本サイトに掲載する資料等は、政府の委託事業の下で有識者の助言を得て、調査・収集及び作成したものであり、本サイトの内容は政府の見解を表すものではありません。このサイトについて

時代別テーマ解説

コラム 平和条約と竹島
‐英連邦諸国の対応を中心に‐

藤井 賢二 (島根県竹島問題研究顧問)

※PDF形式のファイルをご覧いただくには、Adobe社が提供する「Adobe Acrobat Reader DC」が必要です。インストールされていない場合は、こちらよりダウンロードしてください。

はじめに

 「日本国との平和条約」(サンフランシスコ平和条約、以下「平和条約」と略記)によって竹島の日本保持が決定したことは、塚本孝「論点解説 対日平和条約(サンフランシスコ平和条約)における竹島の扱い」(本サイトに2021年1月29日掲載)でも明らかである。

 にもかかわらず、それを否定する韓国の主張がある。例えば、東北アジア歴史財団のウェブページで閲覧できる「日本人が知らない独島10の真実」1では、「サンフランシスコ講和条約の作成過程で、米国は独島が日本の管轄下にあるという意見だった」と日本は述べるが、「日本が独島領有権の根拠としてあげている「ラスク書簡」は、連合国全体の意見ではなく米国だけの意見であり、独島領有権を決定するにおいていかなる効力ももちえない」と主張している。本稿は、新たに発掘された資料2をもとに、この主張が誤りであることを再確認するものである。

註1

http://www.dokdohistory.com/jpn/main.do 2022年6月11日アクセス。

註2

筆者(藤井)は日本国際問題研究所の出張依頼により、英国国立公文書館(The National Archives United Kingdom 以下「TNA」と略記)、オーストラリア国立公文書館(National Archives of Australia 以下「NAA」と略記)、米国国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration 以下「NARA」と略記)、ニュージーランド国立公文書館(Archives New Zealand 以下「ANZ」と略記)で調査した。また、本稿の註で※を付した文書は、内閣官房領土・主権対策企画調整室委託のストリームグラフ社による調査によって画像を取得した資料であり、同社から提供を受けたものである。

1.1951年の交渉経緯概要と「ラスク書簡」

 「ラスク書簡」は平和条約調印の一ヶ月前の1951年8月に米国政府が韓国政府に送った公文である。同年4月から5月にかけて行われた米英事務レベル協議の結果、5月3日付で作成された米英共同草案第2章領域の第2条では、「日本国は、朝鮮(済州島、巨文島及び欝陵島を含む。)、〔略〕に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」とされた。その後、同年6月14日付で作成された改訂米英草案第2章領域の朝鮮放棄条項は、「第2条(a) 日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」となった。

 1951年7月19日、韓国は、米国務長官宛書簡によって、竹島を朝鮮領とすること等を内容とする修正を要請した。第2条(a)の「済州島、」以下を、「朝鮮並びに済州島、巨文島、欝陵島、ドク島(Dokdo)及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を1945年8月9日に放棄したことを確認する」に改めるというものであった3。この韓国の修正要求に対し、米国は1951年8月10日に書簡(「ラスク書簡」)を発出し、竹島に関する要求については、日本領であるとの認識を示した上で拒否すると回答した4。改訂米英草案第2条(a)は改訂されることなく、平和条約で竹島は日本の領土に残された。

註3

「パラン島」=Parangdo は「波浪島」の韓国語音であり、東シナ海にある暗礁ソコトラロックについて仄聞した韓国人はこれを島(「波浪島」)と誤解した。実態は暗礁であって存在しない島の領有を韓国政府は求めた。

註4

NARA, RG59, Lot54 D423, JAPANESE PEACE TREATY FILES OF JOHN FOSTER DULLES, Box 8, Korea。平成31年度報告書掲載資料

2.米英事務レベル協議と竹島の取扱い

 平和条約第2条(a)の文言が実質的に定まったのは、1951年の米英事務レベル協議である。そこで、同協議を再検討したい。米英事務レベル協議に提出された英国草案では、第1部「領域条項」第1条で日本の主権が存続する範囲を線で囲み、日本海に関する部分には「隠岐列島を南東に竹島を北西にみて進み」とあって、竹島をその範囲外に置いていた。

 一方、米国草案では、第2章「主権」第2条で「連合国は、日本国およびその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」、第3章「領域」第3条の朝鮮放棄に関する部分は 「日本国は朝鮮、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」であった。1950年4月に米国国務長官顧問に任命されたダレスの主導で作成された平和条約草案は以前に比べて簡潔なものになっていた。日本の領土を規定した条文はなく、日本の朝鮮放棄を規定した条文でも日本が放棄する朝鮮の付属島嶼の名称はなかった。しかし、同年10月の「対日講和7原則」に関するオーストラリア(以下「豪州」と略記)の質問への回答5に見られるように、竹島を日本が保持するという米国の方針に変りはなかった。

 1951年5月29日に英国外務省で開催されたオランダ代表との会合の記録6がある。英国は米英事務レベル協議について説明したが、協議に提出された米国草案第2・3条の処理について、次のように述べた。「ジョンストン(英外務省日本・太平洋部長-藤井補注-)は米国代表がこの条を落とすことに同意したと述べた。米国代表が(英国草案第1条よりも-藤井補注-)米国草案第3条の拡大版の方がよいと言うので、英国代表は英国草案第1条には執着しなかったともジョンストンは述べた」。

 オランダ代表との会合の記録によって、米英事務レベル協議では、米国が米国草案第2条を落とすことに同意したこと、米国草案第3条を詳細にして朝鮮に帰属する島嶼名を明確にする見返りに、英国が英国草案第1条の撤回に同意したことが確認される。

