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時代別テーマ解説

時代区分 Ⅲ 戦後、サンフランシスコ平和条約発効前後 1945年~1952(昭和27年)頃

資料集 vol.2 サンフランシスコ平和条約の起草過程と連合軍の認識

①サンフランシスコ平和条約の起草過程

島嶼の帰属について英国の立場が分かるメモ No.5 米英事務レベル協議の中間報告メモ

1951年(昭和26年)4月

資料概要

 1951年4月25日から5月4日、対日平和条約の共同草案作成に向けて、米英がワシントンにおいて集中的に行った協議(米英事務レベル協議)のうち、最初の3日間の協議で示された米英それぞれの立場をまとめた資料。
 この資料は、米国国立公文書館所蔵のファイルに含まれているが、作成者や作成目的などの情報は示されていない。文書の形式や表現ぶりから、正式な議事録ではなく、協議の途中経過を内部で共有するために作成されたメモと考えられる。
 このメモには、第2条の項で英国は、「日本と朝鮮との間にある島々の処分について具体的に記述することが望ましい」旨言及し、その方法として、米国(草案)第3条に「 (済州島を含む)」の挿入を提案したとある。
 キャンベラ会議の時に明らかにされていた、対日平和条約では、日本周辺への島をめぐる紛争がおきないよう慎重に審議することが必要との英国の方針が維持されていたことがわかる。

※結果的に、米国草案を修正し、日本が放棄する朝鮮に、鬱陵島、済州島、巨文島の3島を規定することで妥結したNo.6

内容見本

Check List of Position Stated by U.S. and U.K. At April 25-27 Meetings
(略)
Article 2
(略)British mentioned desirability of Disposing of islands between Japan and Korea by specific mention. (this might be done by inserting“(including Quelpart)” after “Korea” in U.S. Article 3. (略)

日本語訳
4月25-27日会合において米英が表明した立場のチェックリスト
(略)
第2条
(略)英国は、日本と朝鮮との間にある島嶼の処分について具体的に記述することが望ましいと指摘した。(これは、米国第3条の「朝鮮」の後ろに「(済州島を含む)」を挿入することにより実現し得るかもしれない)。(略)

作成年月日 1951年(昭和26年)4月
編著者 米国国務省
発行者 米国国務省
収録誌 RG59, Central Decimal Files 1950-54, “Check List of Positions Stated by US and UK. At April 25-27 meetings,” 694.001/4-2751, BOX3008
言語 英語
媒体種別
公開有無
所蔵機関 米国国立公文書館
利用方法 米国国立公文書館で利用手続きを行う。
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