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文書[久場島への寄港に付き古賀辰四郎より願の件 明治32年1月19日付大阪商船株式会社長宛依頼 奈良原繁(沖縄県知事)→中橋徳五郎]

三十二年一月十九日起
大阪商船株式会社長宛御依頼旁古賀辰四郎へ(ママ)汽路※
案左ニ相伺候也
拝啓時下倍御清穆奉賀候陳ハ本県下八重山群島ノ内ナル久場島及魚釣島ハ未タ曽テ住民ナク且ツ之ヲ探検シタル者も無之処県下那覇区字西廿三番地平民古賀辰四郎ヨリ借地開墾願出テ去ル廿九年八月之ヲ許可致置候処其後僅々一二回ノ便船ヲ得テ漁農夫数十名派遣ニ種々計画中有之只今ノ有様ヲ以テスレハ右両島トモ地質豊饒前途必ス国益ノ一助ニモ可相成存候得共如何セン絶海ノ孤島交通不便ノ為メ意ノ如ク事業ヲ企図スルコトヲ得ス一手ニテ汽船ヲ借入航海セントスルモ到底収支償ハスシテ頗ル困難致居候現状ニ付此上ハ貴社ノ御配意ヲ煩スノ外他ニ良策ナカルヘク今回本人よリ小生迄申出之次第モ有之尚本人儀親ク貴社ニ御依頼致度趣候得者事情詳細御聴取候上特別ノ御考ヲ以テ本人ノ希望貫徹候様御取扱被下度御依頼旁本人御紹介迄草々不宣
一月十九日    奈良原繁
大阪商船株式会社長中橋徳五郎殿

※「汽船航路」の略と考えられる.

(現代語訳)
明治三十二年一月十九日起
大阪商船株式会社長へ御依頼かたがた古賀辰四郎の汽船航路案を左の通り伺います.

拝啓.時下ますます御清穆のことと奉賀いたします.申し上げますに、本県下八重山群島内にある久場島及び魚釣島は、これまで人が住んだことはなく、また探検をした者もおりませんでしたが、本県那覇区字西二十三番地平民古賀辰四郎より借地開墾願が出されましたので、去る明治二十九年八月これを許可しております.その後、わずかに一、二回の便船を用意することができ、漁夫と農夫数十人を派遣するなどの計画をしております.現在の状況からみたところ、右の両島(久場島と魚釣島)とも土地が肥沃であり、必ず日本の国益の一助にもなるであろうと思っておりますが、いかんせん絶海の孤島であり、交通が不便であるために思うように事業を企画することができません.一手に汽船を借り入れて航行しようにも、到底その収支をうめあわせることはできないので、大変な困難となっております.このうえは貴社(大阪商船株式会社)の御配慮を煩わす他に良策はないと、このたび本人(古賀辰四郎)から私に申し出てまいりました.なお本人は自ら貴社に依頼したいと希望しておりますので、詳しく事情をお聞きになって、本人の希望が貫徹できるように、特別にお取り計らいくださいますようお願いかたがた本人の紹介まで.草々不宣.

一月十九日    奈良原繁
大阪商船株式会社長中橋徳五郎殿

関連資料 S1899010000101
資料タイトル 文書[久場島への寄港に付き古賀辰四郎より願の件 明治32年1月19日付大阪商船株式会社長宛依頼 奈良原繁(沖縄県知事)→中橋徳五郎]
作成年月日(西暦) [1899年1月19日]
作成年月日(和暦) [明治32年1月19日]
編著者 [奈良原繁/横内扶写]
発行者
収録誌 文書[6827]
資料概要 本資料は、沖縄県知事奈良原繁より大阪商船株式会社長あての依頼文書である.1896年(明治29年)8月に沖縄県は、古賀辰四郎に尖閣諸島開拓の許可を与えたが、その後、古賀の開拓は交通不便の為に難航した.その打開策として、古賀は、沖縄県知事に尖閣諸島(久場島、魚釣島)への寄港について、当時本土-台湾間で船舶を運航していた大阪商船株式会社へ働きかけてもらうよう依頼したところ(S1899010000101参照)、県知事による働きかけが実現したものである.
言語 日本語
公開有無 有(複写物)
所蔵機関 那覇市歴史博物館新しいウィンドウで開く
媒体種別
数量 2
資料番号 S1899011900101
利用方法 那覇市歴史博物館で利用手続きを行う
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