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総合的論点

論点解説 対日平和条約(サンフランシスコ平和条約)における竹島の扱い

塚本 孝 / 元東海大学法学部教授

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【要旨】

 第二次世界大戦後の日本の領土的範囲は、日本国との平和条約(1951年9月8日サンフランシスコ市において署名)によって定められた。竹島に関係する規定として第2条(a)「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」がある。

 サンフランシスコ平和条約の初期の草案の中には、竹島を日本の範囲外に置くものもあった。しかし、1951年6月の改訂米英草案では、竹島が日本領であるとの認識の下で上記第2条(a)が設けられた。1951年7月韓国は、米国に対し、独島(竹島の韓国名)が自国領であるとしてこの規定の修正を求めたが、米国は、同年8月の回答で竹島は日本領であるとして韓国の修正要求を退けた。改訂米英草案の規定は、そのまま条約第2条(a)となり、大戦後も竹島の日本領土としての地位に変動のないことが確定した。 

 今日韓国では、占領下日本政府の施政範囲から竹島を除外した総司令部指令SCAPIN-677がカイロ宣言(奪取した地域から日本を駆逐するとする)に根差すものでありサンフランシスコ講和条約はその延長線上にあるとか、上記1951年8月の米国回答は米国だけの意見であり“独島”領有権決定にいかなる効力も有しないといった主張が行われる。しかし、竹島は韓国の領土であったことがないので“奪った”という議論は成り立たない。また、米国回答を含む上記起草過程は、“条約の準備作業”として条約の解釈(第2条(a)の「朝鮮」の意味の確認)に意義を持つ。

1 第二次世界大戦後日本の領土的変更

 日本は、第二次世界大戦の終結に当たりポツダム宣言(1945.7.26)を受諾した。ポツダム宣言の第8項は、カイロ宣言の条項は履行せらるべく又日本国の主権は本州北海道九州及び四国並びに吾等の決定する諸小島に局限せらるべしと規定し、カイロ宣言(1943.12.1発表)は、旧聯盟委任統治領を剥奪する、満州・台湾・澎湖諸島を中華民国へ返還する、日本は暴力と強慾により略取した他のすべての地域から駆逐される、やがて朝鮮を自由独立のものにする等のことを謳っていた。

 竹島は、17世紀に日本人が政府(幕府)の認可の下であしか猟、あわび漁を行い、1905年に近代国際法上の手順を踏んで島根県に編入したもので、日本以外の国に属したことがない島である。それゆえ上記ポツダム宣言第8項にいう諸小島の決定に際しては、日本による保持が期待された。本州、北海道、九州、四国以外の島で日本が保持するもの、日本から分離するものの決定は、日本国との平和条約(1951年9月8日サンフランシスコ市において署名、1952年4月28日効力発生)によって行われた。第2条(a)「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」が竹島に関係する規定である。

2 米国国務省の条約草案

 対日平和条約の起草は、対イタリア平和条約成立後の1947年3月、米国国務省の担当者が領土関係規定の試案1を作成する形で始まった。国務省草案は、その後、主だったものを掲げれば1947年8月5日草案、1948年1月草案、1949年10月13日草案、同年11月2日草案、同年12月29日草案と改訂を重ねた2。 国務省草案は、日本が保持する諸島を列挙するとともに、日本から分離する領土について個別に規定していた。このうち1949年11月2日までの草案では、竹島を朝鮮放棄条項に含めていた3

 この11月2日草案に対し、シーボルド(William J. Sebald)駐日米政治顧問代理は、電報と文書で本省にコメントを提出し、竹島に対する日本の領土主張は古く正当だと思われる(is old and appears valid)とした4。これが採用され、1949年12月29日草案では、竹島は、朝鮮放棄条項(第6条。註3参照)から削除され、領土関係規定冒頭(第3条1項)の日本が保持する島嶼の列挙中に加えられた――「日本の領土は、四主要島である本州、九州、四国及び北海道並びに瀬戸内海の島々、対馬、竹島(リアンクール岩)、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻…<中略>…を含むすべての隣接小島嶼で構成される。上記のすべての島々は、3海里幅の領海とともに日本に属する。」 

註1

米国国立公文書館NARA, 国務省記録RG59, Decimal File 1945-49, Box 3501, 740.0011PW (PEACE) /3-2047.

