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国土強靱化:私のひとこと vol.1

生き残るための判断力・行動力を持った子供たちが「防災」を「文化」にする

慶應義塾大学環境情報学部准教授 大木聖子氏

 阪神・淡路大震災−その映像を見て衝撃を受け、なぜ予知できなかったのだろうとの思いから地震学者を志した大木聖子准教授(慶應義塾大学環境情報学部)に話を伺いました。

 高校生の時に起きた阪神・淡路大震災。災害という理不尽の前で何もできなかった自分が悔しくて、地震学者を志しました。その地震学者になって迎えた巨大災害が、東日本大震災でした。それはもう重大な責任を感じました。予知できなかったことについて言っているのではありません。むしろ、地震予知は現段階では困難であることを伝えられるのは自分たち専門家だけなのに、それを自覚し、もっと積極的に伝え、備えを促してこなかったことで被害が拡大していたとしたら、私たち地震学コミュニティには重大な責任があるということです。
 社会が抱えるリスクについて考えてみましょう。個人個人が少しのリスクをテイクすると、社会全体のリスクが軽減されます。現在の私たちの社会は、専門家・政治家・官僚・メディア・市民、だれも我慢したくないために、社会のリスクがどんどん上がっていて、全員が命を危険にさらす状況になっているように感じられるのです。ここで言う「我慢」とは、地震災害で言えば、専門家が「これだけの予算をもらえれば、こんな研究でこんな安全を築けますよ」と安易に言わないこと、むしろ「予算があったとしても、科学・技術の限界としてこれはできないんです」と正直に言うこと、住民にとっては、その限界を受けとめ、空振りかもしれないけど避難すること、政治家や官僚にとっては、脆弱な科学的根拠であることに目をつむって、自身の判断による責任の回避を科学の世界に押し付けないことです。
 それぞれの立場で見えている現実を伝え合い、誰かに押し付けずにそれぞれが対策を取れば、地震災害の被害は大きく軽減できるはずです。


 家族で何があっても失ってはいけないものは何かを考えること、それが国土強靱化の第一歩

 「レジリエンス」という言葉の説明をしてくださった方が、「これからは『想定外を想定する』ではなく、『どんな想定外でも失いたくないものは何か』、それを失わないために必要なものを積み上げていくこと」とおっしゃった時に、国土強靱化の考え方にとても共感しました。今の地震の科学の実力では、想定外を想定できるような予測能力はありません。そもそも人として、想定外を想定する、なんて困難です。想定できないから想定外なわけですから。
 それよりは、「いかなる想定外があっても失ってはならないものは何か」を考える。これなら誰でも思い浮かぶでしょう。巨大地震でも、テロでも、隕石衝突でもいい。私が絶対に失いたくないものは何か。家族の命、可能な限りの財産、できれば住居、それから社会機能も守られていることを願います。こうして誰でも想像できるはずです。そのために必要なことは何かを考えていく。国土強靭化とはそのような考え方だと理解しています。想定外を想定なんてしていたら、必要な物が山ほど出てきてしまって、国家予算がどれだけあっても足りるわけがありません。
 私は、学校の安全担当の先生方を対象とした防災教育のレクチャーの最後に「これがレジリエンス(強靱化)の考え方です。先生方にとっていかなる想定外でも絶対に失ってはならないものは何ですか?」と質問します。すると、児童・生徒や卒業生の命、可能な限り校舎や体育館、とおっしゃるのですが、御自身の命のことは考えられてないんです。「あなたの家族にとってはあなたの命が最も失ってはならないものだし、担任の先生が亡くなったら子供たちはどう思いますか。だからこそ、あなたが生き残るために、子供たち一人一人が自分で生き残る判断力と行動力を身に付けなければならないんです。そういう姿勢で防災教育に取り組むべきです。」と先生方にお話ししています。


