久場島諸島ヘ汽船寄港之儀御願
沖縄県八重山島列島ノ内ナル久場島及ヒ釣魚島借地開墾ノ件去ル明治二十九年八月十五日御許可相受候後御命令ニ基キ目論見書ニ依リ直チニ農夫及ヒ漁夫拾数名ヲ派遣シ一方ニ開墾ヲ為シ一方ニ漁業ヲ為シ海産物ノ採収開墾地ノ収穫年一年ニ増加シ殖産興業御奨励ノ御趣旨ニモ相叶ヒ...(略)...事業既ニ其緒ニ就キ爾後益之レヲ拡張シ国恩万分ノ一ニ報セントノ希望日夜寝食ヲ忘レテ禁スル能ハサルニ付何卒特別ノ御詮議ヲ以テ大阪商船株式会社ヘ往復年三四回寄港致シ候様御照会被成下度詳細ノ契約ハ直接同社ニ対シ締結可仕候此段奉願候也
沖縄県那覇区字西廿三番地平民
明治三十二年一月 古賀辰四郎
知事宛
右奥書候也
明治三十二年一月十三日 那覇区長 印
(現代語訳)
久場島諸島ヘ汽船寄港の件についての願書
沖縄県八重山列島にある久場島及び釣魚島(原文ママ)を借地開墾する件は、去る明治二十九年八月十五日に許可いただきました.その後命令に基づき目論見書の通り、ただちに農夫および漁夫十数名を派遣して開墾と漁業を行いました.海産物の採取や開墾地での収穫は年一年と増加しており、殖産興業奨励の趣旨にも適い、また国家利益の一端にもなるような計画が立ちました...(略)...事業はすでに緒についており、今後ますますこれを拡張して国恩に対して少しでも報いたいとの気持ちを日夜寝食を忘れるほど抑えることができませんので、何卒特別の御詮議をいただいて大阪商船株式会社に年に三、四回の往復寄港をしていただけますよう御照会をお願いいたします.詳細の契約は直接同社に対して締結いたします.以上お願い申し上げます.
沖縄県那覇区字西二十三番地平民
明治三十二年一月 古賀辰四郎
知事宛
右奥書いたします
明治三十二年一月十三日 那覇区長 印
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文書[久場島への寄港に付き古賀辰四郎より願の件 明治32年1月久場島諸島へ汽船寄港之義ニ付願 古賀辰四郎→知事(奈良原繁)]
関連資料 | S1899011900101 |
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資料タイトル | 文書[久場島への寄港に付き古賀辰四郎より願の件 明治32年1月久場島諸島へ汽船寄港之義ニ付願 古賀辰四郎→知事(奈良原繁)] |
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作成年月日(西暦) | [1899年1月] |
作成年月日(和暦) | [明治32年1月] |
編著者 | [古賀辰四郎/横内扶写] |
発行者 | |
収録誌 | 文書[6827] |
資料概要 | 本資料は古賀辰四郎より沖縄県知事宛の請願書の写しである.1896年(明治29年)8月15日をもって県より尖閣諸島開拓の許可を受け、古賀は同諸島に農夫及び漁夫を派遣した.1898年(明治31年)5月には開拓を拡張するため更なる人員を派遣した(監督者尾瀧延太郎:古賀の甥.明治31年7月17日付琉球新報記事「尖閣群島事情」参照). これにより同諸島の開発が進み、海産物の採取や開墾地での収穫量は順調に増加していった.しかし、当時、産物の運搬に用いていたのは、漁業用の小舟であり、輸送量や運搬に要する日数等の制約が大きかった.古賀は、同諸島における輸送・交通手段の強化・安定を求め、大阪商船が往復年3-4回の蒸気船の寄港を実施してくれるように、県知事に対して斡旋を請願した. |
言語 | 日本語 |
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公開有無 | 有(複写物) |
所蔵機関 | 那覇市歴史博物館![]() |
媒体種別 | 紙 |
数量 | 4 |
資料番号 | S1899010000101 |
利用方法 | 那覇市歴史博物館で利用手続きを行う |
注意事項 |