古賀辰四郎は(略)単身24才の若さで明治12年(1879年)に沖縄に渡り、八重山の北方200㎞の海上に四つの小島からなる尖閣列島を始め近海の島々を探険し、遠くロンドンの展覧会等にも出品し受賞したとの事です.(略)
尖閣列島は現在も同氏の所有で米軍の演習場として使用されています.
(略)
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[尖閣列島][写真アルバム]
資料タイトル | [尖閣列島][写真アルバム] |
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作成年月日(西暦) | 1963年3月 |
作成年月日(和暦) | 昭和38年3月 |
編著者 | 大仲浩夫 |
発行者 | |
収録誌 | Borodino's Picture |
資料概要 | 善次は、尖閣諸島が中国や台湾が根拠のない主張を行うようになる以前から、訪ねてきた人々に父辰四郎や尖閣諸島に関して、資料や写真の提示をしていたようである.本アルバム製作者の大仲浩夫は沖縄県石垣島出身で同県南大東島の測候所に勤務していた.おそらくは南大東に滞在中、島の歴史について同島在住の郷土史家西浜良修が教示したものと考えられる.善次の人柄がうかがえると共に、戦後においても辰四郎や尖閣諸島に関する資料が残っていたことを確信させる資料である. ※古賀の生年など、記載されている年代等が事実と若干異なるので注意が必要. |
言語 | 日本語 |
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公開有無 | 有(複写物) |
所蔵機関 | 個人蔵(那覇市歴史博物館に複写物所蔵)![]() |
媒体種別 | 紙 |
数量 | 3 |
資料番号 | S1963030000101 |
利用方法 | 那覇市歴史博物館で利用手続きを行う |
注意事項 |