古市憲寿メッセージ

国・行政のあり方に関する懇談会が始まって半年くらい。初めは不思議な懇談会くらいに思っていた。しかし次第に会は楽しくなっていった。人は楽しいと思ったものに対しては、コミットメントの気持ちが芽生える。義務だから、仕事だからといった理由ではなく、主体的にそのコミュニティに関わろうとするのだ。
    僕が楽しさを感じたきっかけは「形式」にあった。同時に、今回の懇談会における一番の功績もまた、その「形式」にこそあったと思う。
    たとえば途中からiPadが導入され、参加者たちのノートがリアルタイムで共有されるようになった。さらに、イラスト入りの議事録までもがその場で作られていく。政府の議事録といえば、ただ文字起こしが延々と続く、誰も読まないような代物が定番だった。それが、この懇談会ではなにやら楽しげなイラストまでが議事録として残るのである。
    また台本通りに進むことが多い政府の会議と違って、まるでテレビの討論番組のような進行も印象深かった。ファシリテーター型の司会がいて、参加者は自由に討論に参加していく。若手の研究者や実務家の参加も多く、「政府の懇談会」と聞いてイメージされるものとは雰囲気も違っていた。
    さらにUstreamで懇談会の模様は中継され、ツイッターなどでも意見が募集される。残念ながら一般からの参加者は多いとは言えなかったが、できるだけ寄せられた意見は会議に活かされようとしていた。
    もっとも、今回の試みが全て成功していたわけではない。残念ながら世間的に大きな話題を呼んだとは言えないし、一体この懇談会の成果がどのような形で未来に引き継がれるかも不透明だ。話し合われたことが、本当に毎回核心をつくような重要な議論だったのかも疑問が残る。
    だがそれでも、形式に関しては十分な実験ができだと思う。
    もし今回のような懇談会の形式で、より重要な会議が開かれたらどうか?この国には目下、国民的議論が必須の話題が山積みである。社会保障制度の改革、憲法改正や集団的自衛権の是非、原子力政策…。それらは、「官邸」「政治家」「官僚」「国家」といった、「国民」とは関係のない場所で行われる議論だと思われている。
    しかし、日本は民主主義国家なのである。そして「国家」は昔よりも「国民」の声を聞きたいと思っているし、自分たちが完全に正しいとも思っていない。そんなときに、今回のような形式を取り入れた会議が増えていけば、まさに「国・行政のあり方」は変わるのではないか。皮肉屋で悲観的な僕でさえ、そんな希望を持つことができた。
    と、まあ形式の大事さを言ってきたわりには、文章での感想というありふれた形式で、こうやってメッセージを寄せてしまっている僕自身がまず変わらないといけないのかも知れない。