本サイトに掲載する資料等は、政府の委託事業の下で有識者の助言を得て、調査・収集及び作成したものであり、本サイトの内容は政府の見解を表すものではありません。このサイトについて

他国の主張分析

3 米国による李承晩ラインの評価

 たしかに、第2次大戦後、韓国を含む、多くの国が領海の範囲を超えて自らの漁業管轄権を拡張する傾向にあったことは事実である。しかし、多くの国は、領海の幅員を拡大することなく、もっぱら漁業に関する管轄権の拡大を目指した。これに対して韓国は、海洋主権宣言で自らが恣意的に引いた海域に「主権(sovereignty)」を及ぼすと宣言した。そこでは「管轄権」ではなく、「主権」という表現が用いられ、この領海の拡大を含意する用語の使用が、日本のみならず、米国や英国などの反発を招いたことは当然であった。日本政府は、李ラインは国際法上なんら根拠のあるものではなく、日本漁船の拿捕は、ことごとく公海自由の原則を侵害する違法行為であるというものであった。次に紹介する米国の反応も日本と同様のものであった18

 1952年2月11日付のムチオ(John J. Muccio)米国大使からの栄泰(Yung-tai Pyun)韓国外務部長官に宛てた書簡は、「私は、米国政府がこの宣言(坂元注:李大統領による海洋主権宣言)の規定に深刻な懸念を有していることを伝えるよう訓令された。仮に実行されたならば、この宣言はすべての国家によって公海とみなされている広大な海域を韓国の排他的な管轄権と管理の下に置くことになる。公海及び公海の上空は外国船舶と外国航空機の自由なかつ制約されない航行と飛行が行われるが、それらに対し主張される主権が適用されるならば、それらは韓国の管理下に置かれることになる。
 宣言はよく確立された国際法の先例によって支持されることを意図しているが、米国政府は韓国のこうした主権の拡大を正当化する先例となる国際法の受け入れられたいかなる原則も承知していない。この点に関して、米国は韓国の注意を喚起したい。大陸棚の資源と接続する公海の漁業資源の保存に関する米国の政策に関する1945年9月28日の米国大統領によって発出された2つの宣言とは異なり、韓国の宣言は特定された海域に対する韓国の国家主権に関連している。米国の2つの宣言は既存の領海のいかなる拡大をも想定していないし、事実、そうした効果を有しない。
前述のような考慮に基づき、米国政府は韓国政府に米国は当該韓国の宣言の規定の下での、かつそれらの実施措置に基づく自国民及び自国船舶のすべての利益を留保することを伝えたい19」と述べて、李ラインを批判した。

 これに対して、栄外務部長官は、
 「1 第1 に、宣言における「主権(sovereignty)」という用語は漠然と用いられており、言葉の通常の絶対的な意味での主権と解釈される必要はない。その用語は、『管轄権と管理(jurisdiction and control)』という表現と互換的に用いられている。
  2 米国の宣言の場合と同様に、前述の宣言(坂元注:海洋主権宣言)によって韓国の周辺に宣言された海域は決して韓国の領海の拡大を意味しない。当然のことながら、宣言に関わりなく、領海は国際的に受け入れられた幅員にとどまる。この点で、まさしく起こりうる混乱を避けるために、韓国の宣言は、最後の条文で、同宣言は公海における航行の権利を妨害するものでないと規定する20」と弁明した。

 このように、米国をはじめ諸外国に公海への領海の拡大であると非難された韓国は、1952年9月11日以降、李承晩ラインを公式に「平和線」と呼称するようになった。しかし、韓国民の間には李ラインで囲まれた水域を領海とみなす感覚がその後も強く残ったとされる。そうしたこともあり、日韓漁業交渉の中で李承晩ラインの解消を余儀なくされた韓国政府は、当時の与党である民主共和党の1964年3月の宣伝資料の中で、「韓国領海の拡張等を願う愛国的な心情は韓国民としては当然なものであるが、我々が国際社会の忠実な一員として行動しようとするならば国際法をむやみに無視することはできない」と述べて、1965年6月22日の「日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定(旧日韓漁業協定)」で採用された12海里の漁業水域への理解を「平和線死守」を叫ぶ韓国民に理解を求めたのである21

註18

小田『前掲書』(注1)53頁。

註19

Letter from American Embassy, Pusan, February 11, 1952 to Yung-tai Pyun, Minister of Foreign Affaire, Republic of Korea. Records of the U.S. Department of State relating to the Internal Affairs of Korea, 1950-54 Department of State Decimal File 795. 本書簡については、藤井賢二氏に貴重な資料のコピーの提供をいただいた。記して感謝申し上げたい。

註20

Letter from Ministry of Foreign Affairs of ROK to Ambassador of the U.S., Pusan,February 13, 1952, ibid..

