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「世界津波の日」発信を 小此木国土強靱化担当相ら意義語る

 東日本大震災を経験した日本が世界に呼び掛け、国際デーの一つとなった11月5日の「世界津波の日」。津波対策への関心を高める1日として2015年12月に国連で制定決議が採択され、今年で2年目を迎える。小此木国土強靱化担当相や内閣官房参与の藤井聡(ふじい・さとし)京都大大学院教授、東日本大震災時の岩手県釜石市立釜石小学校長・加藤孔子(かとう・こうこ)さん、フリーキャスター・気象予報士の酒井千佳(さかい・ちか)さんが東京都内で、防災に必要な心構えや防災強化の取り組みについて意見交換したほか、「世界津波の日」制定の意義を語り合った。

“軌跡”の上に咲いた奇跡
防災教育、絆が命守る
釜石小の経験から考える

▽「稲むらの火」

 酒井 11月5日が「世界津波の日」となったいきさつとその狙いを教えてください。

小此木国土強靱化担当大臣

 大臣 11月5日が「世界津波の日」に選ばれたのは、安政元(1854)年の11月5日に紀伊半島を襲った「安政南海地震」による大津波から、多くの命を救った浜口梧陵(はまぐち・ごりょう)の逸話「稲むらの火」にちなむ。  現在の和歌山県広川町の村人・梧陵は自ら稲わらに火を付けて急を告げ、村人を高台に避難させた。この先人の成功に学び、津波への関心を世界中で高め、津波から人々の命を守る対策を進めていきたい。
 酒井 2011年3月11日の東日本大震災で釜石小学校の児童は自ら判断し高台に逃げ、津波から身を守った。津波当日はどんな状況でしたか。
 加藤 あの日は午前中だけ授業の金曜日。大きな揺れから約30分後に津波が来た時、子どもたちは全員下校していた。高台の学校で津波を見ながら子どもたちを心配した。でも夜になるまで外は歩けなかった。翌12日、子どもたちを捜しに外に出て坂を下りた。一面、がれきと泥の山。必死に捜し全校児童184人中、174人を見つけたが、残る10人はなかなか見つからない。最悪の事態が一瞬、頭をよぎった。
 その翌日の13日午後3時2分、児童全員の無事を確認した時、先生方と泣いて喜んだ。その瞬間は「奇跡」だと思った。

▽「津波てんでんこ」

加藤 孔子氏(かとう・こうこ)岩手大卒。岩手県教委指導課指導主事などを経て08年から4年間、釜石小学校長。現在盛岡市立見前小学校長。岩手県出身。59歳。

 酒井 奇跡を起こしたものは何ですか。
 加藤 地震・津波時の危険箇所や避難場所を子どもたちが自ら歩きながら地図に記入した「ぼく、わたしの防災安全マップ」や東日本大震災が起きる前に3回繰り返した「下校時津波避難訓練」、映像を取り入れた過去の津波事例に学ぶ「津波防災授業」が役立った。 もちろんこれだけではない。津波が来たらとにかく家族てんでばらばらで高台に逃げろ―という地元・三陸地方の言い伝え「津波てんでんこ」の効果も大きかった。友だちや小さな弟を連れて一緒に高台に逃げた子どもたちもいた。友だち、家族を思う心や、子どもたちに声を掛けて高台に導いてくれた地域の方々との絆も、多くの子どもたちの命を救った。
 子どもたち自身は命が救われたのは「奇跡」だと思っていない。ある6年生から「奇跡じゃない。学校で教わったことをそのまま実行した」と言われた。防災教育や言い伝え、家族、友人や地域を結び付ける心と絆のすべてが多くの子どもたちを守った。いまは「奇跡」ではなく、子どもたちと学校・地域がこれまで共に取り組んできた津波対策の“軌跡”が生んだ結果だと思う。
 大臣 私がずっとやってきた野球でも、本番に備えてさまざまな練習を繰り返す。日ごろの練習があってこその本番。釜石の子どもたちは津波避難訓練を3回繰り返す中で、津波に対する備えが自然に身に付いた。それが「奇跡じゃない」「いつもやってきたこと」という子どもたちの認識につながっている。その認識の底には「教えてくれてありがとう」という先生方への感謝の気持ちがあると思う。
 藤井 「奇跡」を起こした子どもたちにとっては、普通の“軌跡”と思えるような、学校の授業だけではないさまざまな形での大人たちの働き掛け、適切な教育があったと思う。われわれが学ぶべきことはこの教育の偉大さだ。今後想定される南海トラフ地震を中心とした大津波に備える意味でも、釜石小学校の先生方の取り組みは、教育に関わるすべての日本人が学ぶべきものだと改めて感じる。

