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時代別テーマ解説

時代区分 Ⅲ 戦後、サンフランシスコ平和条約発効前後 1945年~1952(昭和27年)頃

資料集 vol.2 サンフランシスコ平和条約の起草過程と連合軍の認識

①サンフランシスコ平和条約の起草過程

竹島を日本領とする米国国務省の条約草案注釈書 No.1 米国務省による1949年12月29日作成の米国草案に関する注釈書

1950年(昭和25年)7月

資料概要

 1949年(昭和24年)12月29日付で、米国国務省が作成した対日講和条約の草案に関する注釈書(1950年(昭和25年)7月付)。1949年12月29日付草案は、第2章「領土条項」第3条の「日本が領有する島嶼」に竹島が含まれており、この注釈書には、第3条の条文に対する説明が付されている。
 この注釈書では、竹島が1905年正式に日本の領土と宣言され、それに対して朝鮮から抗議はなく、島根県隠岐支庁の管轄下に置かれたこと、竹島でアシカ漁が営まれ、長い間、時期になると日本の漁師が出漁していたこと、竹島には朝鮮名がなく、朝鮮による領有主張が行われたことはないと書かれている。
 さらに注釈書は、別の個所において、竹島が、隠岐、佐渡、奥尻、礼文などと並んで「暴力と貪欲によって奪われた(“taken by violence and greed”)」島ではなく(この表現はカイロ宣言による)、他のどの国よりも日本から近く(closer to Japan than to any other nation)、また、他国から領有が主張されたことがないとの認識が示され、そのため、条約交渉にあたって、日本がこれらの島々を保持することについて疑問が挟まれることはないだろう(None has been claimed by another power and Japan’s right to retain them is not likely to be questioned in the treaty negotiations)との見方を示している。
 竹島が日本の領土であるとの米国の認識は、「対日講和七原則」に関するオーストラリアからの質問への回答にも引き継がれ(「竹島に関する資料調査報告書」(平成31年度) No.37参照)、いわゆるラスク書簡No.9に至るまで不変であり、さらには、竹島が、カイロ宣言に示された「暴力と貪欲によって奪われた」島ではなく、日本が放棄すべき島ではないとの認識を米国が持っていたこともこの注釈書から分かる。

内容見本

Takeshima (Liancourt Rocks) - The two uninhabited islets of Takeshima, almost equidistant from Japan and Korea in the Japan Sea, were formally claimed by Japan in 1905, apparently without protest by Korea, and placed under the jurisdiction of the Oki Islands Branch Office of Shimane Prefecture. They are a breeding ground for sea lions, and records show that for a long time Japanese fishermen migrated there during certain seasons. Unlike Dagelet Island a short distance to the west, Takeshima has no Korean name and does not appear ever to have been claimed by Korea. The islands have been used by U.S. forces during the occupation as a bomigng range and have possible value as a weather or radar station site.

日本語訳
竹島(リアンクール岩)- 日本海中ほぼ日本と朝鮮の等距離にある二個の無人の小島である竹島は、1905年に日本により正式に、おそらく朝鮮の抗議を受けることなく領土主張がなされ、島根県隠岐支庁の管轄下に置かれた。同島は、アシカの繁殖地であり、長い間日本の漁師が一定の季節に出漁していた記録がある。西方近距離にあるダジュレー島(鬱陵島)とは異なり竹島には朝鮮名がなく、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われない。竹島は、占領中、米軍によって射爆場として用いられてきており、天候測候所あるいはレーダー局を置くことで活用できる可能性がある。

作成年月日 1950年(昭和25年)7月
編著者 米国国務省
発行者 米国国務省
収録誌 RG59, Lot56 D527 Records of the Office of Northeast Asian Affairs, Relating to the Treaty of Peace with Japan - Subject File, 1945-51, Box1
言語 英語
媒体種別
公開有無
所蔵機関 米国国立公文書館
利用方法 米国国立公文書館で利用手続きを行う
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