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時代別テーマ解説

時代区分 II 沖縄県が調査を行って以降、領土編入前まで

(2) 尖閣諸島への民間人の進出と再度の上申

1. 沖縄県から政府に再度の上申

 1885年の調査から数年後、尖閣諸島には漁業者の出漁が進んでいた。1889年(明治22年)12月、八重山島役所長(西常央)は、沖縄県知事(丸岡莞爾)に対し、水産事業者の取締を理由に久場島、魚釣島を同役所の所轄に編入したい旨上申した。沖縄県は同役所に水産事業者の取締について照会後、1890年(明治23年)1月、内務大臣(山県有朋)に宛てて久場島、魚釣島を八重山島役所の所轄に編入したい旨上申したNo.7

2. 尖閣諸島への進出の実態

 この頃、民間人の尖閣諸島への進出が活発になっており、石垣島や与那国島から既に漁夫が70人以上久場島、魚釣島に渡っていたことを資料調査によって確認した。また、沖縄県から八重山島役所に対する水産事業者取締についての照会に対して、同役所は回答の際、「共同水産会社」の取扱いに言及しているNo.8
 「共同水産会社」は、1889年(明治22年)2月、八重山地方の漁業奨励を目的に設置された組織であり、平成31年度の資料調査において、『時事新報』に関連記事があることを確認したNo.9

3. 暫定的な管理の試み

 この時、所轄編入は認められなかったが、依然として尖閣諸島への漁業者の出漁は続いており、取締の必要性が生じていた。資料調査では、1891年(明治24年)12月、沖縄県が尖閣諸島を八重山島役所の仮所轄に置く訓令案を作成していたことを確認しNo.10、また、同年12月11日付で、尖閣諸島を八重山警察署の仮所轄に編入したことも確認したNo.11

沖縄県は、民間人による尖閣諸島への進出を背景に、同諸島の沖縄県への所轄編入を政府に再度上申した。同時に、同県は、1895年の尖閣諸島の沖縄県への所轄編入以前から、尖閣諸島の管理を試行していた。

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