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総合的論点

3. 国際法上の評価

(1)閣議決定(1905年)の法的性質

 日本政府は、「遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには竹島の領有権を確立」したとしている16。それでは、なぜ、閣議決定により、すでに領有権を確立させていた竹島に対して、「領有する意思を再確認」したのだろうか。それは、古来共通の認識によって認められてきた歴史的権原17を、近代国際法が要求する権原に「代替」18もしくは「取替える18」必要があったからである。
 日本が属していた東アジア世界秩序では、ヨーロッパ国際秩序の基盤だった「領域(territory)」に当たる概念は存在しなかった。東アジア世界秩序の基盤は、「版図(domain)」だった20。それゆえ、領域概念にもとづくヨーロッパ起源の近代国際法を、日本が受容するにあたって、「版図」において有していたとされる歴史的権原を「領域権原」に「代替」もしくは「取り替え」なければならなかったのである21
 このような「再確認」の必要性は、国際裁判でも指摘されてきた。国際司法裁判所は、マンキエ・エクレオ事件で、係争諸島に対して、フランス王が原始的な封土権(original feudal title)をもっていたにせよ、取替えの時点で有効とされる別の権原に置き換えたことを立証できなければ、今日、いかなる法的効果をも生じさせうるものではない、と述べている22。「決定的に重要なのは、中世の時代に生じた出来事から導かれる間接的な推定ではなく」、係争諸島の「占有に直接関係する証拠」だからである23。エリトリアとイエメンとの紛争に関する仲裁判決も、同様の指摘をしている24
 マンキエ・エクレオ事件はヨーロッパ国際秩序に属するイギリスとフランスとの間の事件、エリトリア/イエメン仲裁はイスラーム国際法体系に属する諸国間の事件ではあるが、ともに近代国際法体系のそれとはまったく異なる法体系に属していた。したがって、これらの裁判例で示された見解は、東アジア世界秩序から伝統的国際法秩序への転換についても妥当する25。要するに、近代国際法は,東アジア世界秩序に属していた諸国が、近代国際法を受容し、ヨーロッパ国際秩序に組み込まれる過程で、すでに確立していた歴史的権原を強化するため,または疑義なきものにするため,「再確認」等の措置をとることを禁止してはいなかった26。むしろ、近代国際法は、このような方式により、領有の意思を明確に表明し、当時有効だった権原を「代替」もしくは「取り替え」、実効的に支配することを求めていたのである。

(2)領有意思の表示形式

 島根県告示は,「隠密に行われた」ものではなく,「日本の一般国民」はでこれを知っていた。上述のように、島根県告示は、島根県内全域に向けて発せられており、当時の新聞でも報道されたからである(本稿1参照)。  次に、「一地方政府による告示」であって、「正規の外交的手続を通じて当時の韓国政府に通告されなかった」ことは事実である。しかし、前者については、国際法上、領有意思の表示に、一定の形式があるわけではない。そもそも、平穏かつ継続して土地に国家機能を表示していれば、領有の意思が推定されることから、明示的に行う必要もない27。いずれにしろ、地方官庁による告示という方式は,当時の慣例であり28、竹島の所属が国家機関により明確な形で示されており、領有の意思を適式に示すものである。
 また、後者の点については、明示の法規則がない限り、外国政府に対して領有の意思を通告する義務はない29。このような法規則として、1885年のベルリン会議一般議定書がある。同議定書の34条は、先占の要件として、「当事国は互いに通告するものとする」と規定している。しかし、同議定書の効力はアフリカ大陸の海岸に限定されており30、東アジアには及ばない。かつて、著名な国際法学者は、国際法上、上記の「当事国は互いに通告するものとする」との規則が、「やがて、慣習または条約により、アフリカ以外の場所での先占へと適用範囲を拡大することは間違いない」と予言した31。彼の予言は当たらず、そのような展開をたどらなかったのである32。  

註16

日本外務省『竹島問題10のポイント』(Point 3:日本は17世紀半ばには竹島の領有権を確立しました。)8頁からダウンロード可能、日本外務省「日本の領土をめぐる情勢:竹島『竹島の領有』4」で閲覧可能。

註17

松井芳郎『国際法学者がよむ尖閣問題』(日本評論社、2014年)50頁*1。

註18

皆川洗「竹島紛争と国際判例」前原光雄教授還暦記念論文集刊行委員会編『国際法学の諸問題(前原光雄教授還暦記念)」(慶応通信、1963年)363頁。

註19

太寿堂鼎「竹島紛争」(昭和41年初出)『領土帰属の国際法』 (東信堂、1998年)143頁。

註20

松井『前掲書』(注17)115頁。「版図」は、「東アジアの『国際的』規範秩序」で妥当していた概念だった。朴培根「日本による島嶼先占の諸先例 竹島/独島に対する領域権原を中心として一」『国際法外交雑誌』105巻 2号,32-33頁。

註21

松井『前掲書』(注17)118頁。

註22

The Minquiers and Ecrehos case, Judgment of November 17th, 1953 : I.C. J. Reports 1953, p. 56.

