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国土強靱化:私のひとこと vol.18

「つながることは備えること」

特定非営利活動法人すぎとSOHOクラブ 理事
杉戸町・富岡町・川内村地域間共助推進協議会 事務局
豊島亮介氏

特定非営利活動法人すぎとSOHOクラブ 理事、杉戸町・富岡町・川内村地域間共助推進協議会 事務局の豊島亮介氏に、防災等の取組状況や今後の展望などについて話を伺いました。

10年ぐらいこのNPOに所属して、まちづくりに携わらせて頂いています。すぎとSOHOクラブというネーミングのとおり、SOHO事業者つまり個人事業者の起業支援・中間支援組織として、13年前にスタートしました。私も個人事業者主として関わり始めたのが10年前でその頃から理事として関わらせて頂いています。
 すぎとSOHOクラブは、中間支援組織ですが、マネージメントだけで「まちづくり」が出来る訳ではありません。実際まちづくりは、プレーヤーとして地域の人と一緒に行動することも大切で、地域の人にプレーヤーとしての背中を見せつつマネージメントをしないと色々な人をまきこむことはできませんし、何よりも説得力を持ちません。だから、「まちづくり」は、自分達がやってきたことを身をもって語れることが大事だと思っています。そして、すぎとSOHOクラブは、特定非営利活動促進法に定める20の分野について、ほとんどを網羅しています。

パンフレットにあるように里山の再生や、環境保全の活動をしたい人が手をあげれば、その人がプロジェクト・リーダーになってチームが出来る、今度はそのチームの中に、例えば子育て支援をしたいと手をあげる人がいれば、里山プロジェクトメンバーであるけれども、子育て支援ではリーダーとして活動する、という感じで同時多発的にいろんなプロジェクトを抱えることができるのがSOHOクラブという考え方です。

私は、ここ杉戸で様々な「まちづくり」に関わらせて頂いています。杉戸は、4万6千人の人口を抱える地方都市で、かつては千住から日光へと延びる日光街道5番目の宿場町として栄えました。宿場が出来たのが1616年、今から400年前の出来事。一昨年は宿場町が出来て400年ということで、私もその節目に関わらせて頂き、宿場まつりのイベントを仕掛けたり、若者を観光客として呼び込むためのフリーペーパー制作に携わらせて頂きました。

協働型災害訓練について

杉戸町は福島第二原発がある富岡町と震災の半年前に友好都市の締結をしました。10年以上前から杉戸のスポーツ団体が合宿場所として富岡町を利用しており、民間交流がその始まりです。杉戸町の人たちも自然豊かな富岡町を利用させてもらえればと友好都市の締結に至ったのですが、それが震災で立場が逆転し、杉戸町が富岡町を助ける事態となりました。

私たちすぎとSOHOクラブは、震災の5年前に文科省の「学び合い支え合い地域活性化推進事業」に参画させて頂きました。これは道の駅、町の駅、川の駅に継ぐ、地域をつなぐ社会実験事業でした。
 その中で出会ったのが、新潟県の長岡市・見附市・山古志村の人たち。いわゆる中越地震の被災地の人たちで、見附市では地震と洪水について現地の方の話を伺い、山古志村を直接訪れ、震災遺構の家を見せてもらうなど、地域交流を行っていました。その一環として民間防災協定を結ぼうという話が生まれ、離れた地域が互いに支える重要性を認識していました
 富岡町の話に戻りますが、東日本大震災の発災時、我々の町もそれなりに影響は受けましたが、富岡町が被災し全町避難を余儀なくされているという情報が届きました。それを聞いた当理事長が率先して、被災3日後には富岡町が避難している川内村に出向いて、1,000千食分の炊き出し等を行いました。
 新聞報道ではよく、「さいたまスーパーアリーナに埼玉県が中心となって避難生活を整える施設を整えた」と出ていましたが、杉戸町はそれより前に大型バス8台を川内村へ向かわせビックパレットふくしまへの移送や首都圏への避難者移送を行いました。ここ杉戸町を中心とした地域にも200名近くの避難者がやってきて、地域の施設で避難生活を送っていました。 当NPOは、避難生活を送る方々への炊き出しや、「心の駅」というカフェスペースを作って避難者のコミュニティー支援をおこないました。
 また、数か月後には福島県から助成金を頂き、避難者コミュニティーの再構築を図る事業も実施しました。農業を通じた生きがいづくりや無料の学習塾などの支援をおこないました。

