尖閣諸島資料ポータルサイト(Senkaku Islands Archives Portal)

トップページ > 大明一統志

ここからが本文です。

大明一統志

卷七十四
福州府東至海岸一百九十里.西至延平府・南平縣界二百五十里.南至興化府・●田縣界二百三十里.北至浙江温州府・平陽縣界六百三十里.

卷七十五
泉州府東至海岸一百三十里.西至●州府・長泰縣界一百五十里.南至海岸一百三里.北至興化府・仙遊縣界一百三十二里.

※●は見本別添参照

(現代語訳)
第七十四巻
福州府(の領域)は東に海岸まで190里.西に延平府・南平県の境界まで250里.南に興化府・●田県の境界まで230里.北に浙江省温州府・平陽県の境界まで630里.

第七十五巻
泉州府(の領域)は、東に海岸まで130里.西に●州府・長泰県の境界まで150里.南に海岸まで103里.北に興化府・仙遊県の境界まで132里.

※●は見本別添参照

資料タイトル 大明一統志
作成年月日(西暦) 1461年陰暦4月進呈
作成年月日(和暦)
編著者 官製 總裁 李賢 編修 萬安
発行者
収録誌
資料概要 明国英宗皇帝の勅命により編纂された総合地誌、全九十巻.
第七十四巻から第七十八巻までは福建省の巻である.最初に福建全土の沿革を略述し、継いで各論で福建省の全八府を詳述しており、各府の領域を東西南北各境界線までの里数で示している.里数を直線で計測する技術は無かったため、道程で計測された.当時の一里は、直線距離四分の一キロメートル前後に相当する.また、「府」は、我が国の大阪府・京都府・沖縄県などと同じく地方行政単位を指す.
八府の内、この時代まで琉球への出航地は泉州府であった.泉州の領域は東に海岸までと明記されているため、尖閣諸島は明確に泉州の領域線外に位置することがわかる.
また八府の首府福州は尖閣諸島の正西方向に位置し、後に琉球への出航地となるが、同様に領域は東に海岸までと明記されている.そのため、尖閣諸島は明確に福州の領域線外に位置することがわかる.
里数は地誌の通例として「疆域」巻(別名封域・封隅・疆界など)に記載され、疆・隅・界は境界線を指す.大明一統志』は疆域巻を立てないが、同じく里数が境界線を示している.
また、海岸を界と明記する例も多い.例えば1614年、福州府下の『羅源県志』は巻首の「総図」で東北の境界線を「大海の界」と記載する.
福建だけでなく基本的に明国の領土は大陸海岸までで尽きる.ただ広東省の瓊州府8海南島)だけは明の領内地として第八十二巻で記述される.そのため、単に記述の体例として全島嶼が除外されているわけではないことが分かる.なお、清国に至って台湾島西岸を侵奪したため、福建省台湾府が官製地誌に加えられるが、明国ではまだ台湾島を福建省に含んでいない.
言語 漢文
公開有無
所蔵機関 東京大学東洋文化研究所新しいウィンドウで開く
媒体種別
数量 3
資料番号 S1461040000101
利用方法 東洋文化研究所ホームページで閲覧を行う
注意事項 原本閲覧には特別許可が必要.