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時代別テーマ解説

時代区分 IV 戦後、沖縄返還に向けた動きが顕在化するまで

(3) 第三清徳丸襲撃事件

1. USCAR、琉球政府が管下で発生した事件として対応

1955年 陳情書(第三清徳丸事件)
1955年 陳情書(第三清徳丸事件)
所蔵:沖縄県公文書館

 1955年(昭和30年)3月2日、尖閣諸島の魚釣島でカジキ曳(ひき)縄漁を操業していた馬天港船籍の第一清徳丸、第三清徳丸のうち、第三清徳丸が青天白日旗を掲げたジャンク船に銃撃される事件が発生した。

 この襲撃事件により、第三清徳丸乗組員9名の内、3名が行方不明となった(生存者らの供述によると、2名が射殺されたとのことである)。その他の乗組員は海に飛び込んだのち僚船第一清徳丸に乗り移るなどして同海域を脱出した。

 事件の一報を受け、琉球政府は、琉球列島米国民政府(USCAR)と協議し、軍飛行機による哨戒等の措置が取られたが、犯人の行方については不明であった。

 また、立法院議会では事件の重大性に鑑み、3月5日、立法院決議(第5回議会(臨時)[決議案第15号 第三清徳丸乗組員に対する射殺事件の調査ならびに乗組員の救援に関する決議案] )を採択し、事件の調査解決を日米両政府及び国連へ訴えた No.54 No.55 No.56

 その後、USCARは、米国国務省を通じて中華民国外交部に事件の調査方を要請した。しかしながら、犯人の所属や行方などは判明せず、1968年(昭和43年)、琉球政府が被害者遺族に対して一時救済金を給付した。

沖縄県の漁船が尖閣諸島付近で国籍不明の船に襲撃された際、USCAR、琉球政府が魚釣島を管下にある島として認識し、事件の対応にあたっていた。

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