第6回障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策推進本部幹事会 議事概要 p1 (開催要領) 日時 令和6年11月20日(水曜日)12時59分から14時05分まで 場所 8号館8階818会議室 出席者 (※作業者注・【墨付きかっこ書き】で前後を挟んでいるのは代理出席者) 議長 内閣官房副長官補(内政担当) 副議長 内閣府政策統括官(共生・共助担当) 構成員 内閣総務官【内閣官房内閣参事官(内閣総務官室)】、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣人事局人事政策統括官【内閣官房内閣参事官(内閣人事局)】、内閣法制局総務主幹、宮内庁長官官房審議官、公正取引委員会事務総局官房総括審議官【公正取引委員会事務総局官房人事課企画官】、警察庁長官官房長【警察庁長官官房企画課企画官】、個人情報保護委員会事務局長、カジノ管理委員会事務局次長【カジノ管理委員会事務局総務企画部長】、金融庁総合政策局総括審議官、消費者庁次長【消費者庁審議官】、こども家庭庁成育局長、こども家庭庁支援局長、デジタル庁戦略・組織グループ長【デジタル庁戦略・組織グループ審議官】、復興庁統括官【復興庁統括官付参事官】、総務省大臣官房政策立案総括審議官、法務省大臣官房長【法務省人権擁護局長】、外務省総合外交政策局長【外務省総合外交政策局人権人道課長】、財務省大臣官房審議官、文部科学省総合教育政策局長【文部科学省大臣官房審議官(総合教育政策局担当)】、文部科学省初等中等教育局長【文部科学省大臣官房学習基盤審議官】、厚生労働省職業安定局長【厚生労働省職業安定局高齢・障害者雇用開発審議官】、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長、農林水産省農村振興局長【農林水産省農村振興局農村政策部都市農村交流課長】、経済産業省経済産業政策局長、国土交通省総合政策局長【国土交通省総合政策局バリアフリー政策課長】、環境省大臣官房長【環境省大臣官房政策立案総括審議官】、防衛省大臣官房長【防衛省政策立案総括審議官】 p2 オブサーバー 人事院事務総局総括審議官【人事院事務総局サイバーセキュリティ・情報化審議官】、会計検査院事務総局次長【会計検査院事務総局事務総長官房人事課長】 有識者 静岡県立大学名誉教授 石川 准、弁護士 田門 浩、公益財団法人世界人権問題研究センター理事長 坂元 茂樹 アドバイザー 特定非営利活動法人DPI日本会議副議長 尾上 浩二、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員 大河内 直之 ヒアリング対象 一般社団法人ALS協会会長 恩田 聖敬、一般社団法人ALS協会事務局長 岸川 忠彦、一般社団法人日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構副代表理事 内布 智之 (議事次第) 1.開会 2.議事 (1)障害当事者からのヒアリング (2)質疑応答 3.閉会 (議事概要) ○内閣官房副長官補より、今回は精神障害・身体障害の当事者の方から意見を頂戴すること、また、頂戴した意見をこれからの取組の検討に活かしたい旨の発言があった。 ○ヒアリング対象の一般社団法人ALS協会の恩田会長から、岸川事務局長を通じて以下のとおり説明があった。 日本ALS協会の事務局長、常務理事の岸川です。 今日は、恩田の部分は私が代読する形でお伝えしたいと思うので、了承いただきたい。 「障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現のための方法としてどのようなものが考えられるか」ということで、一般社団法人日本ALS協会会長、一般社団法人日本難病・疾病団体協議会、JPAというが、理事の恩田聖敬。 最初に、簡単に自己紹介をする。1978年、岐阜県生まれの46歳。最終学歴は、京都大学大学院工学研究科航空宇宙工学専攻の修士。そこから、サービス業系のベンチャー企業に就職して、経営経験を積んで、2014年に、サッカー、Jリーグ、FC岐阜の社長に就任した。その直後にALSと診断され、ALS歴約11年である。ALSの進行により、2016年に、FC岐阜の経営から離れた。2018年に、気管切開して、人工呼吸器ユーザーとなった。2022年から、日本ALS協会会長、2023年から、JPA理事を務めている。私生活は、FC岐阜退任後、クラウドファンディングで会社を立ち上げ、今も社長。