたり半日〜1日程度の通院:2日 |
0〜1日 ※手術を伴う場合 には1日必要 |
女性活躍、ワークライフバランス推進のための取組について、特徴的な取組は以下のとおり(令和4年末現在)。
Pick Up
環境省では、「育サポプロジェクト」を立ち上げ、育児中(育休中含む)の職員や管理職・庶務担当職員を対象に、両立支援やスキルアップのためのプッシュ型情報発信として、秘書課に窓口を開設し、メーリングリストによる情報発信や、セミナー等交流の機会を設けている。セミナーでは、育児の先輩職員の経験談を共有し、事前に募った育児の悩み等をベースにフリーディスカッションの時間を設け、相談や意見交換の場としている。また、参加しやすいよう昼休みにオンラインで開催しており、本省のみならず、地方の職員も多く参加している。セミナーの1回目は幅広に、2回目は小1の壁などをテーマに、3回目は育児中職員と働くことについて管理職向けの内容で開催し、セミナーを続けてほしいとの声が多くある。異動と子育て、パパの話を聞きたいなど個別の要望も多く寄せられている。
【資料1を参照】
Pick Up
環境省では、これまでのキャリアパス、今後のキャリア形成における希望について記載するように職員カード(人事異動に関する希望調査票)の様式を改変。あわせて、子どもの預け先や送迎状況等を職員の育児環境を詳細に記載する育児シートを用いて、職員の環境や希望を把握することで、人事配置を考慮している。
人事院では、面談とあわせて育休復帰プランシートを活用し、両立支援制度の利用状況や育児の協力体制、キャリアの希望等を把握することで、人事配置を考慮し、配属先の上司とも情報共有することで周囲の理解促進に努めている。
【資料2を参照】
Pick Up
環境省では、これまでのキャリアパス、興味のある分野、今後のキャリア形成における希望等について記載するように職員カード(人事異動に関する希望調査票)の様式を改変。業務改革推進室と協力しながら進めており、キャリアについて振返り、今後のキャリアを考えてもらう機会としている