この度参候島(※鬱陵島)より北東に当り大きなる嶋これあり候。かの地 逗留の内、ようやく二度、これを見申し候。彼島を存じたるもの申し候は、于山島と申し候通り申し聞き候、終に参りたる事は無之候、大方路法一日路余も可有之哉与相見江申候由申候、
(略)
于山嶋欝陵嶋ハ別之嶋之
様ニ見申候、乍然一説ニハ本一嶋与御座候故
二嶋ニ候哉、一嶋ニ候哉
※このたびやって来た島(※鬱陵島)の北東に大きな島がある。かの地に逗留中ようやく2度この島を見た。この島を知っている者によれば、于山島という名前だそうです。結局行ったことはないのですが、大体一日程の道のりと見えるとのことです。
(略)
于山島鬱陵島は別の島であるようにも見えますが、さりとて一説には一つの島であるともあり、二島なのか、一島なのか。
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竹島紀事
資料タイトル | 竹島紀事 |
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作成年月日(西暦) | 1882年 |
作成年月日(和暦) | 明治15年 |
編著者 | 越常右衛門 |
発行者 | 対馬藩 |
収録誌 | |
資料概要 | 対馬藩が享保11(1726)年に編纂した竹島一件に関する本。日朝間の外交交渉で、松島(現在の竹島)に関しては触れられていない。また、安龍福が鬱陵島の北東にある島が于山島であると証言したことも記録されている。竹島は鬱陵島の南東に位置しており、于山島が竹島であるという韓国側の主張と矛盾するものであることが分かる。 |
言語 | 日本語 |
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公開有無 | 有 |
所蔵機関 | 国立公文書館![]() |
媒体種別 | 紙 |
数量 | 1ページ |
資料番号 | T1882000000101 |
利用方法 | 国立公文書館で利用手続きを行う |
注意事項 |