妻と娘と息子と、現在も、岐阜県で暮らしている。本日は、オンラインでよろしくお願いしたい。 p3 さて、私は、35歳で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症するまで、いわゆる障害者とほぼ接点なく生きてきた。これは、障害者と健常者の世界が分離していることが原因だと思う。実際にALSになって障害者の世界に入ると、想像だにしない困難が待ち受けていた。偏見や差別以前に、障害者がどんな日常生活を送っているかも健常者側からは全く想像もつかないということが現状だと思う。よって、障害者と健常者の分離を取り除く必要性を強く感じる。 1つは、就労、すなわち、企業を通じた社会交流が必須だと思う。企業は社会の写し鏡であり、職場に障害者がいて対話することで必要な配慮などにも気付くことができる。就労は、最も基本的な社会活動の一つ。障害者にとっても、社会に貢献している、人の役に立っている感覚は、生きがいにつながる重要な要素になる。例えば、LGBTQ+の方が就労していたからこそ、履歴書から性別が消えるという具体的なアクションが社会に発生した。同じように、障害者が就労の場に当たり前に存在することで、偏見や差別に対する具体的アクションが自然に生まれると思う。しかし、障害者の就労には大きな壁がある。いろいろとあるが、本日は、ALSの就労の壁について、述べさせていただく。人工呼吸器をつけたALS患者は、24時間の介護体制が必要となり、ほとんどの人が障害者総合支援法の重度訪問介護を利用する。重度訪問介護は、介護保険のヘルパーの制度と違い、使途・目的も制限されておらず、長時間の支援が可能である。まさにALS患者が自分らしく生きることを可能にする、日本が世界に誇れる制度である。しかし、1つだけ、欠点がある。就労・就学での利用が認められていないのだ。想像するに、重度訪問介護は、公費、つまり、税金である。税金を使って個人がお金を稼ぐのはまかりならぬという趣旨かと推察する。けれども、よくよく考えると矛盾している。全く生産性がなく経済活動をしていない人には公費を出すが、生産性があり経済活動をしている人には公費を出さない制度なのだ。これは、明らかに国益に反する制度である。もちろん、福祉的観点から、生産性のない方も救う必要がある。一方で、日本は少子高齢化により、慢性的な人不足に陥っている。障害者でも誰でも、就労の意思と能力があれば、戦力にしなければ、今後の国難は乗り切れない。国連の障害者権利条約にも、就労の権利は明記されている。日本も条約を批准しているので、就労に制限をかけることは条約違反ではないだろうか。もう1つ、重度訪問介護制定時には想定していなかっただろうことを挙げる。それは、テクノロジーの爆発的な進歩である。私事で恐縮だが、私はこの原稿を、iPadを使って、そしゃく筋で書いている。文章入力はもちろん、SNSやメールやネットバンキングなど、全てiPadで自分で操作している。かつては、手も足も動かなくなったらどうしようもなかったと思うが、今は、視線入力を含めて、僅かにでも動く部位があれば、コンピューターにアクセス可能である。また、近年では、ブレイン・コンピューター・インターフェースと呼ばれる、脳波から意思を出力する装置も発展を遂げている。 p4 究極的には、どこも動かせなくても意思疎通が可能になる。加えて、コロナ禍でリモートワーク環境が劇的に整備されたことも、障害者の就労には追い風だ。私も、週に数回は必ずリモート会議にチャットで参加している。障害者が働ける可能性は、これ以上なく高まっている。ALSになって分かったことだが、障害者は、日常生活を送るだけでも、様々なマネジメントが発生している。体調管理はもちろんのこと、介護者や支援者との人間関係構築も必須。何をするにも健常者より時間がかかるので、タイムマネジメントも必要不可欠である。また、障害者は社会的弱者の気持ちを当事者として理解している。そんな人だからこそ健常者には思いつかないイノベーションにたどり着く可能性が極めて高いと、私は確信している。ほかにも、障害者手帳のない難病患者が障害者雇用の枠にカウントされないという問題もある。障害者の就労の壁を可能な限り排除して働ける人には働いてもらうことこそ国益に直結すると私は思うが、いかがだろうか。ちなみに、参議院議員であるALS患者の舩後靖彦さんと天畠大輔さんは私の知人だが、重度訪問介護を使って議員活動をしている。詳細については分かりかねるが、特例として重度訪問介護の費用は参議院が負担していると耳にした。国会議員という特権階級だけが重度訪問介護で就労が認められているという誤解を招く事態となっている。