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向姓具志川家家譜十二世諱鴻基

具志川家、十二世向鴻基.
「(略)(九月)十七日、天氣方晴、看得高山、猶不知地名(後聞此山、俗呼「魚根久場島」也).十八日、駛到該山下灣泊、欲汲用水、並無泉湧.一連三日、彼處候風.忽然暴風大作、所抛●(木へんに定)索、盡被海浪磨斷.船隻隨風漂蕩海洋、船上人數頻求神佑.幸至二十三日、又遠看高山、二十四日、漸近其山.只看山上有一個人(此人、八重山島奉公人安里仁屋也)、舉手招船.又有五六人、搖旗示港.即令船人高聲問其地名、答曰「與那國島」(略)」.

(現代語訳)
(1819年陰暦9月)17日に天気がようやく晴れ、高い島が見えたが地名が分らなかった(後にこの島は地元で「魚根久場島」と呼ばれると聞いた).18日、その島の下まで航行して入江に停泊し、用水を汲もうとしたが、湧き水は無かった.三日間連続でその個所で風を待った.突然暴風が激しく起こり、錨も綱も全て波浪によって絶たれた.船は風にまかせて漂流し、船上の人々は幾度も神助を求めた.幸いに23日にまた高い島が見えた.24日、次第にその島に近づいた.島の頂上に一人がいて(この人は石垣島役人の安里仁屋である.)、船に手を振った.また5、6人が旗を振って入江を示した.すぐに船員に大声で地名を問わせると、「与那国島」と答えた.

資料タイトル 向姓具志川家家譜十二世諱鴻基
作成年月日(西暦) 1819年
作成年月日(和暦)
編著者
発行者
収録誌 那覇市史資料篇第1巻7(向姓家譜 大宗 諱韶威)
資料概要 沖縄においては、尖閣諸島は古くから琉球-福州間航路上の標識島として利用されてきたが、当時の資料に尖閣諸島に関する記述のあるものは決して多くはない.尖閣諸島は、航海を無事に終えた場合は、あえて書き記されることのない洋上の無人島である.系図家譜の場合、尖閣諸島周辺海域での暴風雨等の悪天候による遭難、漂流等、不測の事態に巻き込まれた際に、詳細に記載される事がある.本資料も同様の性質の記録である.
言語 漢文
公開有無
所蔵機関 沖縄県立図書館新しいウィンドウで開く
媒体種別
数量 10
資料番号 S1819000000103
利用方法 沖縄県立図書館で閲覧を行う
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