註2

1947.8.5草案:NARA, RG59, 740.0011PW (PEACE) /8-647; 1948.1草案:NARA, RG59, Lot56 D527, Records of the Office of Northeast Asian Affairs Relating to the Treaty of Peace with Japan, Box 4; 1949.10.13草案:NARA, RG59, Decimal File 1945-49, Box 3503, 740.0011PW (PEACE) /10-1449; 1949.11.2草案:NARA, RG59, 740.0011PW (PEACE) /11-749; 1949.12.29草案:NARA, RG59, Lot54 D423, Japanese Peace Treaty Files of John Foster Dulles, Box 12, Treaty Drafts 1949-March 1951.

註3

11月2日草案第6条1項:「日本国は、ここに、朝鮮本土並びに済州島、巨文島、欝陵島、リアンクール岩(竹島)及び第3条に規定する線の外側にあり、かつ、東経124度15分の経度線より東、北緯33度の緯度線より北、豆満江河口から約3海里にある国境の海側の終点から北緯37度30分東経132度40分の地点に引いた線より西にある、日本が権原を取得した他の全島嶼を含むすべての朝鮮の沖合島嶼に対する権利及び権原を、朝鮮のために放棄する。」

註4

電報:The Acting Political Adviser in Japan (Sebald) to the Secretary of State, Foreign Relations of the United States 1949, Vol.7, pp.898-900; 文書:NARA, RG59, 740.0011PW (PEACE) /11-1949. 文書によるコメントでシーボルドはまた、経度緯度で指定した地点を連結する線で日本を取り囲んで日本の範囲を示す方式を「深刻な心理的不利益(serious psychological disadvantages)を有する」とし、これに反対した。

3 ダレス国務長官顧問による草案

 1950年8月7日付けでダレス(John Foster Dulles)国務長官顧問による“別案(Draft #2)”5 が作成された。これ以降の草案は、先の国務省担当者による草案に比べて簡潔なものとなり、日本に属する島々を列挙する規定も置かれないことになる。8月7日草案の朝鮮関係規定は、「4 日本国は、朝鮮の独立を承認し、朝鮮との関係の基礎を1948年12月-(ママ)日に国際連合総会で採択された諸決議に置く。」というものであった。同草案は1950年9月11日に改訂され6、 同日付けでその要点を7項目にまとめた覚書7(いわゆる対日講和七原則)が作成された。同覚書の「3 領土」は、単に「日本国は、(a) 朝鮮の独立を承認する。」(以下、(b)琉球及び小笠原諸島の信託統治に同意する、(c)台湾・澎湖諸島・南樺太・千島列島の英ソ中米による将来の決定を受け入れる云々)と規定していた。

 このように簡潔な規定ぶりになり日本に属する島々に関する規定が置かれなくなったことから竹島への言及もなくなったが、竹島が日本領であるとする認識に変わりはなかった。上記七原則に対するオーストラリア政府の「旧日本領土の処分に関しいっそう精密な情報を求む」という質問に対し、 米国務省は、「瀬戸内海の島々、隠岐列島、佐渡、奥尻、礼文、利尻、対馬、竹島…<中略>…いずれも古くから日本のものと認められていたものであるが、これらは日本によって保持されるであろうことが考えられている。(以下、琉球など…略)」と回答している8

 米国政府による対日平和条約草案作成作業は、講和七原則の後、1951年1月12日の新覚書(ダレスが英国大使に提示)、同年2月3日のダレス使節団覚書(2月5日日本政府に非公式に提示)等を経て、1951年3月23日付け暫定草案(Provisional United States Draft of a Japanese Peace Treaty)9 として一応の成案を得た。当該米国草案の朝鮮関係規定(第3条)は、「日本国は、朝鮮、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。(以下、委任統治など…略)」であった。

註5

Foreign Relations of the United States 1950, Vol.6, p.1267-.

註6

Foreign Relations of the United States 1950, Vol.6, p.1297-.

註7

Foreign Relations of the United States 1950, Vol.6, pp.1296-1297; Department of State Bulletin, Dec. 4, 1950, p.881.

註8

Foreign Relations of the United States 1950, Vol.6, p.1328.

註9

Foreign Relations of the United States 1951, Vol.6, p.944-.

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