竹島に関する資料の委託調査報告書

平成28年度報告書に掲載された資料例

  1. 竹島の名称に関する読売新聞の解説(明治38年(1905年)7月) 1905年(明治38年)7月10日
  2. 島根縣商工業概要 1910年(明治43年)9月7日
  3. 島島根縣産業案内 1912年(明治45年)5月22日
  4. 鉱業事項(商工省)試掘権許可 1939年(昭和14年)9月19日
  5. 獨島問題概論 第一章 独島についての史的考察 第一節 〔1955年〕
  6. 獨島問題概論 第一章 独島についての史的考察 第二節 〔1955年〕
  7. 若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する件(SCAPIN-677) 1946年(昭和21年)1月29日
  8. 隠岐列島北西方竹島爆撃演習場設定 1947年(昭和22年)9月16日
  9. 水路告示第三十八号(本州北西岸 隠岐列島北西方—竹島 爆撃訓練場設定) 1947年(昭和22年)9月27日
  10. 島根県告示第三百五十二号 共同漁業権免許 1953年(昭和28年)6月19日
  11. 1951年(昭和26年)8月10日付で米国政府が韓国政府に送った書簡[ラスク国務次官補による梁裕燦駐米韓国大使宛の書簡(「ラスク書簡」)] 1951年(昭和26年)8月10日
  12. 1952年(昭和27年)1月の李承晩韓国大統領による隣接海洋に対する主権宣言に対して、同月28日付で日本国政府が行った韓国政府に対する抗議(口上書) 1952年(昭和27年)1月28日

1.竹島の名称に関する読売新聞の解説(明治38年(1905年)7月) 1905年(明治38年)7月10日

所蔵機関:国立国会図書館東京本館

 現在の竹島は、江戸時代には「松島」、明治初期には「リアンクール島」と呼ばれていた。本資料は、1905年(明治38年)の島根県編入により正式に「竹島」と命名されたことに関する読者からの質問に対する回答である(1905年7月10日付)。
 18世紀後半に欧州の探検家が鬱陵島の測量を誤ったことに端を発し、現在の竹島と鬱陵島の名称の入れ違い(松島(現在の竹島の江戸時代からの名称)が現在の鬱陵島の名として呼ばれるようになり、現在の竹島は、1849年に附近を航海した「Liancourt」号にちなんでリアンクール岩(りゃんこ/らんこ島)と称されるようになってしまった。)が生じた。このような時代背景を踏まえ、本資料は、韓国の鬱陵島を松島と呼ぶこと、当時リアンコールト岩(正式にはリアンクール岩)と呼ばれていた島(現在の竹島)が以前から日本の漁夫に知られていたこと、また、その島が正式に竹島と名付けられたことを伝えるものである。
 なお、本資料において、一箇所誤記(ロシア名の「Memalai」の表記は誤りで、正確には「Menelai」)が見られるほかは、「北緯37度9分30秒 東経131度55分」という経緯度表示も含め、1905年2月の島根県告示第40号の内容を正確に表している。

竹島の名称に関する読売新聞の解説(明治38年(1905年)7月) 1905年(明治38年)7月10日

2.島根縣商工業概要 1910年(明治43年)9月7日

所蔵機関:国立国会図書館東京本館・関西館

 島根県の商工業の概要を紹介したもので、「水産物」のうち「海驢皮(あしかがわ)」の「産地」の項に竹島に関する記述がある。また、「生産状態」の項に中井養三郎らが設立した竹島漁猟合資会社の説明がなされているほか、「本県に於ては海驢の蕃殖を保護するが爲め取締規則を定め其漁業者の数を制限せり」と、島根県が竹島における漁猟を管理していたことを記す。

島根縣商工業概要 1910年(明治43年)9月7日

3.島根縣産業案内 1912年(明治45年)5月22日

所蔵機関:国立国会図書館東京本館・関西館

 1912年(明治45年)3月1日の京都・出雲間の山陰線開通にともない、島根県の観光案内のために作成された冊子。「都市別特産と名所旧跡」に竹島に関する記述があり、中井養三郎が経営する「竹島漁猟株式会社(※合資会社の誤り)」についても言及がなされている。

島根縣産業案内 1912年(明治45年)5月22日

4.鉱業事項(商工省)試掘権許可 1939年(昭和14年)9月19日

所蔵機関:島根県立図書館

 竹島には多数の海猫が生息しており、長年にわたって堆積した排泄物がグアノ燐鉱床を生成していると考えられた。1934年(昭和9年)6月、大阪鉱山監督局へ竹島の燐鉱試掘願いが提出され、1939年(昭和14年)6月6日、小林源太郎外一人に対し許可された。商工省は、9月19日付の官報でこれを公表した。

鉱業事項(商工省)試掘権許可 1939年(昭和14年)9月19日

5.獨島問題概論 第一章 独島についての史的考察 第一節 〔1955年〕

所蔵機関:日本貿易振興機構アジア経済研究所図書館

 『独島問題概論』第一節は、19世紀後半から20世紀初頭の鬱陵島と竹島について概説する。同節「六 鬱陵島開拓と独島」では、鬱陵島開拓令(※)以降鬱陵島への朝鮮人の入植が進んだ旨、 1901年(実際は1900年の誤り)には「勅令」によって鬱陵島を郡に昇格するとともに島監を郡守とした旨記載しているが、竹島については「鬱陵島の行政区画に編入されたことが明示された公的記録が無い」旨、明確に述べている。 ※文脈上、李圭遠の鬱陵島派遣を指している可能性もある。

