第5回障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策推進本部幹事会 議事概要 p1 (開催要領) 日時 令和6年11月13日(水曜日)12時58分から14時まで 場所 8号館8階816会議室 出席者 (※作業者注・【墨付きかっこ書き】で前後を挟んでいるのは代理出席者) 議長 内閣官房副長官補(内政担当) 副議長 内閣府政策統括官(共生・共助担当) 構成員 内閣総務官【内閣官房内閣参事官(内閣総務官室)】、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣人事局人事政策統括官【内閣官房内閣審議官(内閣人事局)】、内閣法制局総務主幹、宮内庁長官官房審議官、公正取引委員会事務総局官房総括審議官【公正取引委員会事務総局官房人事課企画官】、警察庁長官官房長【警察庁長官官房企画課企画官】、個人情報保護委員会事務局長【個人情報保護委員会事務局次長】、カジノ管理委員会事務局次長【カジノ管理委員会事務局総務企画部長】、金融庁総合政策局総括審議官【金融庁総合政策局審議官】、消費者庁次長、こども家庭庁成育局長、こども家庭庁支援局長、デジタル庁戦略・組織グループ長【デジタル庁戦略・組織グループ審議官】、復興庁統括官【復興庁統括官付参事官】、総務省大臣官房政策立案総括審議官、法務省大臣官房長【法務省人権擁護局長】、外務省総合外交政策局長【外務省総合外交政策局人権人道課長】、財務省大臣官房審議官、文部科学省総合教育政策局長【文部科学省大臣官房審議官(総合教育政策局担当)】、文部科学省初等中等教育局長【文部科学省大臣官房学習基盤審議官】、厚生労働省職業安定局長、厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長、農林水産省農村振興局長【農林水産省農村振興局農村政策部長】、経済産業省経済産業政策局長【経済産業省経済産業政策局経済社会政策室室長】、国土交通省総合政策局長【国土交通省総合政策局審議官】、環境省大臣官房長【環境省自然環境局総務課課長】、防衛省大臣官房長【防衛省政策立案総括審議官】 p2 オブサーバー 人事院事務総局総括審議官【人事院事務総局審議官】、会計検査院事務総局次長【会計検査院事務総長官房能力開発官】 有識者 静岡県立大学名誉教授 石川 准、弁護士 田門 浩、公益財団法人世界人権問題研究センター理事長 坂元 茂樹 アドバイザー 東京大学先端科学技術研究センター特任研究員 大河内 直之 ヒアリング対象 一般社団法人手をつなぐ育成会連合会 会長(全国) 佐々木 桃子、一般社団法人手をつなぐ育成会連合会 会長(熊本市) 西 恵美、一般社団法人手をつなぐ育成会連合会 当事者 吉浦 美貴、社会福祉法人南高愛隣会 岩本 友広、社会福祉法人南高愛隣会 岩本 朋子、社会福祉法人南高愛隣会 岩本 裕樹 (議事次第) 1.開会 2.議事 (1)障害当事者からのヒアリング (2)質疑応答 3.閉会 (議事概要) ○内閣官房副長官補より、第1回推進本部の総理発言において、結婚・出産・子育て当の生活についての意思決定支援についての言及があったことを踏まえ、今回はこうした観点を含めて障害当事者の方から意見を頂戴すること、また、頂戴した意見をこれからの取組の検討に活かしたい旨の発言があった。 ○ヒアリング対象の一般社団法人全国手をつなぐ育成会連合会の佐々木会長から以下のとおり説明があった。 ○佐々木会長 私からは、育成会について簡単にお話をさせていただく。 育成会は、知的障害者と家族、そして、支援者で構成される当事者団体である。 47都道府県と8つの政令指定都市の親の会、そして親の会とともに歩んできた事業所協議会を正会員としている。 p3 昭和27年の設立以来、知的障害児者の権利擁護に重きを置き、研修を兼ねた全国大会、ブロック大会、そして行政への政策提言、会員向けの研修、情報提供、そして、毎月機関誌「手をつなぐ」の発行をしている。ブロック大会、そして行政への政策提言、会員向けの研修、情報提供、そして、毎月機関誌「手をつなぐ」の発行をしている。 近年は災害も大変多く、災害支援も行っているところ。また、国際育成会連盟の一員として、総会や世界大会への参加、そして、国際育成会連盟からの様々なヒアリングへの対応、各正会員における知的障害児の本人活動のバックアップも行っている。 さらに今年度より、知的障害者が公的な会議や組織団体の運営に参画するために必要な合理的配慮の在り方に関する研究を独自に始めた。