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時代別テーマ解説

時代区分 IV 戦後、沖縄返還に向けた動きが顕在化するまで

(5) 調査関連

1. 尖閣諸島周辺海域の漁場利用と調査の実施

 戦後も戦前同様、尖閣諸島周辺海域は漁場として利用された。1950年代に入ると、琉球水産研究所によって回遊魚に関する漁場調査、海況調査等が実施され、九州の漁業関係者がカツオ漁、カジキ漁、底引き網漁などの操業を開始しており、鹿児島県水産試験場、水産庁福岡支部による漁場調査、水揚高調査の結果が報告されているNo.60

 また、1953年(昭和28年)、李承晩ラインの設定により日本本土の漁業者が済州島周辺のサバ漁場から締め出されたこともあり、尖閣諸島周辺の東シナ海大陸棚が新たなサバ漁場として有望視され 、1954年(昭和29年)、1959年(昭和34年)には、長崎県水産試験場と琉球政府水産研究所による合同調査が実施されている。

 駐留米軍による射爆撃演習が継続されながらも、戦後の漁業復興期において、尖閣諸島周辺海域は好漁場として漁業関係者に利用され、研究機関による調査も行われたと考えられるNo.61No.62

 資料調査では、1967年(昭和42年)の許可漁業について、珊瑚の生産高を報告する資料に、漁場として尖閣諸島各島沖合が記載されているものを確認したNo.63

2. 戦後の学術調査

 戦後の尖閣諸島における学術調査は、1950年(昭和25年)の高良鉄夫氏による調査を嚆矢としてはじまった。この時の経験を元に、高良氏は、こども向けの新聞に尖閣諸島の自然を紹介する記事を寄稿しているNo.64。その後、高良氏は、1952、53、63、68年に調査団を編成して尖閣諸島の学術調査を実施し、琉球大学を中心に多くの地元研究者が参加した。

 以降も、1971年(昭和46年)に琉球大学による調査があり、この時は、琉球大学教授他、15名の専門家等から成る調査団が結成され、尖閣諸島の動物、植物、地質、水質、海洋観測及び漁場の総合的な調査が行われた。この調査には、琉球政府農林局琉球水産試験場(※1)所属の試験船「図南丸」が使用されるなど、琉球大学と琉球政府の合同調査としての性格も併せ持った調査であったNo.65

 1979年(昭和54年)には、沖縄開発庁による学術調査が実施された。地質、陸上動物、水中動物、植物等に関する調査が行われ、尖閣諸島に関する貴重な学術的知見が蓄積されている。

※1 琉球水産研究所が1970年10月に改称され琉球水産試験場となった。

戦前のように、戦後も行政機関や研究機関による尖閣諸島の調査が行われ、科学的な情報や産業に関する知見が蓄積された。

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