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総合的論点

5.サンフランシスコ条約2条(c) によって日本が放棄した「千島列島」(the Kurile Islands) の範囲

 この問題は国際法の観点からは北方領土問題における最も重要な論点であるといって過言ではない。

 サンフランスシスコ平和条約の第2条(c) は、「日本国は、千島列島...に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する(Japan renounces all right, title and claim to theKurile Islands)」と規定する。

 放棄(renunciation) は国際法上、一方的法律行為の1つに該当する(一方的法律行為には、他に、一方的約束、承認、抗議、通告がある)2。放棄は条約において規定されることもあり、サンフランシスコ平和条約における日本の放棄もこれに該当する。

 この日本の放棄についてまず指摘すべきことは、日本はソ連に対してKurile Islands を放棄した訳ではない。この放棄は名宛人なき放棄であり、現在まで放棄の名宛人は決定されていないということである。それゆえ日本の公式地図では、日本が放棄したウルップ島以北の諸島は、ソ連・ロシアと同じ色は付されていない。

 サンフランシスコ平和条約の解釈全般についてまず留意すべきは、条約解釈の基本原則として「提案者・受益者に不利に」(contra proferentem)という原則が存在することである。これに依拠した判断も常設国際司法裁判所のブラジル公債事件判決(1929年)3等がある。この点に関連して、西村熊雄外務省条約局長が1951年11月7日に参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において次のように答弁したことが重要である。「条約解釈の原則といたしまして、義務を課する条約の解釈について疑いがあった場合には、義務を負う側に軽い意味にとるべきであるというのが原則であります。... 私どもとしては、この平和条約から負う日本の義務の解釈について疑いがある場合には、義務者にとって軽い意味にとるべきであるとの国際法の原則を守りたいと考えます。」

 この解釈基準は、放棄の範囲についての解釈基準とも整合的である。放棄対象の範囲が不明確な場合の解釈原則については、次の2つの国際仲裁判決が重要な判示をしている。①1931年のCampbell 事件仲裁判決(英国対ポルトガル)では、国際法上、放棄は推定されず、権利を捨て去ることになるため、放棄は常に厳格な解釈に服する旨、判示した4。②1968年のインド・パキスタン西部国境(Rann of Kutch) 仲裁判決では、「大湿原はインドのカッチ侯国の領土である」との英国のステートメントは潜在的な英国の領有権の自発的放棄であるとした上で、大湿原の範囲に関する不確実性はパキスタンに有利に解釈されるべきであるとした。その理由は、インドのカッチ侯国による要求は、要求者に不利に厳格に解釈されなければならず、英国によって発せられたステートメントは拡大解釈されてはならないからであるとした5。学説においても同様の指摘がなされている。Suyは『国際公法における一方的法律行為』と題するフランス語の著書の中で、「放棄の効果は権利の消滅であるので、その意図は厳格に解釈されなければならない。疑わしい場合には、放棄者に有利な意味において解釈されなければならない」と指摘している6

 日本政府の立場は、「日本がサンフランシスコ平和条約において放棄した千島列島の範囲はウルップ島以北の諸島に限られ、この点に何ら疑いはない」というものであるが、万一百歩譲ってこの日本が放棄した千島列島の範囲について疑いがある場合であると仮定しても、放棄の範囲の解釈についての国際法ルールから、放棄者に有利な狭い意味、つまり「放棄した千島列島の範囲はウルップ島以北の諸島に限られ、択捉島、国後島、歯舞群島、色丹島は含まない」という解釈が国際法に合致した合理的な解釈ということになる。

註2

一方的法律行為につき、中谷和弘『国家による一方的意思表明と国際法』(信山社、2021年)。

註3

PCIJ Ser.A, No.21, p.115.

註4

RIAA, vol.II , p.1156.

註5

RIAA, vol. XVII, p. 565.

註6

Eric Suy, Les actes juridiques unilatéraux en droit international public (LGDJ, 1962), p. 185.

6. ヤルタ協定について

 1945年2月11日のヤルタ協定(ソ連書記長スターリン、米国大統領ルーズベルト・英国首相チャーチルの間の秘密合意)においては、「千島列島は、ソヴィエト連邦に引き渡す」ことが3首脳の間で合意された。

 国際法上はヤルタ協定は法的拘束力を有しない非拘束的合意(ソフトロー、紳士協定)にとどまるものである。拘束力を有する条約でおいてさえ、「条約は第三国を益しも害しもしない」(pacta tertiis nec nocent nec prosunt) 以上、非拘束的合意にすぎないヤルタ協定が第三者対抗力を有することは全くなく、第三国である日本を拘束することは全くない。また、ヤルタ協定は3首脳間の共通の目的を述べた中間的な合意にすぎないため、領土移転の法的根拠には全くなりえない。

 この点に関連して、1951年10月29日の参院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において西村熊雄外務省条約局長は次のように答弁している。「ヤルタ協定は、要するに、日本の領土の一部の処分の問題に関する少数国の政治的約束であって、それが最終的に平和条約に如何に具現されるかということは、平和条約ができるまでの連合国間の交渉によってきまらざるを得ない、こういう関係であります。従って日本政府としては、ヤルタ協定には何ら拘束を受けないという従来の立場に間違いはないと思うのであります。」

7. 日ソ共同宣言第9項の解釈について

 1956年10月19日に署名され同年12月12日に発効した日ソ共同宣言第9項では、「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」と規定する。

 同項に関しては、次のように解釈することが、条約の解釈についての規則(条約法に関するウィーン条約第31条~第33条において規定され、慣習国際法になっている)に適合的な解釈である。

 第1に、本宣言によりソ連は歯舞群島及び色丹島を引き渡すことを日本に対して同意し、そのことは直ちにソ連及びソ連と継続性を有する同一の国家であるロシアを拘束する。
 第2に、「引き渡す」とは、領域権原の移転を意味するものではなく、物理的に引き渡すという意味である。
 第3に、歯舞群島及び色丹島の現実の引き渡し平和条約が締結された後であるが、これは先行して生じている義務の現実の履行日について言及するものである。平和条約が締結されるまでは引き渡しの義務が生じない訳ではなく、引き渡しの義務は遅くとも日ソ共同宣言が発効した1956年12月12日に生じている。
 第4に、同項は、択捉島及び国後島については何も述べていない。両島の領有権をめぐる紛争については、日ソ共同宣言はいなかる影響も及ぼすものではない。

8. 「国際社会における法の支配」の回復のための闘争

 1945年8月28日から9月5日にかけてのソ連による日本の北方領土の不法占拠は、2022年2月24日のロシアによるウクライナ侵略同様に、重大な国際法違反であり、「力による一方的な現状変更」であった。北方領土の返還は、単に日本の主観的な権利回復の問題にとどまらず、「国際社会における法の支配」の回復の問題でもある。千島列島の放棄がサンフランシスコ平和条約によってなされた以上、日本による「国際社会における法の支配」の回復のための闘争に同条約の締約国が支援することが求められる所以である。

外務省ホームページ「北方領土問題の経緯(領土問題の発生まで)」 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_keii.html による。
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