註21

藤井「前掲論文」(注13)61頁。

4 李ラインが提起した竹島問題

 しかし、同じく国際法に違反して不法占拠を続ける竹島については、領土標識の建設、灯台の設置、沿岸警備隊の駐留などの既成事実の積み重ねを継続した。ここでは「独島死守」を叫ぶ韓国民と韓国政府の間に認識の乖離は見いだせない。竹島からの退去を求めた海上保安庁の巡視船「へくら」に対する、竹島駐在の韓国武装警察官による1953年7月12日の発砲事件の発生も重なり、日本政府は竹島の領有権紛争を国際司法裁判所(ICJ)で解決しようとする提案を行った。1954年9月25日に発出された口上書は、
「(竹島の領有問題)は国際法の基本原則に触れる領土権の紛争であるので、唯一の公正な解決方法は本件紛争を国際裁判に付託し判決を得ることにあると認められる。日本国政府は、紛争の平和的解決を熱望し、本件紛争を日本国政府及び大韓民国政府の合意の下に国際司法裁判所に付託することをここに提議する22」と述べて、竹島の領有権紛争をICJ に合意付託することを提案した。ICJ は強制管轄権を有しておらず、予めICJ の管轄権を認める選択条項受諾宣言を行っている国同士に限り一方的提訴が可能である。日本は、1958年9月15日にICJ の義務的管轄権を受諾する宣言を行っているが、同宣言は「この宣言の日付以後の事態または事実に関して同日以後に発生するすべての紛争」に限定しており、1952年の李ラインの設定によって竹島の領有権紛争が生じたとすると、仮に韓国が将来同宣言を行ったとしても、一方的付託は困難である。ICJ に紛争を付託するためには合意付託以外の方法は存在しないことになる23

 これに対し、韓国政府は、1954年10月28日の覚書で、
「機会のあるたびに韓国政府は明白にしてきたように、独島(竹島)は太古の時代から韓国の領土であって、また現在においても韓国の領土である。……紛争を国際司法裁判所に付託しようとする日本政府の提案は司法的な装いとして虚偽の主張をしている1 つの企図に過ぎない。韓国は独島に対して初めから領土権を持っており、その権利についての確認を国際司法裁判所に求めようとすることの理由を認めることはできない。いかなる紛争もあり得ることがないにもかかわらず、類似的な領土紛争を造作するのは日本である。……
韓国国民は独島を守護し、それによって韓国を保全する決意を持っている。それゆえ韓国政府は臨時(ママ)的であり、また国際司法裁判所においても独島に対する韓国の主権を疑義に付する必要はない24」と述べて、これを拒絶した。なお、1954年4月26日から8月7日まで韓国を訪問したヴァン・フリート(Van Fleet)使節団の帰国報告書(1986年公開)には、米国は竹島を日本領であると考えているが、米国の立場は紛争をICJ に付託するのが適当であるとの考えであり、非公式に韓国にこのことを提案したとのことである。しかし、韓国は「独島」は鬱陵島の一部であると反論したとされる25

 日韓国交正常化交渉中の1962年3月の日韓外相会談で、小坂善太郎外務大臣が崔徳新外務部長官(いずれも当時)に同様の提案を行ったが、崔長官は再び拒否している26。1965年6月22日の日韓基本関係条約締結とともに、日本の椎名悦三郎外務大臣と韓国の李東元外務部長官との間で、「紛争解決に関する交換公文」が交わされ、「両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず、外交上の経路を通じて解決するものとし、これにより解決することができなかつた場合は、両国政府が合意する手続に従い、調停によって解決を図るものとする27」ことが合意された。日本国政府は、この紛争の中に竹島問題は含まれると解しているが、韓国政府は、独島は韓国固有の領土であり、この問題は日韓間の「紛争」たりえないと主張する28。ということは、両国の合意がない限り、調停に付することもできないということになる29

 なお、衆議院における、昭和40年10月27日の日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会の審議において、社会党の松本七郎委員が、韓国の議会における李東元外務部長官の発言として、「紛争解決のためのノート交換があるのだけはこれは事実です。しかし、これは国際会議慣例上の常識であります。幾ら親善国家間に結ばれた条約も、一定の時間がたつにつれ誤解が生ずることもあり、摩擦があり得るのが、歴史的に証明されたことです。だから、今後、特に漁業問題や請求権問題等々において万一誤解が生じたり紛争が生じたりするときには、これをどう解決するかという、解決策に対するノート交換がありました。これには独島問題が包含されていないということを、椎名外相、また日本の佐藤首相が了解しました」との発言を紹介した。

 これに対して、佐藤栄作総理大臣(当時)は、「国民の各位も、松本さんの朗読を通じて、この問題が紛争であることをよく承知しただろうと思います。……ただ、その中にありますように、この問題が最後に椎名君やあるいは私自身が了承してそれでこれが調印を得たという、そういう言い分がありますが、その点は、全然さようなことはございません。……もう一つつけ加えて申し上げておきたいのは、紛争処理の問題が交換公文のあることは確かだ、しかし、日本と韓国の間では漁業関係や経済協力の問題でも紛争があるから、そういうものの処理のためにこれを残したんだと言われますけれども、漁業並びに経済協力には、紛争があればその協約の中に解決する方法がちゃんと決められています。だから、その点は明確に決めてありますので、誤解はないだろうと思います30」と明確に反論している。

