No.21 『粛宗実録』に記載された安龍福の証言のみに由来する朝鮮古文献における「于山島」=「松島」の記述
概要
韓国側は、「『東国文献備考』「輿地考」(1770年)などには、「鬱陵(鬱陵島)と于山(獨島)は全て于山国の領土であり、于山(獨島)は日本でいう松島」と記述されており、于山島が獨島で、韓国の領土であったことをより明確にしてい」る(韓国外交部『韓国の美しい島、独島』より)と主張している。
しかし、『東国文献備考』 「輿地考」など18世紀以降の文献に見える「于山は日本のいわゆる松島である」という記述は、 『粛宗実録』(1728年) に記録された17世紀末の安龍福の供述に由来するものである。安龍福の供述は、当時、朝鮮政府自身によって否定されており(No.19参照)、朝鮮政府自身が安龍福の供述の価値を否定している以上、安の供述に基づく後世の文書の記述を、領有権主張の根拠とすることはできない。
しかし、『東国文献備考』 「輿地考」など18世紀以降の文献に見える「于山は日本のいわゆる松島である」という記述は、 『粛宗実録』(1728年) に記録された17世紀末の安龍福の供述に由来するものである。安龍福の供述は、当時、朝鮮政府自身によって否定されており(No.19参照)、朝鮮政府自身が安龍福の供述の価値を否定している以上、安の供述に基づく後世の文書の記述を、領有権主張の根拠とすることはできない。
関連する解説
関連する主古文書へのアクセスなど
タイトル | 所蔵機関(請求番号など)(注) | 概要 |
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「朝鮮王朝実録」『粛宗実録』 | 韓国国史編纂 委員会 |
同委員会ウェブサイトで閲覧可能。 |
『東国輿地志』 | 京都大学 人文科学研究所 図書室など(2020年に韓国古典翻訳院が出版したもの) | 柳馨遠が1656年に編纂した地理書。于山島に関する記述は『(新増東国輿地勝覧』に同じである。 |
『旅菴全書』「疆界考」 | 東京大学 東洋文化研究所 図書室など(1976年に韓国の出版社が出版したもの) | 申景濬が1756年に編纂した『旅菴全書』巻之七「疆界考」に「愚按 輿地志云 一説于山鬱陵本一島 而考諸圖志二島也 一則倭所謂松島 而蓋二島 倶是于山國也」とあり、私見と断った上で、『東国輿地志』には一説には鬱陵島と于山島は一島であるともいわれると記載されているが、諸々の図誌を考慮すると(鬱陵島と于山島の)二島があり、そのうちの一つがいわゆる倭の松島で、いずれも于山国に属すると述べている。 |
『東国文献備考』「輿地考」 | 国立歴史民俗博物館 図書室など(1959年に韓国の出版社が出版したもの) | 『東国文献備考』は、1770年、英祖が洪鳳漢や金致仁らに命じて編纂させた類書。同書は「輿地志云 欝陵于山皆于山国地于山則倭所謂松島也」とあるが、実際には『東国輿地志』にそのような記述はなく、『東国文献備考』の当該部分の記述は、『旅菴全書』「疆界考」に由来し、なおかつ要約を行った結果、申景濬が私見としたことがわからなくなってしまっている。 |
『万機要覧』 | 早稲田大学図書館(写本:書写年不明) (ワ03 05104) |
徐栄輔及び沈象奎が1808年に編纂した。早稲田大学図書館の古典籍総合データベースで閲覧可能。 |
『増補文献備考』 | 国立国会図書館 (330-39) |
1903年、高宗が朴大容らに命じて、『東国文献備考』について増修や改編を行って編纂を行ったもの。「輿地志云 欝陵于山皆于山国地于山則倭所謂松島也」との記述は『東国文献備考』に同じ。戦前に出版されたものが国立国会図書館デジタルアーカイヴで閲覧可能。該当部分は3の163コマ目。 |
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