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時代別テーマ解説

時代区分 II 沖縄県が調査を行って以降、領土編入前まで

尖閣諸島領土編入ストーリー

解説動画 Part2 漁業者の進出と所轄編入の経緯

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解説

尖閣諸島領土編入ストーリー
 この解説動画では、1885年の沖縄県による尖閣諸島の上陸調査以降、1895年に閣議決定により尖閣諸島が領土に編入されるまでの経緯を解説します。特に、1889年頃から尖閣諸島への漁業者の進出が活発になっていったことにより、沖縄県が尖閣諸島の管理を試行したこと、日本政府が漁業者の取締りの必要性を理由として、尖閣諸島を領土編入し、沖縄県所轄としたこと、さらに、その後、日本は尖閣諸島を有効に支配してきた事実を紹介します。その上で、この時期に関する中国政府の独自の主張に根拠がないことを解説します。

Part1:沖縄県の尖閣諸島調査
 Part1では、1885年の沖縄県による尖閣諸島の上陸調査以降、1895年に閣議決定により尖閣諸島が領土に編入されるまでの経緯について、全体的な流れを説明します。列強の進出を背景に、1885年、日本周辺離島の監視を強化する政府方針に基づき沖縄県が尖閣諸島の上陸調査を行ったこと、その後、尖閣諸島への漁業者の進出が盛んとなり、管理の必要性が生じたことなど、領土編入の経緯に触れます。

Part2:漁業者の進出と所轄編入の経緯
 Part2では、1889年頃から尖閣諸島への出漁が盛んになり、石垣島では八重山島共同水産会社が設立され操業を開始したこと、その状況を受け、沖縄県が尖閣諸島の管理を試行していた事実に触れます。そして、1895年1月、日本政府により、漁業者の取締りの必要性から領土編入の措置が取られ、沖縄県所轄となったことを説明します。

Part3:根拠のない中国の主張
 1895年の領土編入後、古賀辰四郎により尖閣諸島の開拓が行われたことや、行政区画への編入や国有地であった土地の払い下げなど、行政権等の行使を通じて日本が尖閣諸島を有効に支配してきたことをまず紹介し、それから、中国政府による、「日本は日清戦争の末期に尖閣諸島をひそかに編入し、その後の下関条約の締結によって台湾の附属島嶼として割譲させた」という主張に根拠がないことを解説します。
 さらに、1920年に長崎駐在の中華民国領事から送られた感謝状を例示することで、中国が当時、尖閣諸島を沖縄県の一部として認識していた事実を指摘します。

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