サンフランシスコ平和条約の下で尖閣諸島は日本の南西諸島の一部として扱われています
戦後、1951(昭和26)年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約において尖閣諸島は日本が放棄した領土には含まれず、日本の南西諸島の一部として米国の施政下に置かれました。尖閣諸島の一部は米国が射爆撃場として使用されていましたが、当時、中国はそれらの措置に一切異議を唱えておらず、逆に中国共産党の機関紙や中国の地図の中で、日本の領土として扱われてきました。

【1953年1月8日人民日報記事
「琉球諸島における人々の米国占領反対の戦い」】

【『世界地図集』
(1958年出版(1960年第二次印刷))】
【サンフランシスコ平和条約調印式】
(写真提供:共同通信社)
【サンフランシスコ平和条約調印式】(写真提供:共同通信社)