終戦と平和条約締結に向けた交渉終戦・占領開始

終戦

連合国との間で平和条約が結ばれるまで、日本は占領下に置かれる。

1945年8月

ポツダム宣言受諾

第二次世界大戦末期において、連合国が日本の降伏を勧告するための宣言。日本の武装解除、非軍事国化、民主化、国際社会への復帰等について述べている。ポツダム宣言は、1945年7月26日に日本に勧告され、日本政府は翌8月に受諾し終戦を迎えます。

ポツダム宣言(抜粋)

第8項 カイロ宣言の条項は履行せらるべく、また、日本国の主権は、本州、北海道、九州及び四国並びに吾等が決定する諸小島に局限せらるべし。

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日本での動き

1946年1月

行政権の一時停止

連合国軍最高司令官総司令部は、日本政府の行政範囲を指定された周辺島嶼までに限定し、その範囲から竹島を除外。

連合国総司令部覚書(SCAPIN)第677号1946年1月(1952年4月失効)

1.日本帝国政府は、日本の外部あるいはその地域の政府職員、被雇用者その他の者に対して、政府の又は行政的権限を行使し、又は行使しようとすることを止めるよう命令される。

3.この指令において日本とは、日本四大島(北海道、本州、九州及び四国)及び約一千の隣接諸小島を含むものと規定される。右隣接諸小島は、…を含み、また、次の諸小島を除く。(a)欝陵島、竹島、済州島、(b)…

6.この指令中のいかなる規定も、ポツダム宣言第8項に述べられている諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない。

1946年6月

竹島への接近禁止

さらに、日本の漁業及び捕鯨(ほげい)許可区域(いわゆるマッカーサー・ライン)に関する文書を発出、竹島への接近、接触を明示的に禁止。

連合国総司令部覚書(SCAPIN)第1033号1946年6月(1952年4月解除)

3.日本船舶又はその乗組員は竹島から12マイル以内に近づいてはならず、またこの島との一切の接触は許されない。

5.この許可は、当該区域又はその他のいかなる区域に関しても、国家統治権、国境線又は漁業権についての最終的決定に関する連合国の政策の表明ではない。


占領中の行政権停止やマッカーサー・ラインは、日本の領土の決定には関係ありませんでした。

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