更に、埼玉県労働者福祉協議会(埼玉労福協)が中心となって、避難者団体と避難者支援団体とをつなぐネットワーク「福玉ネットワーク」が作られ、当NPOも参加させてもらいました。

そういう繋がりの活かした避難者支援をしている中で、国土交通省の「広域的公助モデル推進事業」に採択され、実際に我々が行った離れた地域が支える重要性を記録として残し、この経験と教訓を今度は首都圏災害に活かそうという意味で「協働型災害訓練」を同事業の中で提案し、始めたところです。
 東日本大震災は、約1万5千人の方々が命を落とされました。特に被害のあった津波の被災地は海岸線沿いの細長いラインであり、当然内陸は津波の被害がなく、そこから自治会単位や事業所単位、はたまた個人のグループなど、きめの細かい支援が海岸線沿いに対して行われた訳です。
 他方、30年以内に70%の確率で発生すると言われている首都圏直下型地震が起こったら、被災地は同心円状に拡がり、その人口密度も東北の比ではありません。いうなれば幾重にも炎が立ち上げり、きめの細かい支援ではとても太刀打ちすることが出来ません。
 杉戸は都心から40キロの距離にあり、活断層がない、高い建物もない、川もある、陸も空もいける、ということなどを考えると、ここ杉戸が、首都圏災害の際の1つの後方支援自治体になれるのではないかと思っています。いうなれば、ヒト、モノ、カネ、コトを集めて、バケツで火を消す感覚です。そして、同様に首都圏から40キロ離れている自治体が同じ役割を果たしてくれれば、少しでも多くの命が助かるのではないかと思っています。
 また、後方支援自治体と言えども、自治体は本来、自分たちの地域、町内対応に当たらなければいけません。町外対応や町外からの受け入れに対応するには、民間と組んで、動くことが必要なので、協働型災害訓練を通してこのようなスキームが作れないかと思っています。

行政と民間が一緒に動くということはすぐには難しいとは思いますが、協働型防災訓練においては、関係者会議という行政と民間が同じテーブルにつく場所を設けています。訓練を通して立場の違う者同士が語り合うことで、互いの考え方を理解したり、いざと言う時に相手の顔が思い浮かぶ関係になれることが大切だと思っています。

「つながることは備えること」

協働型災害訓練の中心的な考えとして、ICS(Incident(現場)Command(指揮)System(システム))を取り入れています。皆さんには「ICSは防災版のISOのようなもの」と説明しています。これをひとつの拠り所として訓練の参加者に持って帰ってもらったらと思っています。
 この訓練は全国各地で活躍する災害支援NPOのプロたちためのリーダーズ研修に近い位置づけです。(改行しない)この協働型災害訓練を通してICSを学び、各地域にICSの考え方を持ち帰り、リーダーがその地域にシャワー効果で伝えてくれる。そして各地域でICSの考え方が少しずつ広まってくれれば良いと思っています。

毎年、富岡町・川内村からも職員が参加してくれ、震災の実体験者としての話は何よりも意味があると思っています。私たちは、震災から6年が経過しているので随分と前の事と思いがちですが、ある時、富岡町の職員から「私たちは今も非常事態です」と言われ、はたとしたこともありました。毎年彼らと関わることで私たちは常にその気持ちを忘れずに災害に備える訓練を行うことができるのです。
 2008年に直木賞作家の天童荒太さんが我々の取組を取材してくださいました。記事の最後には私たちの想いと活動を「つながることは備えること」という一言で表現してくれました。
それを見て、僕らがやってきたことは正しかったと思いました。今、この言葉を私たちのキャッチコピーにして、「普段付き合いが一番大事で、それが備えることになるんだよ。それが協働型災害訓練なんです」と伝えるようにしています。
 訓練する時に最初に申し上げるのは、テレビや雑誌や新聞で、例えばインドネシアで津波が起きたら、「ああ、大変そうだなぁ」と単に他人事として思うだけではなく、もしそこに知り合いがいたら、「大変だ、あの人はどうしただろう?何かしなくちゃ!」と動き出す。つまり、心が動き出して、初めて体が動き出すと思うのです。そういう観点から、訓練の中で“つながり”を構築できれば良いと思っています。

