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総合的論点

補論 国際法から見た北方領土問題

中谷 和弘 (東京大学大学院法学政治学研究科教授)

1. はじめに

 本稿においては、上述の尖閣諸島と竹島に加え、北方領土をめぐる日本とロシアの間での領有権をめぐる紛争について国際法の観点から、とりわけ、国際司法裁判所にこの紛争が付託された場合には、良識的な裁判官はどのように判断することが期待されるかという観点から、検討することにしたい。

2. サンフランシスコ平和条約までの前史

 北方領土とは、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島を指す。日本政府は、北方領土は歴史的に外国の領土になったことはないという立場をとっている。サンフランシスコ平和条約までの前史(日本とロシア・ソ連の間の主要な合意等)は次の通りである。

 ①領土問題に関する両国間の最初の合意であり、1855年2月7日に署名され、1858年12月7日に発効した日魯通好条約(下田条約)においては、当時自然に成立していた両国の国境を確認する形で、択捉島とウルップ島との間に国境が引かれた。同条約第2条では、「今より後日本国と魯西亜国との境『エトロプ』島と『ウルップ』島との間に在るへし『エトロプ』全島は日本に属し『ウルップ』全島夫より北の方『クリル』諸島は魯西亜に属す『カラフト』島に至りては日本国と魯西亜国との間に於て界を分たす是迄仕来の通たるへし(以下略)」と規定した[地図A参照]。

 ②樺太千島交換条約(1875年5月7日にサンクト・ぺテルブルクにおいて署名、同年8月22日発効)においては、日本は千島列島(シュムシュ島からウルップ島までの18島)を譲り受けるかわりに、ロシアに対して樺太全島を譲り渡した。即ち、第1款において、「大日本皇帝陛下ハ其後胤二至ル迄現今樺太島即薩哈嗹島ノ一部ヲ所領スルノ権理及君主二属スル一切ノ権理ヲ全魯西亜国皇帝陛下二譲リ而今而後樺太島ハ悉ク魯西亜国二属シ『ラペルーズ』海峡ヲ以テ両国ノ境界トス」と規定し、第2款において、「全魯西亜国皇帝陛下ハ第一款二記セル樺太島即薩哈嗹島ノ権理ヲ受シ代トシテ其後胤二至ル迄現今所領『クリル』群島即チ第一『シュムシュ』島第二『アライド』島第三『パラムシル』島第四『マカンルシ』島第五『ヲネコタン』島第六『ハリムコタン』島第七『エカルマ』島第八『シャスコタン』島第九『ムシル』島第十『ライコケ』島第十一『マツア』島第十二『ラスツア』島第十三『スレドネワ』及『ウシシル』島第十四『ケトイ』島第十五『シムシル』島第十六『ブロトン』島第十七『チェルポイ』並ニ「ブラット、チェルポエフ」島第十八『ウルップ』島共計十八島ノ権理及君主二属スル一切ノ権理ヲ大日本皇帝陛下二譲リ而今而後『クリル』全島ハ日本帝国二属シ東察加地方『ラパツカ』岬ト『シュムシュ』島ノ間ナル海峡ヲ以テ両国ノ境界トス」と規定した[地図B参照]。

 ③日露戦争の結果締結されたポーツマス講和条約(1905年9月5日署名、同年11月25日発効)により、日本は南樺太(北緯50度以南)の割譲を受けたが(第9条)、千島列島の法的地位は何ら変更されなかった[地図C参照]。

 ④1945年8月9日、ソ連は効力を有していた日ソ中立条約に違反して対日参戦した。8月14日に日本がポツダム宣言を受諾した直後の8月18日に千島列島の占領を開始し、8月28日から9月5日までの間に北方領土を占領した。それ以降、ソ連及びロシアは国際法に違反する物理的占拠を継続している。しかしながら、国際法上、「不法から権利は生じない」(ex injuria jusnon oritur) のである。なお、国際裁判になった場合には、北方領土問題の決定的期日(critical date) をどの時点に設定すべきかという問題が生じうるが、1945年8月28日から9月5日にかけてのソ連による不法占拠の開始時点に設定することが「不法から権利は生じない」こととも整合するため合理的である。この時点以降に行われたソ連・ロシアによる北方領土における既成事実化のための諸行為は、領域権原の帰属を決定するに当たって何ら影響を及ぼさない。

 ⑤1951年9月8日に署名され、1952年4月28日に発効したサンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)第2条(c)では、「日本国は、千島列島(the Kurile Islands) 並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と規定した[地図D参照]。

3. サンフランシスコ平和条約の有権的解釈権は誰が有するか

 条約の有権的解釈権は、当該条約の当事国が有する。このことは、常設国際司法裁判所(PCIJ)の Jaworzina 事件勧告的意見(1923年) において「ある法規則の有権的解釈を与える権利は、それを改廃する権能を有する者又は機関のみが有する」と判示している1ことからも明らかである。それゆえ、サンフランスシスコ平和条約の有権的解釈権は同条約の当事国が有する。

 同勧告的意見の意味する所は、①非締約国には有権的解釈権はない、②両締約国が合意で国際裁判所に解釈を求めた限りにおいて、国際裁判所が有権的解釈権を有する、ということである。①から、ソ連・ロシアはサンフランシスコ平和条約の非当事国である(ソ連のグロムイコ全権は会議を途中でボイコットし、同条約には署名しなかった)ため、同条約(特に第2条(c)で日本が放棄した「千島列島」の範囲について)の有権的解釈権を持たない。②から、国際裁判所に解釈を求めれば、有権的解釈権は国際裁判所に委譲されることになる。

 同条約第22条は、「この条約のいずれかの当事国が…条約の解釈又は実施に関する紛争が生じたと認めるときは、紛争は、いずれかの締約国の要請により、国際司法裁判所の決定のため付託しなければならない」と規定する。「サンフランシスコ平和条約第2条Cで日本が放棄した千島列島はウルップ島以北の島々であって、択捉島、国後島、歯舞群島、色丹島は含まない」というのが日本の解釈であるが、この解釈と明示的に異なる見解を表明している同条約の他の当事国はないため、第22条を援用して国際司法裁判所に付託することは現実には容易ではないと言われる。但し、条項の細かい解釈をめぐる齟齬が日本と他の当事国で(または他の当事国間で)もしかしたら存在するかもしれず、もしそうであるならば国際司法裁判所への付託が可能となる。ロシアのウクライナ侵略という「力による一方的現状変更」、「国際社会における法の支配」の蹂躙という事態を機に、サンフランシスコ平和条約の第2条(c) 及び第22条の解釈について、各当事国の見解を明確化することが有益だと思われる。

註1

PCIJ Ser.B, No.8, p.37.

4. 日本による国際司法裁判所への付託の提案とソ連による拒否

 1972年10月23日にモスクワで開催された日ソ外相会談において、大平外相は北方領土紛争の国際司法裁判所への付託を提案した。しかしながらグロムイコ外相(ミスター・ニエットと呼ばれた)はこれについても「ニエット」と言い付託を拒否した(1986年4月2日の参議院外務委員会における小和田恆外務省条約局長答弁参照)。そのため、北方領土問題の国際司法裁判所への付託はなされていない。

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