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竹島渡海由来記抜書

一、厳有院様御代竹嶋之道筋廿町斗廻申候小嶋御座候
草木無御座岩山ニて御座候廿五年以前阿倍四郎五郎様
御取持を以拝領則船渡海仕候此小嶋ニても海鹿魚油
少宛所務仕候右之小嶋へ隠岐国嶋後福浦より海上六拾里余も御座候事。

※一、厳有院様(四代将軍家綱)の代に、竹島への道筋に、周囲が二十町ほどの小島があり、この島は草木もない岩島でした。今から二十五年前に阿倍四郎五郎様のお取持で拝領しましたので、船で渡海し、この小島でもアシカ油を少しずつとる仕事をしました。この小島へは隠岐国の島後の福浦から海上六拾里余りあります。

資料タイトル 竹島渡海由来記抜書
作成年月日(西暦) 1868年02月
作成年月日(和暦) 明治元年02月
編著者 大谷九右衛門勝広
発行者
収録誌
資料概要 大谷家の由緒と竹島(現在の鬱陵島)渡海の由来に関わる記録。米子の大谷・村川両家は江戸時代の初期17世紀に幕府の許可を得て竹島(現在の鬱陵島)へ出漁し、行く途中にある松島(現在の竹島)でも漁を行っていたことが示されている。岡嶋家8代正脩が、明治元(1868)年、筆写したと考えられる。
言語 日本語
公開有無
所蔵機関 鳥取県立博物館新しいウィンドウで開く
媒体種別
数量 3ページ
資料番号 T1868020000103
利用方法 鳥取県立博物館で利用手続きを行う
注意事項