No.15 日本海の島々の絵図

概要

 江戸幕府が、1696年(元禄9年)に鬱陵島への渡海禁止を決定する(No.18参照)にあたって、江戸幕府は、鳥取藩に対して鬱陵島への渡海の状況について事情を確認した。その際、鳥取藩は、幕府に回答するため鬱陵島(当時の呼称は竹島又は磯竹島)と竹島(当時の呼称は松島)を描いた絵図を提出した。竹島は東西二つの島として描かれ、東側の島の浜に「舩すへ場」 の文字と小屋の絵が見えるなど、実際に島で漁をしていた人の知識に基づいた絵図であると考えられるので、鬱陵島及び竹島に渡海していた大谷家・村川家が作成した絵図などを基に描かれたと考えられている。

関連する主古文書へのアクセスなど

タイトル 所蔵機関(請求番号など)(注) 概要
「小谷伊兵衛より差出候竹嶋之絵図」 鳥取県立博物館
(『鳥取藩政資料目録』8443号)
鳥取藩が、1696年1月に幕府に提出した鬱陵島(当時の呼称は竹島又は磯竹島)と竹島(当時の呼称は松島)を描いた絵図の写し。小谷伊兵衛は、当時の鳥取藩の江戸留守居役。 島根県竹島問題報告書において、同絵図のデジタルデータが閲覧可能。
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