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時代別テーマ解説

時代区分 II  竹島が島根県に編入された1905年(明治38年)前後から終戦まで 明治時代~1945年(昭和20年)

(2) 竹島に対する平穏かつ継続的な行政権の行使

竹島に関連する漁業行政

1. 所轄

 竹島は、1905年(明治38年)1月28日の閣議決定により、無人島であった島に「竹島」の名前がつけられ、島根県の所属となり、隠岐島司の所管となった。

 その後、島根県の指示(※1)により隠岐島庁が竹島の面積を調査し、略図を添付し報告した(※2)。島根県はその内容を官有地台帳に記載し(下図)、面積は弐拾参町参段参畝歩と記載された。

 上記の閣議決定によって、竹島は隠岐島司の所管とされたが、このことは1909年(明治42年)に勅令54号によって島庁を置く島地が指定された際に、隠岐島庁の管轄区域として竹島が記載されていることによっても確認されるNo.19

隠岐島庁(長は隠岐島司)について

 戦前の地方制度の一つで、県知事の下で管轄区域の行政事務を所掌する機関。1888年(明治21年)閣令第3号により、島根県管下隠岐国に島司を置くとされ、同年島根県令第51号により島庁が設置された。その後、1890年(明治23年)勅令225号により島庁は閣令よりも高い勅令によって設置し直すことが規定された。
 さらに、1909年(明治42年)勅令54号により、隠岐島が正式に島庁をおく島地に指定された。(隠岐島庁の管轄区域に竹島が明記された。)
 隠岐島庁は、1926年(大正15年)勅令147号地方官官制改正により廃止され、代わりに島根県隠岐支庁が設置された。

島根県地理係「竹島官有地台帳」 1905年(明治38年)5月17日
島根県地理係「竹島官有地台帳」
1905年(明治38年)5月17日
所蔵:島根県公文書センター

2. 登記

 中井養三郎は、自身を代表社員とする竹島漁猟合資会社を橋岡忠重らと設立しNo.23、竹島でのアシカ漁を開始した。1905年6月15日付の『官報』には、商業登記の部に竹島漁猟合資会社が登記されたことが掲載されているNo.20

3. 課税等

 島根県は、1906年(明治39年)3月1日付で、県税賦課規則(1906年島根県令第11号)を改正し、新たにアシカ漁の税高を定めて税目に加えた(※3)
 また、中井養三郎は、官有地使用許可願いを提出し許可を取得し、その許可願は5年ごとに出された(下図に例)。官有地の使用者は、使用料を毎年支払い、国庫に納付された。島根県公文書センターには、徴収状況を記録した台帳が残存し、日本銀行に納付(4円70銭)されていたことが示されている(※4)

竹島漁猟合資会社代表社員(中井養三郎)から島根県知事に宛てた官有地借用願(書き写し)
竹島漁猟合資会社代表社員(中井養三郎)から
島根県知事に宛てた官有地借用願(書き写し)。
(期間:明治44年7月~明治49年6月)
所蔵:島根県竹島資料室

4. 産業取締、許認可

 島根県は、1905年(明治38年)4月14日、漁業取締規則(1902年島根県令第130号)を改正し、 竹島におけるアシカ漁業を許可漁業としNo.21、 中井養三郎他3名にそれを許可、鑑札を1枚交付したNo.22No.26。同年7月には、衛生上の問題を起こしていたアシカ漁業者に対し隠岐島庁が注意を行っているNo.24
 その後、島根県は、1921年(大正10年)4月1日付で、アシカ漁業者に限って竹島の一定の区域で海藻や貝の採取を行うことを許可したNo.25
 また、1935年(昭和10年)5月には、大阪鉱山監督局に竹島の燐鉱試掘願いが提出され、1939年(昭和14年)6月6日、竹島燐鉱試掘が許可された。これは、商工省が同年9月19日付の『官報』(第3813号)で公表しているNo.27

 以上、一連の竹島に対する行政権の行使は、平穏かつ継続的に行われ、いかなる国からの抗議も受けることはなかった。

※1 「島根県地第90号」『竹島』(島根県公文書センター所蔵)
※2 「甲土第4号(竹島面積之件上申書)」『竹島』(島根県公文書センター所蔵)
※3 「島根県令第8号〔県税賦課規則〕」(竹島資料ポータルサイト掲載 資料番号:T1906030100101)
※4 「官有物貸下料(地所使用料)」(竹島資料ポータルサイト掲載 資料番号:T1925051400101)

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