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時代別テーマ解説

時代区分 IV 戦後、沖縄返還に向けた動きが顕在化するまで

(2) 射爆撃演習場に指定された久場島、大正島

1. 射爆撃演習場指定

 尖閣諸島には、米軍がその管理下に置く射爆撃場が二箇所存在する。久場島の「黄尾嶼射爆撃場(Kobi Sho Range)」No.50、大正島の「赤尾嶼射爆撃場(Sekibi Sho Range)」である。1948年(昭和23年)4月、琉球米軍司令部発琉球政府宛の通達には、コビ礁(久場島)、鳥島、イリソナ島の3島が米軍第一航空師団使用の「永久危険区域」に指定された旨記載されている。

 射爆撃演習場に指定された場所は、漁業者による出漁が禁止された。平成29年度までの資料調査では、遅くとも1948年(昭和23年)には久場島が射爆演習場として指定され、その旨が米国軍政府から下部の行政機構にあたる沖縄民政府に同年4月9日付で通達されていたことを示す資料を確認していたがNo.51、平成30年度の資料調査では、米国軍政府が沖縄民政府に対して出漁禁止区域を告知したこと、また、それを沖縄民政府が漁業関係者に通達していたことを示す同年4月22日付の資料を確認したNo.52

 戦後、沖縄を統治することになった米国が注目したのは、尖閣諸島の軍事訓練場としての有用性であった。

 なお、1978年(昭和53年)6月以降、久場島、大正島とも爆撃場の使用についての通告は行われていない。

1948年7月27日付
久場島 [危険区域の無期限使用告知]

2. 米軍と久場島所有者との軍用地契約

 米軍の射爆撃演習場として指定された久場島は、古賀善次が所有する私有地であったNo.27。米軍は、琉球政府を介し、同島を軍用地として借り上げる賃借契約を古賀善次と締結した。資料調査では、この契約に関する1958年(昭和33年)から1970 年(昭和45年)までの資料を確認したNo.53

米国(米軍)が尖閣諸島を施政下に置いて久場島、大正島を射爆撃演習場として利用し、戦前からの制度や財産を戦後も認めていた。

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