Senkaku Islands Research and Commentary Website

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時代別テーマ解説

時代区分 I 1885年に沖縄県が尖閣諸島の調査を行う前

(1) 琉球人に知られていた尖閣諸島

1. 尖閣諸島に対する認識

 1895年(明治28年)に日本が領土に編入するまで、尖閣諸島は、どの国にも属さない無人の島であった。沖縄県が尖閣諸島の上陸調査を行い、政府に対して国標建設の指揮を請うのも1885年(明治18年)のことである。

 それまで尖閣諸島は、東シナ海を行き来する船の航路の目印にされ、琉球国の資料や絵図に描かれるなど、古くから知られる存在だった。琉球で描かれた、那覇港と中国の福州港の間の航路が描かれた巻物にも尖閣諸島が描かれているNo.1

 資料調査では、東シナ海を漂流した琉球人が、福州からの帰路、尖閣諸島を望見したことがわかる記録を確認したNo.2
また、琉球国の士族の系図家譜(歴代の系統や、歴代当主の履歴等を記載したもの)に、尖閣諸島に言及のあるものが確認されているNo.3

琉球の人々は古くから尖閣諸島について地理的認識、具体的な知識を有していた。

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