註23

Ibid., p. 57. See also, Sahara occidental, avis consultative, C.I.J. Recueil 1975, p. 43, para. 93.

註24

Award of the Arbitral Tribunal in the first stage of the proceedings between Eritrea and Yemen (Territorial Sovereignty and Scope of the Dispute), Decision of 9 October 1998, Reports of International Arbitral Awards, Volume, XXII, 245, para. 131, p. 268, para. 239.

註25

松井『前掲書』(注17)124頁。

註26

朴「前掲論文」(注20)38頁。

おわりに

 以上の検討から、韓国政府による主張には、国際法上の根拠がまったくないことが明らかになった。したがって、日本政府が主張するように、閣議決定を経て、採られた一連の編入措置は、当時の国際法に沿っており、「それ以前に, 日本が竹島を領有していなかったこと,ましてや他国が竹島を領有していたことを示すものではな」く、また、「当時、新聞にも掲載され、秘密裏に行なわれたものではないなど,有効に実施されたものである」。
 最後に、「いずれにしても、1900年に頒布された『勅令第41号』の規定に基づいて「引き続き独島を管轄し領土主権を行使してきたことは明白」であって、日本による編入措置は「長きに亘って強固に確立された韓国の領土主権を侵害した不法行為であり、国際法的にも全く効力」がない、という韓国政府の主張にふれておこう(本稿1参照)。「勅令第41号」は、鬱陵島を鬱島に改称し、島監を群守に格上げするという内容だった。韓国政府は、その第2条で、鬱島群の管轄区域を「鬱島全島及び竹島、石島(独島)」と明記していた、と主張している33。もっとも、原文には、「(独島)」の表記はないことから、「石島」が今日の竹島(「独島」)ならば,なぜ勅令で「独島」が使われなかったのか,なぜ「石島」という島名が使われたのか」という疑問が生じる33。仮にこの疑問が解消され、石島が竹島を指すとしても、勅令の公布前後に大韓帝国が竹島を実効的に支配した事実はなく、韓国による領有権が確立していたとは言えない。韓国がたとえ竹島になんらかの歴史的権原をもっていたと仮定しても、それは実効的占有にもとづく権原に取替えられなかった。これに対して、「日本政府による明治38年の領土編入措置と、それにつづく国家機能の継続した発現は、17世紀に、当時の国際法にもほぼ合致して有効に設定されたと思われる日本の権原を、現代的な要請に応じて十分に取替えるものであった」35。したがって、編入措置は、「韓国の領土主権を侵害した不法行為」などでは決してない。近代国際法の規則に忠実にしたがって行われた「国際法的に」効力のある措置である。

註27

太寿堂「前掲論文」(注19)144頁。

註28

「竹島に関する 1954年 9月25日付け大輯民国政府の見解に対する日本国政府の見解」(1956年9月20日),塚本『レファレンス』(注7)62頁。

註29

Island of Palmas Case (Netherlands/United States of America), Award of 4 April 1928, Reports of International Arbitral Awards, Vol. II, p. 868.

註30

Affaire de l’île de Clipperton (Mexique contre France), 28 janvier 1931, Reports of International Arbitral Awards, Vol. II, p. 1110.

註31

L. Oppenheim, International Law : A Treatiese, 1905, §224., pp. 278-279.

註32

Lindley, M. F., The Acquisition and Government of Backward Territory in International Law ,1926, p. 295.

註33

韓国外交部『前掲書』(注9)9頁。

註34

日本外務省『前掲書』(注16)(Q4:1905 年の日本政府による竹島編入以前に、韓国側が竹島を領有していた証拠はあるのですか?)24頁からダウンロード可能同「日本の領土をめぐる情勢:竹島『竹島の島根県編入』6」で閲覧可能。

註35

太寿堂「前掲論文」(注19)143頁。

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