あまねく職業に障害者を迎え入れることで、偏見や差別は自然と浮き出されて、自浄作用が社会に生じると、私は思う。 続いて、教育環境の改善について。障害当事者が何かしらの理由で就学が制限されることは、あってはならないことだ。日本国憲法は、保護者に教育を受けさせる義務を課している。それなのに、重度訪問介護が就学に利用できないのはおかしいと思う。ALSは、高齢発症が大半なので、就学に該当するケースは少ないかもしれない。しかし、別の病気では該当する人は少なからずいるはずである。また、若くなくても、学び直しの権利を侵害する。ビジネスと同様に、アカデミアの分野でも、障害者がイノベーションを起こす可能性は十分にある。私も夢中になった、宇宙論で有名な世界的な物理学者のスティーブン・ホーキング博士は、ALS罹患後も研究を続けた。教育を受ける機会を奪われない限り、誰でも結果を残すチャンスはある。もう1つは、健常者側の障害者・障害児に触れる機会の拡大である。子供の頃から、障害者・障害児に触れるカリキュラムを作ることで、私のように35歳になっても障害に無知という問題を防ぐことができる。就労に対する企業努力を社会の後天的な配慮と考えると、教育は先天的配慮につながると思う。子供だからこそ、素直に受け入れることができる。現在、がんに対する教育はカリキュラムに入ったと聞いている。しかし、がんは国民2人に1人がかかる病気だが、早期発見・早期治療を徹底することで治る病気になりつつある。もちろんがん教育を否定はしない。けれど、小児慢性疾患や難病のように、原因不明、治療法なしという病気もこの世にはあること、それでも患者は生きている同じ人間であることを知れば、かなり障害者の見方は変わると思う。理不尽に立ち向かう勇気も醸成される。日本は、国連からインクルーシブ教育の遅れを指摘されている。現実的にインクルーシブ教育を実施しているのは、ほんの一握りと聞いている。障害児の保護者がためらうことも少なくないようだ。しかしそのためらいは、障害者と健常者の世界をきっちりと分けてきた我々大人の発想にすぎない。ごちゃ交ぜにしたら、案外子供は自然に触れ合うかもしれない。もしかしたら、不登校やいじめなどの既存の問題に対して、障害児が貢献するかもしれない。 p5 最後に指摘するのは、家族介護の問題である。家族介護といえば、老々介護やヤングケアラーなどが社会問題化している。では、問題の本質はどこだろうか。私は、介護は家族がするものというずっと日本に蔓延している固定観念・悪しき風習と、偏見や差別に遭うと考えて家族だけで囲い込むという負のスパイラルだと思う。日本ALS協会も、行政官から「家族が見ればいいでしょう」的な発言を受けたと、全国より相談を受けている。行政がそんな発言をする以上、ヤングケアラー問題に気づくことも、解決も、到底できないと思う。ALSは将来的に、24時間介護が必要になる。これを家族だけで賄うことは不可能である。よって、日本には重度訪問介護があるにもかかわらず、人工呼吸器装着者は約3割にとどまる。つまり、7割の多数派が、人工呼吸器という生きられる治療法があるにもかかわらず、それを選択しない。この現実を是非とも重く受け止めていただきたい。これは、医療従事者の説明不足もあると思うし、ALSに対する誤解もあると思う。ALSは、進行により、動けない、喋られない、食べられない、呼吸ができないという四重苦に見舞われる。五体満足の身からは、絶望感しかない。変わり果てた姿を近所や知り合いにさらす苦しみにも共感できる点もある。でも、それは一面的な考えだと捉えることもできる。四重苦だけれども、五感は正常なので、目は見えるし、耳も聞こえる。つまり、コミュニケーションの受信はできる。しかも記憶や思考にも基本的には影響はない。よって、私が私であることに変わりはない。ALSの前の私を知る友人は、何の気兼ねもなく、私と会話してくれる。このように、ALSという病気を断片的にでも周りが理解してくれれば、生きたいという感情も湧き起こると思う。だからこそ、ALSの周りの皆さんの理解が大切である。そして、家族介護を回避するために、ヘルパーの存在が不可欠である。しかも、我々のヘルパーは、特殊なコミュニケーション方法を取得して、胃ろうや吸引などの医療行為の資格も必要だ。私を含めて、全国のALS患者で、ヘルパーの確保及び育成に悩んだことがない人間は、間違いなく一人もない。国が本気でヘルパーの育成や報酬を含めた社会的地位向上に取り組まない限り、家族介護はもとより、要介護者が増えていく日本の福祉制度は破綻に追い込まれるだろう。特に、国は病院から在宅の政策を推し進めている。