中国の主張を見てみよう

 中国は、多くの古典文献を根拠としながら主張を展開していますが、この主張における文献の解釈には、学術的観点からその信憑性に多くの疑問が呈されています。ここでは、あえて学術的な評価には立ち入らず、仮に中国の主張における文献の解釈が正しかったと仮定した上で、国際法上有効とされる領有根拠が示されているか確かめてみます。

中国政府の主張 (1)

固有の領土

中国政府の主張

一、釣魚島は中国固有の領土である。

(一)中国が最も早く釣魚島を発見し、命名し、利用した。
(二)中国は釣魚島を長期的に管轄してきた。
(三)中外の地図が釣魚島は中国に属することを表示している。

出典:中華人民共和国国務院報道弁公室
「釣魚島は中国固有の領土である」(2012年9月25日)

解説

1.「利用」といっても明・清朝の使節が尖閣諸島を航路指標としただけであり、領有根拠として不十分。「発見」「命名」も同じ。

 中国は、主に15世紀から18世紀の中国の文献において、尖閣諸島の中国名の島名が現れることをもって、尖閣諸島を「発見し、命名」したと主張します。また、明・清朝の使節(冊封使(さくほうし))が琉球国に派遣された際の記録に、琉球国に向かう途中に尖閣諸島を通り過ぎたとの記載があったことをもって、尖閣諸島を「利用した」と主張しています。
 しかし、本当に中国が島の発見や島の命名をしたか、また、数十年に1度派遣される中国王朝の使節が尖閣諸島を航路標識として「利用した」かは不明であり、また、それのみで領有権の主張を裏付けることにはなりません。
 国際法上、領域権原を取得するためには、明確な領有の意思を持って、継続的かつ平和的に領域主権を行使していることが必要とされます。しかし、これまで中国は、自らが尖閣諸島をそのように実効的に支配していた証拠を何ら示していません。


2.「海防範囲」の意味は不明。海防に関する本の絵図に島名が書かれているだけでは領有根拠にならない。

 中国は、16、17世紀の文献に、明朝の海防範囲に尖閣諸島を含めたと記述されているなどとして「長期的に管轄してきた」と主張します。
 しかし、中国の主張においては、そもそも「海防範囲」が何を指すかは説明されておらず、単に海防に関する本の絵図に島名が掲載されているというだけでは、領有していたことの証拠にはなりません。


3.古地図の色分けや地図に掲載されていただけでは領有根拠として不十分。

 中国は、16世紀から19世紀の地図において、尖閣諸島が中国の海域に組み入れられていると主張しています。しかし、中国の海域に組み入れられているとする根拠が、地図上で中国と同じ色で表示されているといった程度にすぎず、領有根拠にはなっていません。

 このとおり、中国は、国際法上有効とされる領有根拠を示しておらず、国際法を無視し、中国独自の論理によって「中国固有の領土である」と断定しています。

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中国政府の主張 (2)

日本は釣魚島を窃取した

中国政府の主張

二、日本は釣魚島を窃取した。

(一)日本は釣魚島窃取をひそかに画策した。
(二)釣魚島は台湾島と共に日本に割譲することを強いられた。

出典:中華人民共和国国務院報道弁公室
「釣魚島は中国固有の領土である」(2012年9月25日)

解説

1.1895年の領土編入に至る経過において、日本は尖閣諸島が他国に支配されていないことを確認。

 中国は、1885年、日本の政府部内の「秘密報告」において、尖閣諸島には中国名がつけられており、国の標杭を立てれば中国の「猜疑心を招く」などの考慮から「軽々しい行動に出られなかった」などと主張しています。
 日本は、上記の説明のとおり、尖閣諸島を領土編入について閣議決定するために、尖閣諸島に対し他国が支配を及ぼしていないことを慎重に確認していました。
 さらに、1895年の領土編入後、中国は、日本人の活動が活発化するのを認識していたものと考えられますが、その後、尖閣諸島は日本が有効に支配しています。


2.日本の領土編入(1895年1月)は下関条約締結(1895年4月)の3か月前。尖閣諸島は、「台湾の付属島嶼」に含まれず、割譲はされていない。

 中国は、日清戦争の結果として下関条約を結び、「台湾の付属島嶼」として尖閣諸島が日本に「割譲」されたと主張しています。
 しかし、日清戦争が終了したのは1895年4月ですが、日本が尖閣諸島を領土編入したのはその3か月前の1895年1月であり、下関条約締結時には既に日本の領土となっていました。
 また、下関条約の交渉記録などから、下関条約の「付属島嶼」に尖閣諸島が含まれていないことは明らかです。したがって、下関条約によって尖閣諸島が日本に「割譲」されたという中国の主張は誤っています。

 このように、尖閣諸島は、中国から「窃取」したものでも「割譲」を受けたものでもありません。

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