▽防災リーダー育成

 酒井 今後の大津波に備えるためにやるべきことは何ですか。

藤井 聡氏(ふじい・さとし)京都大大学院修了、工学博士。東京工業大教授などを経て09年京都大大学院教授。12年から内閣官房参与。奈良県出身。49歳。

 藤井 日本全国の子どもたちが「釜石小の奇跡」のように、しっかりと自分の命を守れるように教育するとともに、1番の基本である堤防をきちんと整備する必要がある。
 堤防は人々の命と街そのものを守る。逃げる高台がない地域には津波タワーも造る。企業は専門用語でBCP(事業継続計画)といわれる防災計画をしっかり作り、災害に備えてほしい。各地域も、町内会などで話し合い、災害時にどう逃げるかを一軒一軒が考える取り組みをしていただきたい。ソフトとしての防災教育からハードの堤防整備まで、できることをすべてやっていくべきだ。
 酒井 将来の日本や世界の防災を担う若者に期待することは何ですか。
 大臣 今年11月7、8の両日、沖縄県宜野湾市で「世界津波の日2017高校生島サミットin沖縄」が開催される。世界26カ国、約250人の高校生が沖縄に集まり、防災、減災を議論する。津波、地震の被害を最小化する国土強靱(きょうじん)化を担う将来の防災リーダーの育成が目的だ。このサミットをきっかけに防災に関する若者同士の国際交流や国際協力の輪を広げてほしい。
 加藤 高校生ら若者には東日本大震災の経験を語り継いでほしい。当時、現地やテレビで見たこと、感じたことなどをぜひお願いしたい。
 岩手県では「明治三陸大津波」と「昭和三陸大津波」があった。それをずっと大人たちが語り継いできた。だから「津波てんでんこ」の言い伝えがある。
 生きたくても生きられなかった命がたくさんある。命を大切にしてその人たちの分も生きてほしい。ふるさとの良さもしっかりと受け止めてほしい。人間は自然の恵みを受けて生きているが、その自然が時に津波のような牙をむく。しかし、それに対処する方法を若者たちはきっと考えてくれると信じている。

▽とにかく逃げる

 酒井 最後にメッセージを。
 加藤 津波などあらゆる災害が起きても、人間は知恵と努力で命を守り抜くことができる、地域はこれからも人と人が絆でつながる社会であり続ける。どこで暮らしていてもふるさとはふるさと。大きく考えると日本全体が私たちのふるさとだから、みんなで愛しながら守っていきたい。

酒井 千佳氏(さかい・ちか)京都大卒。北陸放送、テレビ大阪のアナウンサーを経て12年からフリーキャスター・気象予報士。兵庫県出身。32歳。

 藤井 津波に関してはとにかく逃げる、逃げることによって命が救われる。この単純なふるまいが「なぜできなかったのか」と将来反省する機会は絶対にあってはならない。さらに加藤さんがいわれる「ふるさと」、自分たちのまちを、可能な限り堤防を整備して守っていくことも大切だ。
 「稲むらの火」の後日談を最後に紹介したい。浜口梧陵は村人を救ったが、村は全部破壊されてしまった。仕事を失い途方にくれる村人を見た梧陵は私財をなげうち堤防を造った。その工事に村人を雇い、仕事とお金、そしてふるさとへの希望を村人に与えた。村人の命を救うだけではなく村を救った。
 それから1世紀近く後に起きた「昭和南海地震」による津波が梧陵のふるさとを襲ったが、梧陵の造った堤防が人々の命とまちを救った。これが「稲むらの火」の“最終章”だ。この物語を日本が世界に広め、物語に豊富に含まれる防災上の教訓を11月5日が来るたびに世界中の人々と一緒に思い起こすのが「世界津波の日」の意義だと思う。
 大臣 藤井さんのおっしゃったハードの堤防整備と加藤さんのソフトの防災教育は車の両輪だ。防災意識を高めるためにしっかりと情報を発信し、防災対策を国の施策の中心に位置付ける「防災の主流化」を進めていきたい。


(肩書・年齢は2017年11月3日現在)

◎「世界津波の日」

 世界津波の日 2011年3月11日の東日本大震災を教訓に、11月5日を「津波防災の日」と定めた日本が、世界中の防災意識の向上を目的に各国に提案を呼び掛けた。日本をはじめ142カ国の共同提案で11月5日を「世界津波の日」とすることが15年12月、国連総会の全会一致で決まった。日にちは、安政元(1854)年11月5日に発生した、安政南海地震時の大津波から人々の命を救った浜口梧陵の逸話「稲むらの火」にちなんで採用された。

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