それなら、なおさら訪問ヘルパーの存在が貴重となる。 以上で、私の主張を終わる。 続いて、私の原稿を代読している日本ALS協会常務理事の岸川さんが意見を述べる。岸川さんは、奥さんがALSで、私より長く闘病されている。当事者の家族の立場で伝えたいことがあると思う。 p6 ○ヒアリング対象の一般社団法人ALS協会の岸川事務局長から以下のとおり説明があった。 次に、私から述べたい。恩田さんの文章でほぼ網羅されているが、ALS患者(障害者)の家族の立場で、以下を述べる。の家族の立場で、以下を述べる。 当ALS協会本部と、神奈川県支部、私の所属になるが、その活動や私自身の普段の振る舞いを通じて、感じていることがある。障害者の家族は、障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた活動の最前線にいるはずだが、残念ながら、時として、これを阻害する側になることもあると感じている。このように相反した構図は一朝一夕には解消されないと思うが、解消に向けて、難病患者・障害者の家族を対象としたピア相談や啓発活動を一層充実して、気付きの機会を増やす必要があると思う。また、同じように、行政も共生社会の実現の最前線に立っているはずだが、残念ながら、阻害する側になることもあり得ると感じているので、行政権の主体である内閣に障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策推進本部が設置されたことに大きな期待を寄せているところである。今後、自治体の行政の窓口担当者も含めて、隅々にまでこの対策推進本部の設置の趣旨を理解した上で、推進・活動を継続してもらうことが大事だと思っている。 ○ヒアリング対象の日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構内布副代表理事から以下のとおり説明があった。 ○日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構内布副代表理事 日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構副代表理事の内布智之です。まず、私の紹介を少しさせていただきたい。20代中期頃、25〜26歳ぐらいになるのだけれど、メンタルヘルス、精神的な不調が始まった。その後、20代後期ぐらい、幻聴と妄想に苦しみ、精神科医療につながって、その中で同じ境遇の仲間たちと出会っている。30代になり、福祉のピアサポーターとして、雇用された。その後、40代初期頃に、現在所属している日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構を仲間たちと設立した。現在は、一般企業に勤務しつつ、障害者ピアサポート研修の普及に携わっている。 本日お話しする内容は、私の、精神科病院閉鎖病棟、保護室での体験・経験を少し話した後、精神障害者への偏見と差別、続いて、偏見と差別の解消に向けて取り組んでほしいこと、共生社会に向けて、最後にというように、話をさせてもらい、進めていく。 日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構のホームページから、少し紹介させてもらっている。我が国において、1990年代頃から、作業所や社会復帰施設で、ピアサポーターが活躍するようになった。一方、アメリカやカナダでは、1980年代から、認定ピアスペシャリストとして、雇用ガイドラインや研修プログラムが開発されている。平成23年度から平成26年度にかけて、日本の各種専門家やピアスタッフがアメリカのマディソンへ視察に行っている。そこから、トレーニングマニュアルの和訳などと一緒に、日本での研修プログラムの開発・実施を行う中で、基盤となる組織・団体が必要となり、精神障害者ピアサポート専門員研修企画委員会の議論の末、平成27年4月1日に、一般社団法人を設立することとなった。一般社団法人日本メンタルヘルスピアサポート専門員研修機構は、各種専門職と協働して、リカバリーを支援する精神障害者ピアサポート専門員を養成することを目的としている。簡単にはなるが、こちらが説明である。 p7 精神科病院閉鎖病棟、保護室の経験で、私がメンタルヘルス活動を続けている理由、原点を少し話させてもらう。今から約25年ほど前、私は20代後半だった。その頃、私は、自宅に引き籠もって、昼夜逆転の生活が続いていた。そして、精神科病院の保護室を経験した。その保護室を経験した日の天気は、冬の、寒い、霧が出た曇り空だった。