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国土強靱化:私のひとこと vol.9
一人ひとりが自ら考え、行動できる力を持ってこそ、 名城大学都市情報学部教授 柄谷友香氏 「ちょっとだけ人間が手を貸せば、自然が立派に野菜を育ててくれるんだもの。津波は怖いが大地に感謝。」 阪神・淡路大震災をきっかけに防災研究に従事し、被災現場のリアリティを記録し、次の災害に活かすための研究に取り組んでいる柄谷友香氏(名城大学都市情報学部教授)に話を伺いました。 阪神・淡路大震災当時、私は工学部土木工学科に所属しており、講義や演習を通じて、わが国におけるハード整備による防災対策を中心に学んできました。前年同日に発生したアメリカのノースリッジ地震により崩れた高速道路を見ながらも、日本の設計基準や技術力の高さから、「日本ではあり得ない」と若輩の学生ながら信じていました。ちょうどその1年後の1月17日に阪神・淡路大震災が発生したのです。闘病生活のため、入院中の被災でしたが、搬送される患者さんたちの姿とともに、道路や橋梁、港湾などのインフラ整備が壊滅的な被害を受けるという「ハード整備の限界」を痛いほど見せつけられました。また、高速道路を行き交う緊急車両、立ち並ぶ仮設住宅を窓の外に見ながら「被災地にいながらなにもできない」自分の不甲斐なさを味わいました。このやり切れない被災経験が、奇しくも防災研究を志すきっかけとなったのです。私たちは巨大災害によって著しい環境の変化を余儀なくされます。一瞬にして、大切な家族や財産を奪われるのです。しかし一方で、被災前の生活、さらにはもっとよい新たな人生を再構築しようとする力を主体的に発揮するのも人間なのです。被災された方々に寄り添いながら、生活再建のプロセスを学び、事前にどのような知識や資源、能力を備えればよいのか、追究したいと考えています。 インフラ整備の効用と限界を共有し、その差分を自助・共助で補い合う 「今般の水害はダムによる人災である」。2006年7月鹿児島県北部豪雨災害の直後、被災者の強い言葉が聞かれました。これを受けて、訴訟を含めた原因追及のための被災者協議会が発足され、一部の被災住民が河川管理者に対して訴訟を起こそうとしました。裁判は判決が出るまでに時間・費用を要し、地域内での公平感の歪みや、その後の住民と行政間の協働の機会を逸しかねません。ところが、結果的には、原告自ら訴訟を回避し、住民と行政がその後の川まちづくりに向けて連携していったのです。その背景には、河川管理者と被災住民との度重なるコミュニケーションがあり、その中では、被災者支援に関する法制度やダム操作など治水事業に関する知識までを共有していきました。このように、土木工学やインフラ整備に関わる技術者と、安全を享受して暮らす人々との知識のギャップを埋めること、効用と合わせて限界を正しく理解し、その差分を自助や共助で補い合うこと、すなわちリスクコミュニケーションがとても重要と考えています。 「被災するということ」への理解と共感 学生たちと共に被災経験に“学び合う” 東日本大震災後、可能な限りの情報と装備を携え、すぐさま被災地に向かいました。最初に訪問したのは大きな防潮堤が破壊された宮古市田老地区。以前に防潮堤のことを語ってくれた方々の家は流され、静寂の中に行方不明者を捜す自衛隊員の声と重機の音だけが響いていました。その光景に、阪神・淡路大震災以降、防災研究や教育に従事してきた“つもり”の自分に「何をやってきたんだ。なにもできないじゃないか」。何とも言えぬ無力感に苛まれたのを覚えています。これから何をすれば良いのか、その現場で考えた結果、被災された方々に寄り添いながら、「被災するということ」を理解・共感させていただこうと思ったのです。被災地に暮らすことによって、被災者と非被災者という異なる境遇にある者同士が「災害現場」という厳しい環境を共有し、互いの主観をぶつけ合い、「被災するということ」を客観的かつリアリティをもって描き出せないか。被災経験のない人たちに災害観・イメージを共有してもらい、具体的な防災対策につなげられないか、と。 その後、陸前高田市内の避難所の一つで、被災者の方々と過ごし始めました。そこは、震災前には避難所指定されていなかった地区公民館でしたが、自主防災組織の皆さんがいち早く開錠し、三カ月にわたる住民主体の避難所運営をされました。この地区は高台のため、津波には遭わなかったものの、家屋被害やライフライン被害もあって、いわゆる“被災者”なのです。津波に遭われた地区の避難者を受け入れ、行政不在の中、被災者同士助け合いながらの運営だったのです。 この避難所運営での女性の活躍は大きかったです。例えば、周辺への食料調達、炊き出しはもとより、不安により体調を崩す避難者への声かけ。