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竹島の名称に関する読売新聞の解説(明治38年(1905年)7月)

はがき集
(略)竹島位置ハ隠岐の西北八五浬北緯三七度九分三〇秒東経百三一度五五分の所にありて二島よりなり周囲並せて約一里本年二月島根県の領に帰す我国の漁夫等にハ久しき以前より知られ来りしものなるも他外国人に紹介をせらるゝに至りしハ一八四九年佛船Liancourt号の発見を以て嚆矢とす是リアンコールト岩の名ある所以にして露のMemalai英のHornetと呼ぶ亦此島に外ならざるなり全島樹木なく鳥糞に富み海驢群集すと韓国鬱陵島を松島と呼ぶに対して竹島と名けられたる者なるべしとのことに候(略)

資料タイトル 竹島の名称に関する読売新聞の解説(明治38年(1905年)7月)
作成年月日(西暦) 1905年7月10日
作成年月日(和暦) 明治38年7月10日
編著者
発行者 読売新聞
収録誌 読売新聞社
資料概要 現在の竹島は、江戸時代には「松島」、明治初期には「リアンクール島」と呼ばれていた.本資料は、1905年(明治38年)の島根県編入により正式に「竹島」と命名されたことに関する読者からの質問に対する回答である(1905年7月10日付).
18世紀後半に欧州の探検家が鬱陵島の測量を誤ったことに端を発し、現在の竹島と鬱陵島の名称の入れ違い(松島(現在の竹島の江戸時代からの名称)が現在の鬱陵島の名として呼ばれるようになり、現在の竹島は、1849年に附近を航海した「Liancourt」号にちなんでリアンクール岩(りゃんこ/らんこ島)と称されるようになってしまった.)が生じた.このような時代背景を踏まえ、本資料は、韓国の鬱陵島を松島と呼ぶこと、当時リアンコールト岩(正式にはリアンクール岩)と呼ばれていた島(現在の竹島)が以前から日本の漁夫に知られていたこと、また、その島が正式に竹島と名付けられたことを伝えるものである.
なお、本資料において、一箇所誤記(ロシア名の「Memalai」の表記は誤りで、正確には「Menelai」)が見られるほかは、「北緯37度9分30秒 東経131度55分」という経緯度表示も含め、1905年2月の島根県告示第40号の内容を正確に表している.
言語 日本語
公開有無
所蔵機関 国立国会図書館東京本館新しいウィンドウで開く
媒体種別
数量 1ページ
資料番号 T1905071000102
利用方法 国立国会図書館で利用手続きを行う
注意事項 ヨミダス歴史館で閲覧可能