その日の私は、数日前から全く眠れない不眠の状態で、精神的にも身体的にも極めて強い疲労感があり、少しでも楽になりたいという思いから、自宅を出て重い足を引きずるように歩き、町外れにある精神科病院のロビーの床に倒れ込んだ。そのときの私は、強い幻聴が聞こえ、ひどく思考が混乱していた。その状況の中で、当時の主治医は病院の看護師に私を保護室に連れて行くよう指示し、看護師は私を保護室へ連れて行った。保護室の外側からドアの鍵をかけられた。保護室の中で、私はとても不安になり、強い恐怖を感じた。私は、精神科の治療と保護室に入った理由についての説明はなかったと思っている。一方的に自由の権利を奪われ、強制的な治療を受けたと思っている。そのときの私は、絶望と孤独の巨大な津波の渦に飲み込まれているようだった。私は率直に思うのだが、精神科病院の中で当然に自由を奪われることは不自然だと感じていた。後でも説明するが、指定医から自由を奪われるといういろいろな状況はあると思うのだが、自由を守られるということはほぼ無いように感じていた。孤独の中で、助けてくれる誰か、自分の仲間でいてくれるという存在が必要だと思っている。 障害者への偏見と差別というところで、「偏見」として、ゆがめられた考え方・知識を基とした見方を、私は感じている。精神障害者は、危険、危ないと、様々な見方のマイナスのイメージが強いと思っている。私は、普通の一般企業に勤めているのだが、昨日、何気ない職場での会話の中で、障害者を気軽な気持ちで差別したような言動を見た。日常に溶け込んでいるのだと思う。「差別」である。精神障害者と見られたところで、周りの人たちの反応が変わっていく。精神障害者だから、このぐらいでいい、このぐらいしかできないという見方があるため、精神障害者が自分の能力を発揮する際に、周りの対応がどうしても変わっていく。このぐらいしかできないだろうという見方でしか対応できないため、自分の力を発揮する場面が少なくなっていくと思う。これは心の中での差別だと思っているし、それは結果として行動に表れていると思う。 次に、偏見と差別の解消に向けて取り組んでほしいこと。これは、障害種別を超えていて、一障害者としての思いでもある。障害者の権利に関する条約批准を、国民一人一人が知ることが大切だと思っている。障害者と健常者の間にある壁を取り除くために、発信するべきだと思っている。私も福祉の業界にいたが、中には権利条約を知らない福祉職もいる。福祉職、国民一人一人、権利条約があるということで、偏見や差別がなくなっていくことを望む。障害者に対する偏見と差別に関する情報修正を浸透させていただきたいと思う。障害者に向けた偏見と差別を修正する正しい知識を広めていただきたい。精神障害者には、「薬だけでいい」とか、「病院だけでいい」ではなくて、人と人とのコミュニケーションの中で改善・解消していくものもある。先ほどのALS協会の方からの、いろいろなツールや方法があれば、もっと社会に出て行けるんだ、社会で貢献できるんだというところも、正しい知識として、情報として、もっと広げてほしい。 p8 その中で、教育は第一に必要だと思っている。高校の保健体育の教科書には、精神障害者についての内容が何十年かぶりに復活したと聞いている。精神障害者をなかなか理解できない理由は、偏見から始まって、近寄りがたい部分があるのかと思っている。精神障害を発症しやすいのは社会に適応する年代の20代と言われているが、高校ぐらいの教育の中でメンタルヘルスの授業をもう少し手厚くしてほしいと思う。日本社会での偏見と差別を受けている障害者の声なき声を聴き取っていただきたい。今回ヒアリングを受けて、私はこの場に立たせてもらっているが、声の届かない人たちの声を拾う努力もしていただきたい。大きな声で発する、強い声で発するだけではなくて、もっと小さい声でも、弱い声でも、率直に自分の考えを聞き取ってもらえるんだということで、社会が変わっていくと思う。障害種別を超えた全障害者に、発言の機会を保障していただきたい。 障害者の能力開発の推進について、教育環境と職業能力訓練と職場環境の保全で、障害者も活躍できる社会の構築をお願いしたいと思う。障害のある・なしにかかわらず、教育を受けて、合理的配慮も含めて、もっと社会の中で力を発揮しやすい方向に向かってほしいと思う。 障害者が地域で暮らしやすいまちづくりについて、障害者に合った住空間と移動手段の充実、障害者が利用しやすい医療機関と福祉サービスの確保、障害者スポーツと障害者芸術の推進をお願いしたい。 続いて、精神保健福祉の範囲に少し狭めて、お話ししたいと思う。