No.9 『正保御国絵図』にクナシリ、エトホロが描かれる。

概要

 1644年(正保元年)、江戸幕府は各国の大名に対して国毎の地図(国絵図)及び郷帳の提出を命じた。国絵図の作製・提出は、主に大目付井上政重の指揮の下行われ、数年がかりの作業となった。松前藩(当時は3代目氏広)の記録(例えば、『福山秘府 年暦部四』(『新撰北海道史 第5卷』30コマ)には1644年(正保元年)に「松前地図」を幕府に提出した旨の記述がある)にも「松前絵図(地図)」を提出した旨の記述がある)。この松前藩が提出した地図/絵図は現存していないが、幕府が北条氏長に命じて作製させた「日本総図」にはサハリンや千島列島、国後島や択捉島を含む蝦夷地の記載がある。正保の国絵図の大半と総図は、『皇国地誌』編纂中の1873年(明治6年)の火災で焼失したが、以下3.を含む複数の写本が現存している。

関連する地図

文書名 所蔵機関(請求番号など)(注) 概要
「日本総図」 国文学研究資料館
(30M-1)
正保期の国絵図編さん作業の結果として作製された日本地図は、1657年(明暦3年)の明暦の大火で失われ、寛文年間に再度作製されたといわれるが、その初回図であると指摘されている。日本総図
「皇圀道度図」 大阪府立中之島図書館
(甲和/1085/#)
「おおさかeコレクション」で閲覧可
「正保日本図」 国立歴史民俗資料館 秋岡武次郎古地図コレクションの一部。独立行政法人北方領土問題対策協会の「北方領土関連資料 デジタル図録(令和3年度)」にて閲覧可能(「地図資料1」)の2頁
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