2011年3月、東北地方太平洋沖地震と津波の影響によって発生した福島第一原子力発電所の事故は、多大なる被害をもたらしました。周辺地域では多くの地元住民の方々が避難のために故郷を離れ、ご自分の家に帰ることができません。ここ楢葉町も、そのひとつです。この町は事故直後に避難指示区域に指定され、約7,400名の町民全員の全町避難が行われました。多くの方は、車で1時間ほど南にあるいわき市で、避難生活を送られています。事故の翌年には、日中のみ帰宅の許可が下り、ご自宅を掃除しに帰る方々が多くみられるようになりました。

しかし中には、茨城県や東京都など離れた場所へ避難されている方や、ご高齢で車を運転できず、簡単には帰ることの難しい方もいらっしゃいます。7,400名の町民の方々一人一人に、7,400通りの事情があります。私が福島復興局の楢葉町担当として着任してから、1年が過ぎました。町担当として、楢葉町の復興に関する業務全般を担当させていただいており、住民の方々が元通りの生活が出来るような環境整備や、魅力ある新しい町をつくっていくための支援に取り組んでいます。

事故直後、被災地の厳しい現場の最前線で業務にあたる同僚の姿を見て、自分も貢献出来ないかという思いがありました。その後、省内で福島復興を担当する部署で業務にあたりましたが、やはり、東京では現場の感覚や実情が分からないというもどかしさもありました。現在は、こうして現場に立つことができ、ようやく心と体が繋がったような感覚です。

原子力災害により多大な被害を受けた福島の復興は、国の責任で対処していく必要があります。現場に根差して、地域の方々の声を聞きながら仕事をしていくことで、外からは見えづらい課題を拾い、ご苦労されている方々へ手を差し伸べる事の出来るよう、日々、心がけています。

現在、楢葉町は除染が一通り終了し、新しい町をつくるための土地開発なども進められています。しかし、避難指示が解除されても、放射線の影響は大丈夫だろうか、病院や買物などの生活環境が整っているだろうか、水道水は安心して飲むことが出来るのかなど、不安を抱えている方も大勢いらっしゃいます。人が住んでいない家は荒廃も激しく、リフォームを行うにも、工事までに半年や一年も待つ場合もあるといった現状もあります。住民の方々が元通りに生活できるような環境を取り戻すことは、そう簡単ではありません。行政という立場上、どこかで支援の線引きを行わざるを得ない場合もあり、行政の限界を感じたり、歯がゆい思いをする事も多いです。

しかし、現地の立場としては、まずは住民の方々の声を直接聞き、一人一人の気持ちに寄り添う事が前提であり、そこからでないと始めることは出来ないと、肝に銘じています。そして、実際に、今も多くの住民の方々がふるさとを離れ、つらい思いをされているという現実があります。国の責任として、住民の方々が抱えている困難や課題を少しでも多くすくい上げ、一歩でも二歩でも前に進むことの出来るよう、努力しています。

楢葉町では、2015年9月5日に避難指示が解除されることが正式に決まりました。現在は、準備宿泊という形で、町内の元のご自宅で暮らし始める方々もおり、少しずつ町に人が戻りつつあります。医療機関のある隣町までバスを走らせることが出来ないか、スーパーの品揃えを増やすために売り場面積を広げる事が出来ないか、コンパクトタウンを整備し、高齢者の方々にも住みやすいまちづくりが出来ないかなど、震災前の暮らしやまちの賑わいを少しでも取り戻していくための課題は山積しています。震災前の風景を全て元通りに戻していく事は大変難しいと感じていますが、町の皆さんのご尽力により、時間を経るごとに、確実に復興は進んでおり、見える風景も変わり始めています。

今回の震災でも明らかになったとおり、国家公務員の仕事には、大きな責任が伴います。見方によっては、今回の震災で、その責任を十分に果たす事は出来なかった面も有るのかもしれません。しかし、この国がかつてない国難に直面している今だからこそ、この高い壁を何としても突破し、課題を解決していく。そのような思いを持った方に、一人でも多く、国家公務員の門を叩いていただきたいと思っています。

大学時代は法律を専攻。演劇サークルで脚本・演出に打ち込んでいたが、そうしたアイデアや企画を考える経験を、政策立案の場にも生かせないかと考え、国家公務員を志す。経済産業省に入省後、貿易経済協力局、産業技術環境局、内閣官房情報セキュリティセンター、内閣官房拉致問題対策本部事務局での業務を経て、2014年に復興庁福島復興局へ出向。原発事故の被災地である楢葉町を担当し、日々、役場や住民の方々の声を聞きながら、現場に根差した復興支援を行うべく、取り組んでいる。