最初に言ったように、私の思いとしては協働型防災訓練の取組が発展し、首都圏から30~40kmにある杉戸町のような自治体が後方支援自治体となり、それらのネットワークが形成されると一番良いと思っています。杉戸町だけで首都圏2000万人の命を支えることは勿論できません。だからこそ、同心円状に都心を囲む各自治体が後方支援自治体として、渦中にある各自治体を支える仕組みが必要であると思うんです。しかし、それは私が考える仕組みであって、参加者はいろんな方がいます、例えば炊き出しだけ出来れば良いとか、心のケアだけできればよいとか、それぞれ思いがあるので、一概には出来ないのも事実です。 でも、私たちのキャッチコピーでもある「つながることは備えること」を愚直に続けていけば、少しでも変わるのではないかと思っています。

ちょうど先日、埼玉県で災害ボランティア関係者団体会議が行われました。
これは内閣府が提唱しているボランティア活動を、きちんと各地域のなかに仕組みを作ろうという趣旨によるものです。
 行政側には、国・県・市町村という流れがあるように、それと対になるボランティア側には、ボランティアセンター・社会福祉協議会があり、その外にボランティア・ネットワークを作ることで、ボランティアの情報の一元化が図れるというものでした。
 阪神淡路大震災がボランティア元年とよく言われますが、それから災害が起こる度にボランティアに参加する人は増えていますが、実際ボランティアをまとめるというのは常に課題になっていました。
 そんな中、熊本地震の際に「火の国会議」と言う形でボランティア側の情報を一元化した実績があり、埼玉県でも「彩の国会議」と称して同様なものを平時から作っておきたいということでした。
 その前段として、今年2月に実施した協働型災害訓練には埼玉県の危機管理課や消防防災課が視察に来ており、県も必要性を認識しているようです。
 埼玉県の場合、国道16号以南が住宅密集区域であり、首都圏直下地震が起きた場合、国道16号以南は壊滅状態になるだろうと予想されます。16号以北の第一ラインにあたる自治体が人命救助にあり、杉戸は第2ラインぐらいにあたるので第1ライン自治体の後方支援にあたるだろうと思っています。
 そういうことが明らかになってきているから、埼玉県も動き出したし、それぞれの自治体の役割も明確化してきていると思っています。

また、来年行う協働型災害訓練においては、1日目には行政からの提案で「福祉避難所開設訓練」をしたいと思っています。今、埼玉県でも同様の訓練を実施するように各自治体に通達を出していますが、実際に各自治体で訓練を実施するのは困難なのが現状で、我々の訓練に後方支援自治体職員が参加することで、その一翼を担うことができると思っています。
 このようにして少しづつ行政が動いてきてくれているので、杉戸町・富岡町・川内村地域間共助推進協議会としてやっている意味もあったと思っています。

この協議会自体は、杉戸町、富岡町、川内村と私たちすぎとSOHOクラブ、さいたま市のNPO埼玉ネットの5者で構成されています。実際の訓練では、富岡町、川内村から、毎年、職員が多く参加してくれ、同じテーブルで東日本大震災の実際の状況や帰村(町)の現状について説明してくれています。

訓練は今回で5回目になるので、今後は、行政との連携を引き続き行うと共に、セカンドセクターの企業との関わりも重要なので、ICSやBCPを活かせる訓練センターみたいな仕組みを民間事業として作ってきたいと思っています。
 この協働型災害訓練は、立正大学の後藤真太郎教授に監修頂いていますが、今年からは新たな試みとして、年1回の訓練に参加してもらうだけではなく、事前に後藤教授のICS基礎講座を受けた上で、2月の訓練に参加するというタイムラインをつくり、実践力を高めていきたいと思っています。

これまでも、この2月に実施した協働型災害訓練では、マイクロソフト社にも来て頂き、熊本地震の際、避難所に無償でシステムを提供したという話を講演して頂き、いろいろな方が参加してもらうような工夫をしていますので、常に新しいことにチャレンジに、「つながることは備えること」のすそ野を広げていきたいと思っています。