最終的には、支援マニュアルと支援ガイドラインを作成する予定。 また、近年は、障害者の文化芸術活動を推進する全国ネットワークの事務局として、今は、来年の万博における障害者の芸術作品の展示や、海外との文化芸術交流などに力を入れているところ。 関係者の皆様の尽力により、知的障害者の社会参加も少しずつ進んできたが、理解啓発や住まいの場の確保、インクルーシブ教育など、課題はまだまだある。今後も会員の声に耳を傾け、必要な活動を行っていきたいと思うので、引き続き、よろしくお願いしたい。 ○ヒアリング対象の熊本市手をつなぐ育成会連合会の西会長と吉浦様から以下のとおり説明があった。 ○西会長:まず、吉浦さんに話をしてもらう前に、熊本市での本人活動について、少しお話をさせていただく。 昭和35年から、まだ、当時は数の少なかった特殊学級というのが設置され、地元の中学校で生徒たちが卒業後の悩みとか、問題を解決することを目的とした同窓会が年に2回開かれており、しばらくして、東京や大阪で月に1回の学習会活動をされているというのを知って、熊本でもやろうということになった。 その後、育成会が陳情して助成金をもらい、若竹青年教室ということで、正式な活動が始まったとのこと。 それから3年後ぐらいに、このお隣の吉浦さんも、そこからずっと参加されているということ。 もちろん始まった頃の青年教室というのは、レクリエーションとか、社会科見学などの学習の場でもあったが、やはり卒業後すぐに仕事に就いたという人々も多かった中で、まだまだ差別とか偏見の目が多い一般社会の中に飛び込まざるを得なかった子供たちが、職場での悩みとか、人間関係の悩みをそこにいた支援の先生達に相談するという場でもあったようだ。 今日、紹介する吉浦さんも、その中に参加して、いろいろ相談もしていたようであるし、いろいろな偏見もあってつらかった思い出も、この青年教室に参加するということで、少し軽減されたと言われている。 それでは、吉浦さんに、本人の紹介をしていただく。 p4 ○吉浦様:こんにちは、吉浦美貴です。 熊本の中学校を卒業してから、地元の製糸会社に入社した。繭から糸を取る会社。そこは二交代だったので寮生活だった。 私は、仕事が人より遅かったから、のろまとか、馬鹿とかよく言われた。それで、仕事が終わってからも同じ人と顔を合わせるので、逃げ場がなくてきつかった。 その製糸会社が閉鎖になったときに仕事を辞めて、作業所に通い、それから、被服会社に再就職した。そこは、作業服をつくる会社で、私はポケット織りという仕事をした。 隣にクリーニング会社があるが、そこと合併して、そのクリーニングのほうに移り、仕事をした。 仕事をしながら、ホームヘルパーの講座を3級、2級と受けて、クリーニングの会社を辞めた。 病院のヘルパーとして3年ほど働いた。乳がんになり手術したけれども、後遺症がきつくて仕事を辞めた。それからは、ずっと無職。 作業所時代の支援員の方から後見人を見つけたほうがいいということで、支援員の方から紹介してもらって、後見人(保佐人)の方2人にお世話になっている。 母が60のときに亡くなった。それから、ずっと自宅で一人暮らしをしている。 月に1回の熊本市手をつなぐ育成会の本人部会「つなごう会」に欠かさず参加している。「つなごう会」の活動が、毎月楽しみで行っている。 中学時代から続くボーイフレンドと時々会うのが楽しみ。 彼は同い年で、B型事業所に通っている。足が悪いにもかかわらず、農作業や、せんべい工場へ施設外就労で出て行くこともあり、仕事がきついと愚痴をこぼしている。 また、年金が2級なので、仕事を辞めると生活ができない。働くしかないが、いつまでできるかなと不安がっている。 「つなごう会」で知り合った、女子の友達とも時々ランチやお茶会をしている。 友達は、スーパーマーケットで仕事をしている。まだ両親と暮らしているが、最近、母親が病気がちだと心配している。彼女も両親が亡くなっても一人で愛犬と一緒に暮らしたいと考えているが、自分が病気になったとき、犬の世話をどうしようかと、お金はどうしようかとすごく心配してる。 今一番の心配は、私が働いていたときに、小遣い以外は母に全部渡していて、それを預金してくれていたので、そのお金と母の財産で生活している。大きな買い物をするときには、母の財産のほうから出してもらっている。 家の洗面所とお風呂のリフォームをした。300万ほど出してもらった。まだ、お金はあるから大丈夫だよと言われているが、生まれてからすぐに甲状腺の病気になり、ずっと薬を飲み続けている。 