獨島問題概論 第一章 独島についての史的考察 第一節 〔1955年〕

6.獨島問題概論 第一章 独島についての史的考察 第二節 〔1955年〕

所蔵機関:日本貿易振興機構アジア経済研究所図書館

 『独島問題概論』第二節では、1905年の竹島の島根県編入は日本による侵略であり、日本統治期においても日本が竹島を朝鮮領とみなしていた旨記述する。その具体例として、同節の「五 日帝支配下の独島と韓国の領有権を証明する文献」において、日本旅行協会著「旅程と費用概算」における「朝鮮の東端は北緯37度31分5秒 東経 130度56分3秒の慶尚北道鬱陵島竹島である」という記述を例示している。しかしながら、経緯度から判断すれば、同記述における「竹島」は、欝陵島北東の竹嶼(ちくしょ)(北緯37度 31分44秒 東経130度56分17秒)を指すものと考えるのが妥当であり、同書の説明(例示)は成り立たない。

獨島問題概論 第一章 独島についての史的考察 第二節 〔1955年〕

7.若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する件(SCAPIN-677) 1946年(昭和21年)1月29日

所蔵機関:国立国会図書館

 連合国総司令部は、日本国政府に対し、政治上または行政上の権力の行使を停止すべき地域等を指令し、この中に竹島を含めた(SCAPIN-677)。しかし、本指令第6項において、「この指令中のいかなる規定も、ポツダム宣言の第8項に述べられている諸小島の最終的決定に関する連合国の政策を示すものと解釈されてはならない。」旨、明記されている。

若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する件(SCAPIN-677) 1946年(昭和21年)1月29日

8.隠岐列島北西方竹島爆撃演習場設定 1947年(昭和22年)9月16日

所蔵機関:国立国会図書館東京本館・関西館

 連合国総司令部が発令した指令のひとつで、竹島を爆撃演習場として指定し、演習開始前に一般住民に告示することとしたもの。 takeshima.html

隠岐列島北西方竹島爆撃演習場設定 1947年(昭和22年)9月16日

9.水路告示第三十八号(本州北西岸 隠岐列島北西方—竹島 爆撃訓練場設定) 1947年(昭和22年)9月27日

所蔵機関:国立国会図書館

 竹島を爆撃演習場として指定し、演習開始前に一般住民に告知されると記されている。

水路告示第三十八号(本州北西岸 隠岐列島北西方—竹島 爆撃訓練場設定) 1947年(昭和22年)9月27日

10.島根県告示第三百五十二号 共同漁業権免許 1953年(昭和28年)6月19日

所蔵機関:島根県総務部総務課

 日米合同委員会によって竹島が米軍爆撃演習地域から解除されたことを受け、島根県は1953年(昭和28年)6月18日付で、竹島のわかめ、あわび、さざえ等の海面における共同漁業権を隠岐島漁業協同組合連合会に対して免許した。

島根県告示第三百五十二号 共同漁業権免許 1953年(昭和28年)6月19日

11.1951年(昭和26年)8月10日付で米国政府が韓国政府に送った書簡[ラスク国務次官補による梁裕燦駐米韓国大使宛の書簡(「ラスク書簡」)] 1951年(昭和26年)8月10日

所蔵機関:国立国会図書館東京本館

 対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)草案における竹島に関する韓国の要求(1951年(昭和26年)7月19日付及び8月2日付書簡)に対する米国務省ラスク極東担当国務次官補発梁駐米韓国大使宛の回答書簡。
 サンフランシスコ平和条約の起草時、韓国は米国に対し、書簡で日本が放棄すべき地域に竹島を加えるよう米国に要請したが、米国は、竹島は「朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、…かつて朝鮮によって領有権の主張がなされたとは見られない」として、韓国の主張を明確に否定した。これにより、サンフランシスコ平和条約において竹島が日本領であることが肯定されることが明らかである。

1951年(昭和26年)8月10日付で米国政府が韓国政府に送った書簡[ラスク国務次官補による梁裕燦駐米韓国大使宛の書簡(「ラスク書簡」)] 1951年(昭和26年)8月10日

12.1952年(昭和27年)1月の李承晩韓国大統領による隣接海洋に対する主権宣言に対して、同月28日付で日本国政府が行った韓国政府に対する抗議(口上書) 1952年(昭和27年)1月28日

所蔵機関:島根県竹島資料室

 1952年(昭和27年)1月18日に韓国がいわゆる「李承晩ライン」を一方的に設定し、同ラインの内側の広大な水域への漁業管轄権を主張するとともに、そのライン内に竹島を取り込んだことに対し、日本国政府は、同月28日付で、韓国代表部宛口上書を以て抗議した。同口上書において日本国政府は、「韓国は竹島として知られている、或いは又リアンクール・ロックスとして知られているところの日本海の小島に領土権を主張しているように見えるが、日本国政府は当然日本の領域である竹島に関する韓国のこのような僣称又は要求を絶対に認めるものではない」と韓国政府に対して強く抗議した。
 なお、同口上書の前半部分においては、この韓国大統領による一方的な宣言は「公海自由の原則と完全に矛盾するものであるだけでなく、公海における海洋資源の開発及び保護に係る平等性に関する国際協力の基本原則にも反する」ものであるとして強く批判している。

1952年(昭和27年)1月の李承晩韓国大統領による隣接海洋に対する主権宣言に対して、同月28日付で日本国政府が行った韓国政府に対する抗議(口上書) 1952年(昭和27年)1月28日
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