今の社会は持続可能か?

(果たして、この社会は今のままで持続可能なのか)

高度成長からバブル崩壊、デフレ経済を経ていくなかで、日本は、税を通じて生活を支え、福祉を充実していく「福祉国家」モデルを歩んできた。
    しかし、人口と経済の拡大・成長を前提としてきたこれまでの社会制度が現実とずれてきている。また、それによる負荷が社会的に蓄積されてきており、遠からずその解決について選択を迫られる状況が明らかになりつつある。
    人類史上例のない速さで進んでいるこの国の少子高齢化により、これからの数十年間は、ダウンサイジングが続く。これまでの常識や社会の構造が変化を迫られ続ける。
    国民と政府の関係をみると、国に不信感を抱きつつも、国に依存する意識が見られる。その結果、しなくてはならない決断や判断を先送りしながら、国・地方の借金を累積させ、生まれ来る未来の若者たちに付け回しを行っている。いわば「財政的次世代虐待」とも言うべき状況が放置されている。
    このまま何もしなければ、私たちの未来の選択肢も制約されかねない。

特に、今の民主主義では、将来世代の話は後回しにされがちである。だが、現行世代と将来世代の間で、公正な受益と負担の分配は確保されるのか。私たちは、30年後も、引き続き持続的なカタチで、幸せな生活を享受することができるのだろうか。
    人口減少社会である日本において、国や行政はこれまでと同じレベルの公共サービスを維持できるのか。

短期的な課題にせよ長期的な課題にせよ、現在、わが国を覆う問題に立ち向かうには、社会が変化することに対する拒否感を乗り越えて、「変わることによる不安」を吹き飛ばすことが重要だ。政治・行政によるリーダーシップの発揮を求めることとあわせて、国民の側からも変革していく機運を高めていきたい。

(自立した参加型の社会をめざして)

私たち懇談会参加者は、持続的な社会を求めている。
    これからの日本は、価値観や幸福感が変化するなかで、暮らしを支えるパブリック(公共)に、国とともに私たち一人ひとりが参画していく「自立した参加型の社会」が新しい国のカタチになるだろう。
    その際、これまで家族などが担っていた共助のあり方から、コミュニティやアソシエーション、シェアなどさまざまなカタチを通じて社会課題の解決に取り組む、新しい国民参加の共助の単位である「新しいコミュニティ」(この名称について議論し、例として、次のようなものが挙がった;イトヘン共同体(結、縁など糸偏の漢字が多いことから)、共創体、シビルサークル、ソーシャル、スキマの共同体、コモンズ など)の役割が重要となる。
    そのために国や行政ができることは何か?また、国や行政はどう変わるべきか?全く新しい発想でのイノベーションを求める必要がある。課題先進国日本の取組みは、将来、諸外国にも参考になるのではないか。

今を生きる私たち懇談会参加者が、未来を生きる若者たちを想い、この国の可能性を信じて描いた、持続可能な社会や国家の実現に向けて共有すべき方向性の断片を以下で伝えたい。