1.政府・国民二分法的発想の打破
本懇談会では、従来の政府における会議とは異なる新たな試みが取り入れられた。それは、一言で言えば、政府の有識者会議を双方向のコミュニケーションの場にする取組み、と言えるだろう。こうした取り組みが、今後、様々な形で会議において取り入れられると、政府と国民の間をより親密なものにできると期待される。
ただ、こうした取り組みが実を結ぶには、国民の中に依然としてある「政府・国民の二分法的発想」を打破しなければならないと思う。この言葉は、拙共著『日本政治の経済分析』(木鐸社)で記したものだが、政府を「お上」として、国民とは関係のない統治者であるとする見方である。つまり、国民は政府とは何のつながりもない別の主体であり、都合の良いときだけただ乗りしようとする考え方でもある。
わが国は民主主義国家である以上、政府は国民のものであり、国民は政府の意思決定に何らかの形で関与する主体である。政府と国民は別物であるという発想が背後にあると、せっかくの新たな取組みも有機的に政策形成に結びつかない。政府・国民二分法的発想を拭い去り、政府は国民のものであるとの認識に立ってこそ、政府と国民の間を結ぶコミュニケーション・ツールが有効に機能すると考える。
2.行政の無謬性の払拭
本懇談会でも、幾度か話題になったように、行政当局は過ちを犯さないとか過ちを犯してはならない、という見方に捉われると、行政当局が国民に対して柔軟に対応できないことがしばしばある。政府と国民の間を結ぶコミュニケーションが今より改善したとしても、国民が行政当局を見る眼が、依然として行政の無謬性に捉われてしまうと、行政当局が試行錯誤を伴う政策を講じることが難しくなる(ましてや、行政当局自らが行政の無謬性を盾に過ちを認めないということはあってはならない)。行政当局に試行錯誤を認めないという頑なな態度が、かえって国民にとって不利益となることがある。
今後は、政府が国民の要望を柔軟に受け止めて実行に移す際には、行政当局が完全無欠でない対応を行うことを、一定の許容範囲のなかで国民が認める必要であると考える。もちろん、誤りが見つかれば早期に是正することは言うまでもない。特に、今後の行政の対応には、前代未聞の事態に対応しなければならないことが多々出てこよう。そうした場合には、前例主義は通用しない。だからこそ、行政当局に臨機応変な対応ができる余地を設けるべく、行政の無謬性を払拭することが大切である。
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