地域社会に開かれた精神科医療サービスの拡充というところ。私も、精神保健福祉の業界、障害者福祉の業界にいたが、どうしてもその領域だけで全てを完結しようとする雰囲気があると思う。先ほどALSの方も話をされたように、家族で見るのではなくて、地域で見るような方向へ進んでもらい、脱施設化と地域社会全体で支援する考え方の一般化に向けて、動き始めてほしい。 精神病患者の自由を奪わない医療体制の確立。過剰な薬物投与と拘束具・保護室の利用の廃止と患者の権利擁護制度が必要だと思う。精神科医療関係者と障害福祉人材の育成と評価が必要だと思う。対人援助技術の向上や医療技術の向上、それにつながる支援策、成果に見合った報酬の在り方が必要。精神病患者と精神障害者が中心の医療・福祉サービスの充実。現状の精神科医療・障害者福祉サービスは、当事者が求めるものとは違っているものだと感じる。当事者の求めるものを聴き取って、充実を実現するために、精神疾患対策基本法など、何かしら当事者のよりどころになるようなものが必要だと思っている。共生社会の実現に向けて、約100年前から、精神障害者の課題として、積み残したものがたくさんあると思う。自宅に閉じ込めたり、病院に閉じ込めたり、施設に閉じ込めたりという歴史もあるし、地域での差別と偏見を受けて、社会との隔絶、家の中に閉ざされる構造がずっと続いてきている。どうしても、医療に偏った時代もあっただろうし、福祉が充実してくると福祉に閉ざされた時代もあったかと思うが、自分だけではどうしようもないところもある。社会から手を差し伸べてほしいという思いもある。両方から手を差し伸べ合って、共生社会を実現していく必要があると思う。って、共生社会を実現していく必要があると思う。 p9 最後になる。私が今回のヒアリングで皆様に伝えたかったことは、現在の精神障害者に向けられている偏見と差別の歴史を後世につなげたくないということ。これから生まれてくる、次世代を生きる子供たちは、精神疾患を持ったときに、絶望することもあるだろうが、回復へつながるきっかけを得られれば、再び希望が湧き、再度自分らしい人生を送ることができると、この国に生まれてきて良かったと思うはず。それが当然の社会になってほしい。 最初に体験談も話したのだけれども、私は、今、ここで発言させてもらうまでには、たくさんの苦しみもあったが、たくさんの喜びもあった。同じ精神障害の仲間たちと支え合い、次の未来に何ができるかということを考えて、日々、活動している。ここで発言させていただくことでこれから日本の障害者への偏見や差別が解消されていくことを願って、終わりにしたい。 ○説明の後、各府省庁出席者とヒアリング対象者、有識者及びアドバイザー(構成員)との間で、以下の質疑応答があった。 ・通勤支援について、合理的配慮の一つと考えられることもあれば、国支援すべきとの考え方もあると思うという質問に対して、岸川事務局長より、ALSは進行状態の違いが人によって大きく、通勤支援についても、合理的配慮とよべる支援で対応できる場面と公的支援が必要となる場面がある旨の回答があった。 ・ハンセン病元患者が社会復帰で部屋を借りようとしたときに苦労したと聞いたが、障害者の住空間の確保から、行政や事業者に要望はあるかという質問に対して、内布副代表理事より、住居の形に囚われることなく、誰かに相談できる・つながれるサービスが充実していれば住居探しも難しくないこと、また、様々な障害者からの意見を聞き取ってもらいたい旨の回答があった。 ・合理的配慮ではなく、障害者総合支援法が適している場面もあるのではないかという質問に対して、恩田会長より、社会に貢献したい、特別扱いではなく、ただフラットな社会を望んでおり、合理的配慮がなじまない場面があることはそのとおりであるが人間相互理解の観点から考えてほしい旨の回答があった。 ○説明の後、有識者から以下のコメントがあった。 ・最近の科学技術の進歩によって障害者の働く職場が拡大されており、個人能力・可能性が広がることを期待している。障害者にフレンドリーな社会の構築のため、また、人手不足の中での生産性向上のために今後も技術発展に取り組んでほしいと思っている。 ・障害者が直面している壁を減らすため、意識の壁の解消と障害者就労の促進が必要と考える。AIと支援技術の発展、及び、特例子会社制度を活用しつつも一般就労を促進していくことに今後も取り組むよう考えてほしい。 p10 ・不要又は過剰な身体拘束や強制入院が行われている問題について、障害者権利委員会で改善を求められている。身体の多様性と精神・神経の多様性ということをキーワードに進めていくべきではないかと考えている。 (以上)