 いずれにしても、竹島の領有権について両国間に紛争が存在することは紛れもない事実である。国際法上、一国の主張によって紛争の存否が決定されるわけではない。現在の国際司法裁判所の前身である常設国際司法裁判所(PCIJ)は、1924年8月30日のマブロマチスのパレスチナ特許事件(管轄権)判決において、「紛争とは、2つの主体間の法律又は事実の論点に関する不一致、法律的見解又は利益の衝突である31」と定義している。またICJは、1950年3月30日のブルガリア、ハンガリー及びルーマニアとの平和諸条約の解釈に関する勧告的意見の中で、「国際紛争が存在するか否かは客観的に決定されるべきものであって、単に紛争が存在しないとの主張がその不存在を証明することにはならない32」と述べている。これらの判例に従えば、日韓両国の間には、竹島の領有権をめぐる「紛争」が存在する。なぜならば、両国はともに、この島の領有権を主張しており、ここに領有をめぐる両国の法律的見解の衝突があるからである。

 もっとも、実際に紛争がICJ に付託される場合を想定して、判決の帰趨に大きな影響を与える決定的期日(critical date)や時効、さらには黙認など検討すべき課題は多い33

註22

国際法事例研究会『前掲書』(注10)178頁。

註23

芹田健太郎「竹島を『消す』ことが唯一の解決法だ」『中央公論』2006 年11 月号272-273頁。

註24

国際法事例研究会『前掲書』(注10)178頁。

註25

外務省『竹島 竹島問題を理解するための10のポイント』14頁。Cf. http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/

註26

『同上』14 頁。

註27

鹿島平和研究所篇『日本外交主要文書・年表 第2巻』(原書房、1984年)606-607頁。

註28

実際、この交換公文の適用対象として竹島の名は明記されなかった。この経緯については太寿堂鼎『領土帰属の国際法』(東信堂、1998年)〔「竹島紛争」(初出、1966 年)〕125-126頁。

註29

皆川教授などは、この交換公文を評して、「実際問題として竹島をわが国の手にとりもどす見込みはほとんどなくなったと言わざるを得ない」との厳しい評価を下している。皆川洸「竹島紛争とその解決手続」『法律時報』第37巻10号(1965年)38頁。

註30

衆議院日本国と大韓民国との間の条約及び協定等に関する特別委員会議録(昭和40年10月27日)。なお、松本委員による質問において、李東元外務部長官の発言として、「椎名さん、人も住まず、犬さえいやだと住みつかない独島、われわれは、自分の領土だから、しかたなく守るけれども、あなたたちは何のためにそんなことで一生懸命言いがかりをつけるのかとこう語りました。その後韓国に滞在する間に椎名外相が二度と独島問題について言及したことがありません」との発言も紹介されている。

註31

The Mavrommatis Palestine Concessions, PCIJ Series A, No.2, p.11.

註32

Interpretation of Peace Treaties with Bulgaria, Hungary and Romania, ICJ Reports, 1950, p.74.

註33

この点については、中野徹也「竹島の領有権をめぐる戦後の動向について」『第2期『竹島問題に関する調査研究』中間報告書』(平成23 年2 月)36-46 頁に詳しい。

5 おわりに

 韓国では、李ラインが現在の排他的経済水域の先駆けとなったとする再評価が行なわれている。しかし、そうした評価は、1952年のサンチャゴ宣言との比較においても困難である。

 韓国側は李ラインという日本側から見ると暴挙にしか映らない外交政策であっても、その正当化を国際的に積極的にアピールしようとしている。李ラインの肯定的評価によって、独島に対する韓国の立場の強化を目指そうという狙いがそこには垣間見える。他方、こうした韓国の姿勢と比較すると、日本では竹島問題についての日本の主張を発信しようとする姿勢がきわめて弱いように思われる。機会あるごとに、日本の竹島に対する領有権の根拠を明らかにし、竹島の不法占拠を続け既成事実化にまい進する韓国の政策の問題点を提示してゆくことこそが必要である。

 友好国である韓国への配慮を口にする人もいるが、友好国であるからこそ、率直にお互いの見解を交わし、両国の外交交渉で解決できない問題は、国際司法裁判所やその他の平和的解決手段で解決するという姿勢を示す必要がある。日韓はともに国連の加盟国であり、国連憲章第2 条3 項が、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない」と規定し、国連の基本原則としていることを忘れてはならない。周知のように、国連憲章は第14 章に国際司法裁判所に関する規定を設け、第92条で、「国際司法裁判所は、国際連合の主要な司法機関である」と位置付けている。そうした中で、国連加盟国である日本が、韓国に対して竹島紛争のICJ付託を提案することは国連加盟国として至極当然のことであり、これを拒否する韓国側にこそ問題があることを国際的に発信する必要があろう。

ページの先頭に戻る