シナリオについても、首都圏が被災した場合、杉戸まで40キロあるので、避難者がどれくらい押し寄せて来るのかわかりませんが、仮に1000人規模の避難者が来るとしたら、実際に町が動いて災害対策本部を立てて、県とやり取りをする、そういうことが起こり得ると思います。
 これまでは町内対応しか考えてこなかったでしょうが、首都圏からの避難者対応をどうするか、そういうニーズが絶対出てくる。その時にNPOがICSを組んで、災害対策本部が入れなくても、関係者会議を作って、実際連携しながらやっていきましょう、というシナリオで、今後も訓練を行っていきます。正直言って今までは、私自身が様々なところで情報を仕入れ、、私が考え、組んだプログラムの訓練でしたので、どちらかと言えば、協議会の参加自治体は皆受け身でした。今年は「脱皮」をテーマに掲げているので、行政が自ら提案してきた事業を取り入れ、彼らとも連携しながら、このノウハウを活かして外に広げられるように訓練センター化していくことを目指しています。

今後の展望について

 今後の取組については、大きく分けて3つあります。 1つ目は、もっと災害対応のプロフェッショナルをつくる。そのためにはこの訓練を受けることで取得できる資格を作ることを検討していきます。
 2つ目は、連携強化ということで、今まで杉戸町、富岡町、川内村とご縁のあった3自治体としか関わりがなかったので、もっと周りの自治体にも参加を促し、繋がりを作っていきます。
 3つ目としては、実行段階に入るために、JVOAD(全国災害ボランティア支援団体ネットワーク)に加えさせて頂き、ここで訓練した人たちが実際の現場で役立てるようにしたいと思います。
 熊本地震の際にも、ここのメンバーが実際に現地に行って、連携して支援した実績があります。ただ私たちだけでは、首都圏災害が起きた時、多くの命を助けることはできないので、JVOADのような強力な仕組みや埼玉県を巻き込んだ取組が必要だと思っています。
 防災や災害への取組については、私は非常時に活きる平時の「まちづくり」だと思っています。それが「つながることは備えること」なんだと思います。

私たちの協議会ホームページにも書かせて頂いているのですが、本当に大事な事としては、普段付き合いができる間柄・付き合い・顔見知りの関係が必要だと思っています。繰り返しになりますが、何か事が起きた時にテレビや新聞を眺めながら「ああ、大変そうだなぁ」という冷めた見方ではなく、顔見知りがそこにいれば「あれ?あの人、どうしただろうか」と、心がまず動く事が大事だと思っています。そういう関係を普段から作っておくこと、それでその時にきちんとした支援が出来るように、ちゃんとした「学び」がある事が重要だと思っています。
 つまり、私たちのキャッチコピーとしている「つながることは備えること」に全て集約されていると思います。
 つながらないと、備えられない、備えたければつながることが必要なのだと。ヒト・モノ・コト・カネ、何でもそうだと。人だけがつながっていれば良い訳ではないし、モノだけでつながっていれば良い訳でもない。そういう訳で日々忘れることなく、続けていく必要がある。平時と非常時は表裏一体なので、別物でなく日常の延長として、一体として考える必要があると思っています。

豊島亮介氏 プロフィール
1975年埼玉県さいたま市(旧浦和市)生まれ。
 2007年 FutureWorks設立。カフェプロデュースを皮切りに地域連携や団体設立支援等でまちづくり活動を開始。まちづくりに精通し、まちづくり活性家として活動中。
 東日本大震災を契機に福島県富岡町ら避難者の支援、川内村での震災復興支援、福島県避難者を雇用した福祉施設運営をはじめる。
 2014年からは杉戸町・富岡町・川内村とNPO2団体で協議会を立ち上げ、協働型災害訓練の事務局を務める。協働型災害訓練では「つながることは備えること」をモットーに日頃からの顔見知り・普段付き合いができる間柄構築の為に、ICSを導入した訓練を続けている。
HP http://kunren.wix.com/sugito
Twitter https://twitter.com/R_Toyoshima
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