 米国は平和条約草案において竹島は日本領であると認識していた。その認識は米英共同草案においても維持されたのである。

註5

ANSWERS TO QUESTIONS SUBMITTED BY THE AUSTRALIAN GOVERNMENT ARISING OUT OF THE STATEMENT OF PRINCIPLES REGARDING A JAPANESE TREATY PREPARED BY THE UNITED STATES GOVERNMENT (NAA, Item ID: 140407 Japanese Peace Settlement)。平成31年度報告書掲載資料。2019年9月10日に日本国際問題研究所のウェブページ(https://www2.jiia.or.jp/JIC/)に掲載された「(プレスリリース)領土・主権に関する資料収集(竹島に関連したこれまでの成果について)」中の齋藤康平「資料群①:米国「対日講和7原則」に対する豪州の質問書及びそれに対する米国の回答書」が詳しい。

註6

Discussion with a party of Dutch officials of the draft J.P.T at the FO on 29th May (TNA, FO 371/92553, FJ 1022/478)p.21。また、Summary record of meetings held at the foreign office on 29th May with the representatives of the Netherlands Government (Japanese Peace Treaty (TNA, CO537/7104)) p.134。

3.平和条約の領土条項についての英国の方針

 次の記録も、米英事務レベル協議で米国草案第3条が改訂され、米英共同草案で朝鮮に帰属する島嶼名が明確になったことを示している。「英国は、日本と朝鮮の間にある島嶼が明確な表現で処遇されることが望ましいと述べた。(米国(草案-藤井補註-)の第3条の“Korea”の後に“(済州島を含む)”と挿入することで、これは可能になる7

 この「日本と朝鮮の間にある島嶼が明確な表現で処遇されることが望ましい」は、平和条約草案作成にあたっての英国の一貫した方針であった。1947年の8月から9月にかけて、平和条約作成についての意見交換を目的として英連邦キャンベラ会議が開催された。英国代表団が用意した 1947年8月27日付の「日本との平和条約 領域・政治・ 一般条項」8には、「 (a)日本に近接する水域にある多くの島嶼は明らかに日本の主権下に 残されねばならない。(b)北海道と樺太、北海道と千島列島、そして日本本土(Japan Proper) と朝鮮の間にある多くの島嶼は、その処分に関していくつかの紛争が予想される」。よって 「どの島嶼も主権についての紛争が残ることにならないよう、この条項は非常に慎重な原案作りが必要である (Very careful drafting of this section will be necessary in order to ensure that no islands are left in disputed sovereignty)」と特記されていた。

 1950年11月20日付で駐日英国連絡公館(占領期の駐日英国大使館)が本国政府外務省 へ送付した文書「現在及び将来の日本の旧島嶼領土の放棄に影響を与えるいくつかの事項」がある。ダレスが主導する平和条約作成への動きに対応して作成され、英国の草案作成に影響を与えたものであるが、ここでも、この文言が「英国政府の政策」の項で記されていた9

 米英事務レベル協議開始直前の 1951年4月23日付の英国外務省作成の文書に、米国草案を検討した結果が残されている。米国草案第2条「連合国は、日本国およびその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」について、「この条項については、日本に近いどの島嶼も主権についての紛争を残すことにならないよう、非常に慎重な原案作成が不可欠である(Very careful drafting of this section is essential in order to ensure that no islands near Japan left in disputed sovereignty)」と述べ、「現在の形では、正確さに欠け 上記の基準を満たしていない」と指摘し、そのような紛争が「ソ連や他のアジアの共産主義国家に利益をもたらす」と危惧した10。前述の駐日英国連絡公館作成文書よりも、英国の切迫感が強くなっていることがわかる。

 1951年4月23日付文書で、英国外務省は続けて、米国草案第2条と第3条とを合わせて読むと、済州島と竹島の主権をめぐる論争がおきる可能性があると批判した。米国草案では、これらの島の帰属がはっきりしないためであった。そして、英国外務省は、済州島と鬱陵島は日本人も朝鮮の一部と認識してきたが、竹島については「竹島が将来朝鮮によって領有されるのを阻止することが望ましければ、日本が保持することもあり得る」と記した。これは、「英国4月草案」の竹島を日本の領域外に置くという方針には、さしたる理由はなかったことを示している。

 以上でわかるように、英国は、「日本と朝鮮の間にある島嶼」個々の帰属よりも島嶼の帰属をめぐる紛争防止のため境界を明確にすることに関心があった。米英事務レベル協議において、その関心が充足されると、英国は英国草案第1条の日本の領域を線で囲む方式および、竹島を日本の領域外に置くという二点を撤回した。竹島を日本が保持するという米国の方針は英国と共有され、「連合国の意思」になっていったのである。

註7

Check List of Positions Stated by US and UK. At April 25-27 meetings (NARA: RG59, Central Decimal File 1950-54, BOX 3008, 694.001/4-2751)※。

註8

Territorial, Political and General Clauses of the Treaty of Peace with Japan (NAA, Item ID: 140452 Pacific affairs - Canberra Conference Agenda - [British Commonwealth Conference on Japanese Peace Settlement, Canberra, 1947])。

註9

Certain matters affecting the present and future disposition of Japan's former island territories (TNA, FO371/83825 J10114/5)p.86。

註10

Attaches new edition of draft brief on U.S. provisional draft peace treaty with Japan on which discussion will be held in Washington (TNA, FO371/92543,FJ1022/302) p.63。平成31年度報告書には、NAA所蔵の同一文書が掲載されている。

ページの先頭に戻る