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時代別テーマ解説

時代区分 III < 戦後、サンフランシスコ平和条約発効前後 1945年~1952(昭和27年)頃 >

(3) 戦後の竹島利用に向けた動き

1. 竹島における漁業再開に向けた動き

 戦後、占領下において、いわゆるマッカーサーラインにより日本人の竹島への接近、接触は禁止される一方、1947年(昭和22年)9月16日に竹島は米軍海上爆撃訓練区域として指定され、1951年(昭和26年)7月6日に引き続き同区域として指定されたNo.33

 このような状況の下、戦前にアシカ猟の許可を得ていた隠岐の漁業者は、竹島での漁猟再開を強く求めた。

 1951年(昭和26年)9月8日にサンフランシスコ平和条約が調印されると、日本に制限を課していた個々の事項の見直しが始まった。マッカーサーラインは、翌1952年(昭和27年)4月28日の平和条約の発効に先立って廃止された。日本の主権回復後、日米安保条約の下で竹島は改めて爆撃訓練区域として提供されていたが、1953年(昭和28年)5月に爆撃訓練区域から削除の後No.36、島根県は、同年6月18日付で隠岐島漁業協同組合連合会(同年1月25日発足)に竹島での共同漁業権を免許しNo.46、竹島でのアシカ猟については隠岐在住の漁業者(橋岡忠重、八幡数馬、池田邦幸)に許可した(同年6月10日付)。

2. 島根県・海上保安庁合同調査

 韓国は、サンフランシスコ平和条約の発効前の1952年(昭和27年)年1月18日、国際法に反して公海上に、いわゆる李承晩ラインを設定、竹島を取り込んだ。その後、韓国人による竹島不法上陸が確認されたため、その取締りを実施することとなった。

 たとえば、1953年(昭和28年)6月22日から6月28日にかけて、海上保安庁第八管区海上保安本部が島根県と合同で竹島周辺密航・密漁取締を実施している。この取締りでは、6月27日に竹島上陸直後、韓国人6名を発見し取り調べを行い、竹島は日本領土であり、不法入国及び漁業違反であることを伝え退去するよう警告した(※1)

 資料調査では、この取締実施の復命書No.48、取締りの際に撮影された写真等No.47、関連資料を確認した。

3. 水産調査

 サンフランシスコ平和条約発効以降、竹島の周辺水域の漁業資源に対する関心が高まる中、1953年(昭和28年)から国の補助事業として「対馬暖流開発調査」が始まった(五か年計画)。この調査事業は、日本海を北上する対馬暖流が関係する海域における漁業生産の向上を目標として、19道府県の水産試験場と7大学の委託研究者、水産庁所属の3つの研究所が参加して行われた(※2)

 この調査に参加した島根県水産試験場(※3)が同試験場の試験船島根丸を用いて行った調査では、同年6月16日に竹島東方11浬で「神藤堆」(しんどうたい)が発見され、竹島周辺海域 の漁場としての可能性が提起されたNo.49

 また、別の参加機関である、福岡県福岡水産試験場(※4)は、隠岐から竹島に至る観測線と観測点を設定して調査を行うとともに、竹島周辺においてアシカを確認していた。同試験場の調査報告においては、戦前の竹島の漁業実態についても具体的に記載されているNo.50

※1 韓国人はその場に動力船を有しておらず、迎えの船が来次第帰ることを確約させた。
※2 水産庁『対馬暖流開発調査報告書 第􏍗輯( 漁況・海況篇)』(1958年)
※3 現島根県水産技術センター
※4 現福岡県水産海洋技術センター

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