医療費は、仕事を辞めてもずっと3割なので、毎月3,000円ほど払っているが、検査とかのときにはお金がかかるので、医療費がやはり心配。 後見人に、自分が死んだら家を処分してもらい、残ったお金を、お世話になった方に渡してほしいとお願いしている。 p5 ○西会長:今、本当に本人が、つらい時代もあったけれども、今はとてもいい感じで毎日暮らしていて、幸せだという話もされている。 吉浦さんは、このように穏やかな性格だし、敵がいるという感じの方ではないので、皆さんが、周りの方々がよく手伝ってくれたり、声をかけてくださったりするということで、毎日を楽しく過ごしているとも言っていた。 ただ、私は熊本市が拠点なので、この 「つなごう会」という本人部会の会合にも、ちょこちょこ月に1回の活動に参加しているのだが、中には同じ職場で働く先輩、同じ障害がある人らしいが、その相手にいろいろ暴言を吐かれて大変なのだと、週に1、2回は電話をしてくる男性もいたり。その管理の方に、もう一回言ってみたらと伝えるのだけれども、言ってそのときは伝わるのだが、しばらくしたら、また、そのまま元に戻るのだということで、定期的にという感じで、電話をくれる。今日はこんな思いをした。こんな暴言を吐かれて、少しいらいらしたと、なかなかそういうのをちゃんと直せていないところはあるのかなと思っている。 そして、また別の50代の男性。自閉スペクトラム症の方が、毎日電話をしてこられるが、あるとき、とても荒れたときがあった。いらいらして、道路で向こうから向かってくる車に傘で突き刺すという行為をして、ちょっと問題になってしまったり、駅の構内でバケツを蹴り飛ばしたりして、駅員さんに叱られたなどと訴えてくる方もいた。 その時期は、活動には欠かさず参加されているのだが、目つきがとてもおかしくなって、日頃、お母さんのように慕っている担当の事務員さんの頭をいきなりたたいたりとか、大変なときもあった。 取り抑えようとしたら、もっと怒りが増殖して大変なことになったのだが、ベテランの先生、その方は、もともと支援学校の先生だったが、落ち着かせるために別の部屋に連れて行かれて、しばらくしたら、彼も落ち着いて戻ってきた。 支援の先生の話によると、自分が気に入っている仕事から別の仕事に回されたというのが発端で、ずっといらいらしていたらしいということがある。 今は、とても落ち着いている。でも、このように本人が嫌な思いをして、自分も混乱してパニックを起こしても、自分の思いを聞いてくれる人がいれば、やはり心は落ち着くのだなと思った。 ただ、知的障害のある方は、嫌なことを言われたり、いじめられたりしていないか、時々は聞くのだが、別にない、大丈夫という方が結構いる。 知的障害のある本人の中には、馬鹿にされたりとか、いじめられたりして悲しい思いをしている方も多いのではないかと思う。 今日も吉浦さんに聞いたとき、今までは、そんな話はしていなかったのだが、どうだったと聞いたら、やはり、のろまとか、駄目じゃないかということ言われて悲しい思いをしたと。初めて聞いたのだが、そんな形で自分が困っているのを訴えられないとか、あるいは、いじめそのものが、いじめられていると認識できない方も多いのではないかと感じるときもある。 p6 実際、熊本の条例に障害のある人もない人も、ともに生きる熊本づくり条例という、障害者差別解消法に併せてできた条例だが、広域相談専門員というのが位置づけられているけれども、昨年度の相談件数の中で、知的障害のある方の相談は、やはり全体の10%にすぎないということが分かっている。やはり訴えるという力がないとか、どうやって電話をしたらいいかも分からないとか、なかなか声が届きにくいのではないかということを感じている。 先ほどお話ししたスペシャリストの先生とまではいかなくても、本人の気持ちをじっくり聞いてくれる先生がいるということは、とても心強いのだなとは思っている。 そのほかにも地域の福祉センターとかで、月に1回そういう本人たちのお話を聞く会があり、このスペシャリストの先生とか、何人か、いつもうちの本人活動にもお越しになる先生方がいて、その先生を目当てに、話をしに行くのだと、言っている人がいる。 触れ合い相談という名前なのだが、本人たちの悩みを受け止めてくれる先生方がいっぱいいると、とても本人たちが穏やかにできるのではないかなと感じている。 どうだろうか。 ○吉浦様:やはり二交代のときは、逃げ場がなくて、だから逃げ出したりとかしていた。 ○西会長:そうなのか、お仕事のときも。 ○吉浦様:はい。 ○西会長:そんな話は、初めて私も聞いた。 ○吉浦様:逃げ出した。全国大会のときも、それは話したことがある。 ○西会長:そうだったのか、やはりなかなか表に出ないというか、課題として上がってこないというのが大きいのではないかと感じている。 ○吉浦様:やはり嫌なことを言われるからではないかと思う。 ○西会長:ただ、吉浦さんの場合は、今は、後見人さんがついているので、いろいろなことを相談しておられると。 ○吉浦様:はい。 ○西会長:どんなことを相談するのか。 ○吉浦様:この間は、いきなり雷が鳴った後にテレビが消えてしまって、どうしようと思ってパニックになったときにメールした。そうしたら来てくれて直してもらって、ほっとした。 ○西会長:やはり、彼女は、今、両親も亡くなって一人暮らしをしているので、今、その後見人二人にいろいろなSOSを出したり、あるいは、この 「つなごう会」という本人の仲間と会ったり、支援者の皆さんと話をすることで、いろいろなことを解決できているのではないかと思っている。 ○ヒアリング対象の社会福祉法人南高愛隣会の岩本友広様、岩本朋子様、岩本裕樹様から以下のとおり説明があった。 p7 ○岩本友広様:皆さん、こんにちは。岩本友広という。 本日は、呼んでいただき、感謝する。 妻の朋子と、息子の裕樹と一緒に、長崎県から来た。 私は、就労継続支援A型事業所、瑞宝太鼓に所属し、全国の舞台で和太鼓を演奏している。 妻は、同じく就労継続支援A型事業所で、給食の仕事をしている。 息子は、今年で19歳になり、将来働くための訓練を頑張っている。 今日は、私たちの結婚生活や子育てについてお話しする。 妻の朋子さんとは、私が18のときに通っていた職業訓練校で出会った。笑顔がかわいくて、私の一目ぼれだった。 卒業後は、朋子さんとは離れて生活していて、遠距離交際だった。 朋子さんとは、10年の交際を経て、結婚した。プロポーズは私からした。とても緊張していたが、勇気を出して結婚しようと伝えた。朋子さんの笑顔を見るたびに、結婚して幸せだなと感じている。 私たちは、デートのとき、結婚したら子供がほしいと、よく2人で話していた。妊娠や出産など、家族計画については、恋愛の支援を行っている結婚推進室の職員や、グループホームの世話人に相談して教えてもらっていた。 性のことや、子育てについては、グループホームの所長さんをはじめ、いろいろな職員さんが分かりやすく教えてくれた。 結婚して約1年後、裕樹が生まれた。出産のときは、私は瑞宝太鼓遠征中だったので、電話で生まれたことを知った。無事に生まれたと聞いて、とても嬉しかった。 裕樹が生まれたばかりの頃は、ミルクのつくり方を覚えたり、おむつを交換したり、夜泣きも大変だった。 けれども結婚推進室やグループホームの職員、保健師、いろいろな方が助けてくれた。夜中に職員に駆けつけてもらうときもあった。 ○岩本朋子様:裕樹は、小さく生まれたため、しばらく入院をしていた。毎日タクシーに乗って病院へ母乳を届けに行った。とても大変だったけれど結婚推進室や世話人の人、みんなが支えてくれた。 ○岩本友広様:大変な育児だったけれど、裕樹の姿を見ると、元気が出る。私が公演から帰ってくると、「パパ」と走って玄関まで来てくれていた。そんなときに、私は仕事の疲れも忘れて幸せを感じていた。 裕樹が通っていた保育園は、グループホームから歩いて20分ぐらいのところにあったが、裕樹を連れていくと1時間ぐらいかかっていた。毎日、私と朋子さんで、交代で歩いて送り迎えをした。裕樹の小さな手をつないで、裕樹が保育園で覚えた歌を一緒に歌いながら毎日通っていた。途中で会う近所の人たちにも声をかけてもらったり、温かく見守ってもらっていた。 裕樹は3歳児健診で障害があると言われた。それでもかわいい僕たち夫婦の宝である。一生懸命子育てを頑張った。病院の先生や、理学療法士の先生たちにも成長の応援をしてもらった。もらった。 p8 裕樹が小学校になると、学校からのお知らせをもらってきたり、PTAの子供会の手伝いなど、いろいろな手続をすることも増えた。 そんなときは、グループホームの世話人に手伝ってもらっていた。近所の人や裕樹の友達も私たちを手伝ってくれたこともあった。 裕樹は地元の小学校に通った。地元の小学校を選んだ理由は、地元には保育園から友達がたくさんいたので、一緒に育ててほしいと思ったから。校長先生もとても裕樹をかわいがってくれた。校長室の椅子が裕樹の椅子だった。 ○岩本朋子様:裕樹は、反抗期が小学校5年生から6年生のときだった。思い通りにならないときは、ガラスをたたいたり、物に当たって大変だった。