 一人一人が行動を変え、文化にしていく、そのためには教育が重要

 日本人が環境問題を意識するようになり、短期間でゴミを分別する習慣を持つようになったことはすごいことです。このゴミ分別のモデルは防災対策でも参考になると思っています。「ゴミ袋はこれでなければならない、分別できていないゴミは持っていかない」というトップダウンと、学校の授業で「地球がこの先どうなるか、ゴミの分別をするとゴミの量がこれだけ減る」ということを学び実践するボトムアップで、国民一人一人の意識が瞬く間に変わりました。今ではたいした意識もせずに、誰もがゴミを分別できています。国民全体がここまでできるというのは、もはや文化のレベルです。
 同じように防災も、例えば家具が固定されているのが当たり前、むしろ固定されていなければ落ち着かない、家族全員が避難場所について知っている、家を選ぶときに「こんな危険な場所は安くたって買えない」と言える、そうなる必要があるんです。そういう認識を持つ子供が、10年後、20年後には親になり、自分の子供にごく当たり前のこととして教えていけば、一世代で防災が文化になる。地震大国である日本こそが、こういった文化を持つにふさわしい国です。そしてそういった国家は諸外国から見たら、どんな災害に対しても強くてしなやかな、レジリエントで美しい国に映るのではないでしょうか。


 自分のアクションで被害を減らし家族の命を守ることができる

 地震と災害の区別について考えてみましょう。どんな大きな地震が発生しても、巨大津波が起きたとしても、その土地に誰も住んでいなければ無被害です。地震が発生することと、そのことにより災害になる、被害を受けるということは本質的に別のことなのです。
 地震の発生時刻や発生場所については不確実性が大きく、いつどこで発生するか分かりません。しかし、地震が発生して起きる現象は、極めて確実性が高い。物が落ちてくるか、倒れてくるか、移動してくるか、のいずれかです。だとしたら、いつ地震が起きても物が落ちてこない、倒れてこない、移動してこないようにしてしまえばいいだけです。それだけで、地震が起きても被害は起こらない環境が作れます。地震後に津波がくるのであれば、高いところへ走って避難すればいい。ほとんどの地震対策は自分でできるものです。
 完全なゼロリスクにする必要はありません。よく、「固定したら絶対に倒れてきませんか?」とか「固定したって倒れてきた例があるから、固定には意味がない」とか言う方がいますが、テーブルの下などに逃げる時間を稼ぐことさえできれば家具は倒れてもいい、くらいに考えればいいのです。ゼロリスクが手に入らないなら対策をしない、という理由ですぐにでもできる備えを怠り、地震発生時に即死したら、それこそ元も子もありません。


 楽しみながら学び実践することが普及への近道

 慶應湘南藤沢キャンパスの私の研究室の学生たちは、避難所運営をシミュレーションする教材を四コマ漫画で作ったり、得意なダンスを生かして、地震時に身を守るダンゴムシのポーズに振り付けをして広めたり、私ではできないことを発想し次々と実践していきます。他にもITの研究室の学生と一緒にアプリを開発するなど、様々な分野を結び付けていくことも考えています。様々な専門分野にまたがっている防災は、専門性を極めるだけのこれまでの学問形態とは違う切り口で考えることが必要でしょう。
 若い発想が、防災を、より身近で、よりかっこいいものにしてくれていることを実感しています。「医者にならなくても、人の命は救えるのですね」と瞳を輝かせている学生たちと共に、レジリエントな日本社会を築いていきたいと思っています。

じしんダンゴムシ体操(写真:大木聖子研究室HPより)

大木聖子氏 プロフィール
  慶應義塾大学環境情報学部(SFC)准教授
専門は地震学・災害情報・防災教育等
東京大学地震研究所助教を経て、2013年4月より現職
主な著書に『超巨大地震に迫る−日本列島で何が起きているのか』(纐纈一起教授との共著,NHK出版新書)、『地球の声に耳をすませて』(くもん出版)など

HP http://raytheory.jp/
Twitter https://twitter.com/toko311

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