また、小学生らの保護者が安否確認に来ることを想定し、周辺の避難施設に出向き、子どもたちの避難者名簿を作成し、安心情報を提供しました。避難者数が多すぎて衛生面で問題が顕在化してきた時には、一人ずつ丁寧に面談し、親戚などがいる他の地域に行くことを促し、避難者数を減らしてきました。地域主導の避難所開設・運営、また、女性の力の活用は大いに学ぶべき点と考えています。 一人ひとりのレジリエンスを発揮させ、持続可能な復興地を目指す 近藤民代先生(神戸大学准教授)と共に、「東日本大震災後の自主住宅移転再建プロセスとそれに伴う市街地空間形成」の把握に努めています。自主住宅移転再建に着目するのは、「行政による復興事業に過度に依存せずに、人がもつ復元力を発揮して自律的に住宅再建された層」と捉えており、将来の災害に備えて1人でも多くの自律再建者を増やすことが喫緊の課題と考えているからです。現地調査を通じて、住宅再建までの意思決定過程と再建行動、可能にした人の資源、その結果に対する自己評価や新たな地域コミュニティの課題などを明らかにしています。もちろん住まいの確保という一側面ではありますが、被災者一人ひとりがレジリエンスを備え、発揮できる社会の実現に寄与できればと考えています。 自主住宅移転再建がこれほど進む背景には、膨大な復興事業に時間を要し、待っていられないことがあります。例えば、私の大好きなまち陸前高田市では、震災前には低平地に中心市街地が形成されていました。甚大な津波被害を受けて、その土地の多くが災害危険区域に指定された結果、役所や学校などの公共施設は高台に移転し、家屋や土地を失った方々も復興事業を待たずして自主的に山林や農地を宅地化し、住宅再建をするという意思決定と行動をされているのです。しかし、その結果、市街地空間がぼんやり広がってしまい、コミュニティの分散や交通アクセスの困難など新たな課題を引き起こしています(図参照)。 震災後の自主住宅移転再建に伴う市街地空間の変容(陸前高田市) このことから、被災者のレジリエンスを高め、発揮できる環境を整えつつ、その結果として地域全体が持続可能であるような誘導策などをセットで検討しておくことが重要と言えます。たとえ震災のような急激な環境の変化が起きても、安全・安心でコンパクトな街といった目標に近づけられる「事前復興計画」を平時から考えておかなければならないと思います。こうした教訓を受け、南海トラフ地震に備えようとしている市町村の方々と一緒に事前復興計画にも取り組んでいるところです。 真の「国土強靱化」を目指して 「国土強靱化」にはハード整備で国土を強くするというイメージがまだまだ残っているようです。例えば、ハリケーンカトリーナの甚大な被害を教訓として2010年に公表されたアメリカの「国土安全保障レビュー報告書」(国土安全保障省)には、災害に対するレジリエンス要因として、ハード整備と合わせて、国民が「災害がもたらす混乱に耐えること」、「危機の間における効果的な自身の統治」、「事象の結果に伴う状況の変化への適応」が挙げられています。国民が然るべき知識を持ち、自ら考えて行動できる力を持ってこそ、ハード整備や公助が活きてくる、そのように解釈しています。 わが国の国土強靱化基本計画にもリスクコミュニケーションとして、同様のことが位置付けられています。インフラを作れば終わりではなく、そのインフラの恩恵を最大限享受するためにも、国民一人ひとりが果たすべき役割、責務について考えて行動することが欠かせません。そうすることで、国全体の安全度、強靱化力が底上げできるのではないかと考えています。 それでは具体的にどうすればよいのか。地域の減災・再建の中核を担う方々に共通する点として、「過去の経験に真摯に学んでいる」ことがあります。命を守るための避難訓練は最重要ですが、合わせて避難生活から住まいや地域の再建までを含めて「災害像」をイメージできることも今後の課題と思っています。例えば、ご自身の住宅を再建するためには、土地や資金はどうするのか、災害公営住宅を選ぶのか。インフラを整備する技術者であれば、住民とどのような知識を事前に共有すれば、災害時の対応や事業そのものの進捗がより納得いく形になるのか、等々。国民、行政、技術者などみんなが災害をイメージできる力を持つことが、より具体的な事前の備えにつながると考えています。 東日本大震災から4年半。まだまだ復興の途についたばかりです。現場に学ばせていただいた「被災するということ」、そして「被災を乗り越える」術を活きた教材として語り継ぎ、減災社会の実現に向けて微力を尽くしたいと考えています。
柄谷友香氏 プロフィール
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