そんなときは職員や、こども医療センターの先生に相談をして支えてもらった。親として言わなければいけないことは、きちんと言おうとしていた。 ○岩本友広様:裕樹が中学生になるとき、私たちは学校へ見学に行った。特別支援学校を見学したとき、子供たちが元気に走り回っている姿を見て、運動が大好きな裕樹が伸び伸びと過ごせると感じた。 寮もあり、寮の友達と一緒に成長できるところが、兄弟のいない裕樹にもいいなと思った。 私は幼い頃から施設で仲間たちと過ごしたから、友達と過ごすことは大切と思い、特別支援学校への進学を決めた。 裕樹が寮生活になり、家から出ることになったときは、やはり寂しかった。でも、週末は家に帰ってくるので、裕樹が一歩一歩成長していくのを見るのが楽しみだった。 朋子さんと2人で一緒に歩いてきて、約20年たった。たまに喧嘩はするけれど、2人とも健康に生活できるよう、これからも支え合って感謝の気持ちを持ち続けていきたい。 そして裕樹には希望するところに就職して、いい人と巡り会って結婚してほしい。幸せに過ごすことができるよう願っている。 ○岩本裕樹様:僕の夢は、父のようなかっこいい太鼓のプロになることである。いつか、父と一緒に演奏できるように頑張ろうと思う。そのために、大きな声で挨拶することや、自分から行動することを目標に頑張っている。 サッカーも頑張っているから、両親や皆に頑張っている姿を見てほしい。 ○岩本友広様:これで、私たちの結婚、子育てについての紹介を終了する。 ○講演の後、各府省庁出席者とヒアリング対象者、有識者及びアドバイザー (構成員)との間で、以下の質疑応答やコメントがあった。 ○西会長と吉浦様に対して以下の質疑応答があった。 ・ 「つなごう会」があることで助かっていることはあるか、また、工場勤務時代がつらかったというお話だが、嬉しかったことや楽しかったことは何かあったか、という質問に対して、吉浦様から、 「つなごう会」での集まりで、みんなと集まって何かをするということが楽しく励みになること、工場勤務時代については 「黙々と頑張っている姿に感動した」とメッセージをもらったことが嬉しかったと回答があった。ことが楽しく励みになること、工場勤務時代については 「黙々と頑張っている姿に感動した」とメッセージをもらったことが嬉しかったと回答があった。 p9 ・お金の管理を後見人(保佐人)に頼んでいることについて、窮屈に思うことはないかとの質問に対して、吉浦様からは、そのようなことはないと回答があり、西会長から、吉浦様と保佐人の方は日ごろからコミュニケーションを密にしており、気軽に相談できる関係である旨の補足があった。 ・地域の人への要望はあるか、また、不安に思われている給与面について、相談相手はいるかとの質問に対して、吉浦様から、地域の人への要望はないと回答があり、また、西会長から、地域で障害者の一人暮らしにはサポートが必要で、そのことを不安に思っていると聞くので、障害者が一人で地域で暮らしていく手立てを講じてほしいとの回答があった。 給与面の相談相手の有無については、西会長から、本人たちは気にしていないことも多いが、親やグループホームの世話人などがフォローし、相談相手になっているのではないかと回答があった。 ○岩本様に対して以下の質疑応答があった。 ・行政に対する要望や意見があるかという質問に対し、様々な人にお世話になっており、感謝の気持ちであると回答があった。 ・グループホームの良いところや、逆に窮屈なところはあるか、また、要望はあるかという質問に対し、地域の人も優しく住みやすく、友達も気兼ねなく招くことができるところであると回答があった。要望については、グループホームのスタッフにゆっくりと悩み相談を聞いてほしい旨の回答があった。 ○西会長に対して以下の質疑応答があった。 ・知的障害者の方が不当な扱いを受けた際、本人から状況を聴取してしかるべきところにつなげるような仲介役はいるのかとの質問があり、相談支援員がその役目を担う場合もあるし、手をつなぐ育成会が緩衝材的な役割を担って状況解決の支援をしたり、助言をする場合もあると回答があった。 ○全体に対して、以下のコメントがあった。 ・障害のある人が安心して暮らせる共生社会とは、障害のある人が自らの障害を隠すことなく、堂々と社会の一員として暮らしていける社会だと考えている。 そのためには、インクルーシブ教育や、就業機会の平等の確保が必要であり、職場においては知的障害者の相談体制の確保を含めたサポートが必要。 障害のある方の暮らしにおいて、きめ細やかな対処ができる仕組みが必要だと思う。 (以上)